お知らせ

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教会学校リーダーの皆さんへ「東京教区こどものミサのお知らせ」

2018年08月01日

 

2018.8.15
東京教区教会学校委員会
Ver.7.26

 2018年度東京教区「こどものミサ」

 

【日時】  2018年 10月14日(日) 午後2時30分~5時
【場所】  東京カテドラル関口教会「聖マリア大聖堂」&前庭
【テーマ】「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5) 

  

1 今年も東京教区主催の「こどものミサ」が、10月14日(日)午後2時30分から、東京カテドラルにて、菊地大司教様の主司式でおこなわれます。「こどものミサ」では、毎年参加される小教区ごとに、テーマに基づいた奉納物を準備していただき、当日のミサで奉納するという形をとっています。
 そこで、今年のテーマについて、テーマに関するカテケージス(教え)、奉納物など、教会学校リーダーの皆さんに、当日までに子どもたちと共に準備していただきたい事についてお知らせします。

  

=お知らせの内容=

 1.テーマについて
テーマとなっている聖書の箇所についての説明です。子どもたちとより豊かな準備が出来る様に、 リーダーの皆さんもテーマとなっている聖書の箇所を味わってみてください。

2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)
「1.テーマについて」および「2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参考にしながら、当日までに子どもたちにカテケージス(教え)を行ってください。

3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明
製作していただく奉納物についての説明と注意点、製作時のヒントなどをまとめました。製作した奉納物は、こどものミサ当日に持参してください。 ミサ中に奉納して頂きます。

4.ミサで歌う曲・申し込みハガキの控え

 

 

1.テーマについて

「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)

  西暦2000年・大聖年に始まった、東京教区「こどものミサ」は今年で19回目になります。毎年テーマを設定してミサに臨んでおりますが、今年はイエスさまの言葉の中から、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)という呼びかけをテーマとして選びました。わたしたち一人ひとりに向かって、「今日」呼びかけておられるイエスさまのお言葉に耳を傾けたいと思います。そして、その言葉に答えて歩めますように、今年のこどものミサに向けて、ご一緒に準備をしていきたいと思います。
 まず、ルカ19章1節~10節を一度お読みいただきたいと思います。

 イエスはエリコに入り、町を通っておられました。そこにザアカイという人がいました。この人は徴税人の頭で、金持ちでした。イエスがどんな人か見ようとしましたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができませんでした。それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登りました。そこを通りすぎようとしておられたからです。イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われました。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。これを見た人たちは皆つぶやきました。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」イエスは言われました。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」(ルカ19・1~10)

 ここでは福音書の言葉に解説を加えながら、テーマについて説明していきたいと思います。

《福音書の言葉の解説》
イエスはエリコに入り、町を通っておられた。
 ルカによる福音書では、9章51節から19章44節までが、「エルサレムに向かう旅」の段落となっています。その旅とは物見遊山ではなく、「受難と死を通して、栄光に入る道」でした。エリコは都エルサレムまであと30㎞程、というところにある町です。旅もいよいよ終盤に近づいて来ました。

そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。
 ザアカイはエリコ在住のユダヤ人です。ちなみに「ザアカイ」という名前そのものには「純粋な者」という意味があります。
 「徴税人」とは、ローマへの税金を取り立てる徴税請負人のことです。イエスさまの時代、ローマがユダヤを支配していましたので、ローマ人は多くの地点でその道を通るユダヤ人から通行税を徴収しました。しかし、実際に徴収の実務を行ったのはローマ人ではなく、徴税請負人であるユダヤ人たちでした。
 彼らは、予めローマに相当の金額を支払って、通行税等の関税を「徴収する権利」を得ていたので、利ざやを稼ぐために、税率以上に徴収して、自分の懐に入れていました。そのため、同胞のユダヤ人たちからは「盗人」と同様に見なされていました。
 また彼らは、同胞のユダヤ人から見れば、ユダヤを支配するローマ国家、異教の権力に奉仕する、言わば「売国奴」であり、軽蔑の対象でした。
 更に彼らは職業上、常に異邦人と交わっていましたので、ユダヤ人からみると、「祭儀的に汚れた者」と見なされ、彼らと交際する者は、自分も汚れが移ると考えられました。それゆえ徴税人は、罪人、異教徒の仲間と見なされ、敬遠され疎外されていました。
 ザアカイはそういう徴税人の「元締め」であり、なおかつ金持ちでした。以上のような理由で、同胞のユダヤ人たちからひどく疎んじられていたことは、想像に難くありません。

イエスがどんな人か見ようとしたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができなかった。
 「見ようとした」は原文では、「見る」と「探す」という二つの言葉からなる表現です。その直訳は、「見ることを捜す」という意味になります。イエスさまは失われたものを「捜し」救う方でしたが、ザアカイも何かを求め「捜す」人であったと言えます。
 どうしてザアカイが「イエスがどんな人か見ようとした」のか、理由は書かれていません。もしかしたら、「イエスさまが、徴税人レビを弟子にした」(ルカ5・27参照)という噂を聞いていたかも知れません。「嫌われ者の徴税人を弟子にするとは・・・。一体、どんな人なのだろう」と思ったのかもしれません。
 「背が低かった」という個所には、ギリシャ語の「ミクロス」という言葉が使われています。「群衆に遮られて見ることができなかった」とあるので、もしかしたら、極端に背の低い方であったのかもしれません。

それで、イエスを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登った。そこを通りすぎようとしておられたからである。
 全く想像の域を出ないのですが、群衆に遮られて見ることができなかった時、もう、どうしても一目見たいと思ってしまったのかもしれません。「背の低い」「お金持ち」のザアカイは、徴税人の元締めとして、人から軽く見られないようにいつも身構えていたのではないでしょうか。人に弱みを見せないように、人に付け入る隙を与えないように、身なりにも気を配っていたかもしれません。また、普段はデスクに座って、お金持ちらしく、堂々と構えていたかもしれません。そのザアカイが走り、木に登ったのを見て、大勢の人が心の中で笑い、あざけったのではないでしょうか。

イエスはその場所に来ると、上を見上げて言われた。「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
 イエスさまは、その場所に来ると、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われました。「泊まる」と訳されている言葉は、ギリシャ語の「メノー」。他の個所では「つながる」「留まる」「住む」とも訳される言葉で、深い一致を表す言葉です。福音書の中の重要語、キーワードです。
 また、「泊まりたい」という個所には、「デイ」という言葉が使われていて、泊まることが「神からの必然」であることを表しています。つまり、「泊まらなければならない」という意味の表現です。イエスさまはザアカイに、「今日は、ぜひあなたの家に泊まらなくてはならない。今日は、ぜひあなたにつながらなくてはならない」とおっしゃったのです。
 そして、「その場所」とは、冠詞がついた名詞形、言わば“The place”です。イエスさまとザアカイの「出会の場所」、まさにイエスさまとザアカイの「出会うべき場所」と言ってよいと思います。

ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えた。これを見た人たちは皆つぶやいた。「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」
 ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスさまを迎えました。自分の存在の中心に、イエスさまをお迎えしたのだと思います。
 先の「徴税人」の解説で示したように、ザアカイは同胞のユダヤ人たちからひどく憎まれていたと思われます。そのため、イエスさまがザアカイの家に泊まったことは、人目を引かずにはおきませんでした。罪深い人と交際するイエスさまは、同じように罪深い人と見なされることになったのでしょう。

しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言った。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」
 イエスさまがザアカイの家に泊まり、ザアカイという人の存在の中心につながってくださった時、ザアカイのいのちは新しくなったのだと思います。お金よりも大切なものが「自分のいのちの家」に住むようになってくださったので、ザアカイは惜しげもなくお金を人のために使う決心をしたのでしょう。
 当時の律法の規定によると、だれかからお金をだまし取った場合、「まず、その不正が完全に償われ、さらにその額の五分の一額が加えられるべき」、と教えられていました。(レビ5・17、民数記5・6-7)ザアカイが主に向かって宣言したことは、それよりも遙かに徹底された、しかも全く自発的なものでした。

イエスは言われた。「今日、救いがこの家を訪れた。この人もアブラハムの子なのだから。人の子は、失われたものを捜して救うために来たのである。」
 「今日」はルカの福音書が好んで用いるメッセージです。「今日」あなたの家に泊まらなければならない。「今日」救いがこの家を訪れなくてはならない。それがイエスさまの望みです。
 「この人もアブラハムの子なのだから」という表現は、「アブラハムの血筋の者だから」という、救いを民族的に限定するような意味ではありません。そうではなく、たとえ人からどのように見られていたとしても、全ての人が神さまから救いを望まれている、神さまの子どもなのだというメッセージです。

《テーマを深める》
 イエスさまは、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われました。「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」これが今年のテーマです。
 どうして、イエスさまはザアカイの家に泊まりたかったのでしょうか。また、「泊まらなければならなかった」のでしょうか。
 イエスさまはザアカイの家に泊まって、「あなたの中に神さまがいらっしゃるのだ」と伝えたかったのではないでしょうか。「あなたは神さまがお住まいになっておられる、尊い神の家なのだ」と伝えなくてはならなかったのだと思います。「あなたというお方の本当の主人は、お金や権力などではなく、神さまなのだ」と、はっきりとそう伝えなくてはならなかったのだと思います。

 ザアカイは「背が低かった」とあります。これもまた全くもって、想像の域を出るものではありませんが、もしかしたら極端に、普通の人の半分くらいの背丈しかないような方であったのかも知れません。その結果、人から見た目で判断され、子どもの頃からたくさん嫌な目に合ってきたということがあったかも知れません。そんなことがバネになって、いつかは皆を見返してやろうと、一生懸命お金儲けの道に邁進したのかもしれません。そしてついに成功して徴税人の元締めとなり、お金持ちになって、今や正面切ってはだれも悪口を言うものはない、という地位にまであがっていたのかもしれません。
 でも、「純粋な者」という意味の名前をいただいているザアカイは、どこか本当には満たされない思いを持っていたかもしれません。イエスの噂を聞いて、一体どんな人なのだろうと、「一目見てみたい」と思ったのかもしれません。群衆に遮られたことによって、いっそうその気持ちが高まったのかもしれません。そして、嫌われ者の徴税人を弟子にし、娼婦たちをも受け入れ、罪人と食事まで一緒にするという評判の人物に「何とかして会いたい」と思う熱が生まれていたのかもしれません。ザアカイは気付かない内に、普段いる場所とはちょっと違った、一歩前に踏み出した「その場所」に出ていたのではないでしょうか。
 まるで、綺麗なチョウチョを見つけた子どもが、ランドセルを放り出して追いかけている内に、知らないところにまで来てしまった・・・という時のように、ザアカイもいつしか走り出し、先回りして、いちじく桑の木にまで登ってしまったのかもしれません。普段は自分を守るために固く閉ざされていた心の扉が、憧れに近い気持ちから、ほんのちょっと開いて、純粋な人である自分が、わずかに顔をのぞかせてしまっていたのかもしれません。
 イエスさまはそれを見逃しませんでした。すかさず、「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」と言われたのです。そこは「その場所」という出会いの場所でした。ザアカイにはイエスさまが、他の人々が見るのとは全く違った眼差しで自分を見てくださっていることが分かりました。自分の外側ではなく、自分の一番奥深くを見てくださっていることを知って体が熱くなり、弾む心で木から降りてきて、喜んでイエスさまをお迎えしたに違いありません。
 人々が皆、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった。」とつぶやいても、ザアカイは立ち上がって言いました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と答えました。ザアカイは、イエスさまが自分の一番奥深くに神のいのちを見てくださって、そこに一緒に泊まってくださったので、自分は神さまがお住まいになっている神の家なのだと分からせてもらいました。そして生まれ変わって、その真実に結ばれて立ちあがりました。ザアカイはついに立つべきところに立ったのだと思います。
 イエスさまは、「今日、救いがこの家を訪れた。・・・人の子は、失われたものを捜して救うために来た。」と言われました。今日の福音の場合、「人の子」とはイエスさま、「失われたもの」とはザアカイです。ですから、イエスさまは、ザアカイを捜して救うために来た、という意味になりますね。
 「失われたもの」と訳されている言葉は、ギリシャ語のアポッリューミで、「滅び」とも訳される言葉です。根源的な意味は「(その人が)本来あるべきところから離れて、力を発揮できずに弱ってしまう、失われてしまう、滅びてしまう」というニュアンスだそうです。ですから、その反対に「それが、本来あるべきところに戻ること」・・・それが「救い」です。
 ザアカイは生まれ変わって、本来あるべきところに戻りました。お金や権力の上に立っていたザアカイは、自分の最も奥深くにいらっしゃる神さまの真実に出会い、その真実の中に立ったのです。その時、自分だけでなくすべての人の中に、神さまが共におられることを認めて生きる新しいいのちが始まりました。これが、ザアカイに訪れた「救い」でした。

 イエスさまは今日、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と、わたしたち一人ひとりに呼びかけておられます。「あなたの中に神さまがいらっしゃるのですよ」と、わたしたちに分からせるためです。わたしたちもイエスさまを喜んで迎え入れ、お互いに「あなたの中に神さまがいらっしゃいます」と伝え会ういのちとなっていきますように、今年のテーマを設定いたしました。

 

2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)

 今年のテーマ「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」(ルカ19・5)を受けて、当日のミサの福音の箇所はルカ19・1~10としました。事前に福音の内容に親しんでおいていただくために、リーダーの皆さんに子どもたちといっしょにやっていただきたいことがあります。簡単に以下のようにまとめてみました。

1.当日の福音 ルカ19・1~10を子どもたちに読んで聞かせる。
「徴税人ザアカイ」の物語です。リーダーのみなさんが、一度子どもたちの前で声を出して、読んで聞かせてほしいと思います。

2.言葉の説明をする。(必要に応じて、内容や、話す順序を、調整なさってください)
「そこにザアカイという人がいた。この人は徴税人の頭で、金持ちであった。」
→「徴税人」というのは、税金を集める人です。
イエスさまの時代、ユダヤの国は、ローマという強い国に支配されていました。
それで、ローマに税金を払わなくてはなりませんでした。
ユダヤ人から税金を集めて、ローマの国に納める人、それが「徴税人」です。
「徴税人」は、ユダヤ人から、余分にお金をだまし取って、それを自分のポケットに入れていました。
それでみんなから、どろぼうのように嫌われていました。
ザアカイはその頭(ボス)だったので、お金持ちでした。
「いちじく桑の木」
→枝が低い位置から広がっている木なので、背の低いザアカイにも登りやすかったと考えられます。
「だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」
→当時のきまりでは、「だまし取った分をまず返し、それにだまし取った分の1/5をプラスして返す」と決められていました。
 ザアカイははるかにきびしい約束を、自分から言い出しています。
「この人もアブラハムの子なのだから」
→「アブラハム」は、イスラエル人の祖先として最も尊敬される人物です。「信仰の父」として、ユダヤ教、イスラム教、キリスト教のいずれからも深い尊敬を受けています。紀元前2000年頃の方です。
 「この人もアブラハムの子なのだから」というのは、「この人も、神さまに愛された子どもなのだから」というくらいの意味です。

3.こどもたちに質問する。
ザアカイは、徴税人の頭でお金持ちでした。イエスさまがどんな人か見ようとしましたが、背が低かったので、群衆に遮られて見ることができませんでした。

「どうしてザアカイさんは、イエスさまがどんな人か見ようとしたのかな?」(補助質問)
→有名な人だから
→ほかのみんなが見ていたから
→神さまだから

出てくる意見については皆、「そうだね、そうかもしれないね」と同意してくださったらよいと思います。話の続きを説明します。
それでザアカイは、イエスさまを見るために、走って先回りし、いちじく桑の木に登りました。
イエスさまはその場所に来ると、上を見上げて言われました。
「ザアカイ、急いで降りて来なさい。今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい。」
ザアカイは急いで降りて来て、喜んでイエスを迎えました。

「そうしたら、それを見ていた人たちは何と言ったかな?」(補助質問)
→悪口を言った
→文句を言った。

必要に応じて補足して、「あの人は罪深い男のところに行って宿をとった」と言ったのでしたねと伝えたらよいと思います。更に話の続きを説明します。

しかし、ザアカイは立ち上がって、主に言いました。「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。また、だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」

そして、ここで問いかけていただきたいと思います。
「ザアカイさんにとって、いままで一番大切なものはお金でした。人からお金をだまし取っていたのです。それなのに『主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。まただれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します』と言いました。」

「どうしてザアカイさんはこんなに変わったのでしょうか」(主質問)
→イエスさまが自分の家に来てくれたのが、嬉しかったから。
→有名な人に、「あなたの家に泊まりたい」と言われたから、嬉しかったから。
→自分(ザアカイ)のところに来たら、みんなに「チェッ」とか言われるのにイエスさまが来てくれたから。
→イエスさまに、「あなたは悪くないよ。いいよ。」と言われたと思ったから。
→本当のお友だちになってくれたと思ったから。
→わからない。

すぐ、上のような答えをするかもしれませんし、全くわからない・・かもしれません。
いつものことですが、無理に答えを出そうとしなくてよいと思います。
まず、どんな意見も「そうかもしれないね」と、答えてくれたことを大切していただいたらいいと思います。おそらく、意見の中心は、「本当に嬉しかったから」というものではないかと思います。

4.リーダーが子どもたちに、教える・伝える・一緒に考える
最後に、子どもたちに、たとえば次のようなことを話していただければ幸いです。

ザアカイさんは、人に嫌われるお仕事をしていましたね。それでみんなから嫌われていました。
でも、イエスさまはザアカイさんの、仕事とか、見た目ではなくて、ザアカイさんでさえ知らない、「ザアカイさんの本当の姿」を見てくれたのではないかな。
「ザアカイさんの本当の姿」とは、ザアカイさんの中に、神さまがいてくださること。イエスさまは、神さまが一緒にいてくださる仲間として、お友だちとして、「ザアカイさんのところに泊まりたい」とおっしゃったのだと思いますよ。

ザアカイさんは、自分の中に、神さまが一緒にいてくださることを知って、イエスさまとお友だちになって、その時、本当に変わることができたのではないかな?自分の回りの人たちもみんな、神さまが一緒にいてくださる、お友だちだとわかったのではないかな。それで、「財産の半分を貧しい人に施します。だれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します」と言ったのではないかな。

《発展課題》
みなさんも、ザアカイさんのように、「自分のことを本当によく分かってもらって、嬉しかった」ということがあるかな?また、「人に何かをして(言って)もらって、自分が変わった」ということがありますか。もしあったら、その時のことをお話ししてもらえますか。

→お友だちに、「○○ちゃんはがんばれるよ」と言ってもらえて、本当にがんばれて、出来るようになって嬉しかった。
→「自分は運動オンチで自信がなかったけど、先生に、『そういう人は、運動のできない人の気持ちがわかるから、いいんだよ』と言われて、そうかと思った。考えが変わった。嬉しかった」

もしリーダーのみなさんが、「自分の一番奥深くを知ってもらって嬉しかったこと」「人からして(言って)もらったことで、自分が変わったこと」などの経験をなさっていたら、ぜひ、子どもたちに話してあげてほしいと思います。少々難しい内容であったとしても、子どもたちは、ご本人の経験であるならば、喜んで耳を傾けてくれるはずです。そして、心の奥深くで感銘し、今はわからなくても将来きっとそのことを思い出す時が来ると思います。

5.イエスさま(神さま)に手紙を書く
今日の福音を受けて、子どもたちに手紙に書かせていただきたいと思います。
◆「イエスさまに(神さまに)、お手紙を書こう」
イエスさまはみなさん一人ひとりに、「今日は、ぜひあなたの家に泊まりたい」と言っておられます。それは、みなさん一人ひとりと一緒にいて、「きみはとてもすばらしい」「きみの中には、神さまがいらっしゃるんだよ」と、伝えるためです。

  • イエスさまに(神さまに)お手紙を書いてみましょう。
    「きみの中には、神さまがいらっしゃるんだよ」と言ってくださるイエスさまにお話ししたいこと。
    回りの人、友だち、家族の人から言われて(してもらって)嬉しかったこと。
    自分が変われたこと、これから、人にしてあげたいこと。
    そんなことをイエスさま(神さま)に書いてみましょう。
  • それ以外の内容でも、イエスさま(神さま)に聞きたいこと、話したいことがあったら、自由に書いてください。
  • イエスさま(神さま)は、皆さんが真剣に書いたことには、真剣に答えてくださいます。
    だから、真剣に、誰にも内緒で、書いてみましょう。
  • 名前は書かなくていいです。

*できればリーダーも一緒に書いていただくと、子どもたちもより一生懸命に取り組めると思います。
*この手紙は、ミサの中で、奉納物「救いと喜びの家」(後で詳述します)と共に奉納されます。
 今回は、小教区毎に手紙を一まとめにし、奉納物「救いと喜びの家」とは分かれた形、にして御用意ください。(奉納物に、手紙を貼り付ける等で、奉納物とセットになっている場合は、それで結構です)
 手紙は、当日ミサ前に、所定の場所に箱を用意いたしますので、その中に提出していただくことになります。提出された手紙は一人の代表者が運び、奉納物「救いと喜びの家」は各教会代表の一人の子どもが運びます。

 

3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明

今回の奉納は、小教区(聖堂共同体)ごとに、「救いと喜びの家」(後で詳述します)を奉納していただきます。一人の子どもが運べるような物にお作りください。(こどものミサ当日持って来てください)
製作していただく奉納物については、当日のスムーズな進行のため、ある程度の制約をこちらで決めさせていただきました。ご協力のほどよろしくお願いします。
「救いと喜びの家」
今回の奉納物は、「ザアカイの喜びを表すもの」と考えました。ザアカイは、「主よ、わたしは財産の半分を貧しい人々に施します。まただれかから何かだまし取っていたら、それを四倍にして返します。」と言いました。イエスさまは、「今日、救いがこの家を訪れた」と言われました。その時、新しく生まれ変わったザアカイの中には、救いと喜びの灯が、熱く、明るく灯ったことでしょう。
それで今回の奉納物は「救いと喜びの家」という名で、「中にろうそくの火を灯し、窓から光がこぼれる家、等」を作っていただきたいと思います。(「光源」となる「ろうそく」については後に詳述します)
◇個数:小教区毎に1軒(あるいは一体)
◇機能:「救いと喜びの家」は、カテドラルの祭壇の前の階段に置きます。倒れてしまうと、見えなくなってしまうので、自立するもの、にしてください。
◇大きさ:高さは、30センチはあるものにしてください。(その程度の大きさがないと、皆から見えないため)「救いと喜びの家」の台座の幅は、38センチ以下(祭壇の前の階段に置くため:38センチは階段の踏み段の《奥行き》です)でお作りください。
 (ただし子ども一人で持って奉納できる大きさ・重さ以下(厳守))
◇材質:可燃物でお願いします。
特に、当日持ち帰りを希望されない教会の奉納物は、教会学校委員会で適切に後処理を行いますので、金属、粘土などではないもので作って頂きますようお願いします。

 

作り方について2

  • ろうそくを中心に、3面を囲んでいただき、そこに窓をあけ、ろうそくの光がこぼれるようにしてください。   《基本的な形》⇒
  • 4面囲まないのは、熱がこもらないため、またスタッフが奉納後に着火するためです。
  • ろうそくが燃える場所の真上には、何も作らないでください。   
  • 窓にセロファン紙等を貼ることで、光の色を工夫いただけると思います。3
  • ザアカイの喜びが表れるような姿に作っていただければ幸いです。

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「光源」の「ろうそく」について【重要】

  • ろうそくの位置については、上図《基本的な形》のような仕方で作っていただきます。※ろうそくもご準備ください。
  • 「ろうそくの転倒」「ろうそくが燃え尽きて芯が倒れる」などの事態は火災につながりますので、祭壇で用いるろうそくなど、直径が6㎝以上あるものに限定させていただきます。
  • 受け皿は、ビンや缶のフタなど、金属製の物を用い、ろうそくを完全に固定してください。
  • 制作後、一度ろうそくに点火いただき、製作物が燃える危険がないことを、お確かめください。

◆ろうそくの点火は、祭壇前に奉納後、スタッフが行います。

 

奉納物〈救いと喜びの家〉の奉納

◇「奉納物〈救いと喜びの家〉」はミサの中で奉納します。

  • 各教会1名の代表者(厳守)が、中央通路を通り、祭壇まで進みます。そして大司教様に手渡します。その後、係が奉納物を並べていきます。(※例年奉納の行列が長くなってしまうので、代表者は必ず1名でお願いします。)
  • 「奉納物」を持ち帰りたい教会は、ミサ当日に会場の受付で申し出て下さい。

 

4.ミサで歌う曲・申し込みハガキの控え

入祭「神さまといつもいっしょ」
アレルヤ「アレルヤ心をひらいて」
奉納「主と共に」「御手の中で」「愛されているこどもらしく」
感謝「感謝の賛歌」上村さん
平和「キリストの平和」
拝領「あなたに愛されて」「ウィズクライスト」「わたしをお使いください」
閉祭「アーメンハレルヤ」

————————————-(申込みハガキ内容)————————————-

1.「こどものミサ」参加の有無
 10月14日(日)の「こどものミサ」への参加の有無をお知らせください。

 教会名 (         )教会
 参加する  参加しない   (○をつけてください)

 *おおよそ      人 (リーダー    人、子ども    人)

 *代表者名 

 *連絡先 ℡:          e-mail:

 2.子ども侍者団・参加の有無7

 前項で「参加する」に○をつけた教会の方へ。ミサの中で子ども侍者団を形成す
 る予定ですが,同侍者団への参加の有無をお知らせください。

 参加する  参加しない (○をつけてください)

 *各教会から1~2名でお願いします。
 *自教会で使用している侍者服を着用ください。
 *当日は午後1時45分迄に集合ください。

 3.リーダー準備会への出席の可否
 9月30日(日)夕方こどものミサに参加する教会のリーダーのための準備会が
 あります。当日についての説明と,当日の朗読,共同祈願などの担当を決めます。

 出席する  出席しない 

 *各教会から代表で1名ご参加ください。出席者名(           )

 日時:9月30日(日)午後4時30分~6時

 場所:東京カテドラル・関口会館2階,教区スペース。

 *尚、奉納担当者は、奉納物を持って、午後2時までにご集合ください。

             ご質問等は Keizo.ina@nifty.com  稲川圭三神父 迄

 お手数ですが 9/17 (月)までにご返送下さい。

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 以上、説明が大変長くなりましたが、よろしくお願いいたします。ご質問等ございましたら、下記のお問い合わせ先までご連絡ください。

問い合わせ先:
東京教区 教会学校委員会「こどものミサ実行委員会」
委員長 稲川圭三神父(カトリック麻布教会 主任司祭)
電話:    03-3408-1500
fax:     03-3408-2575
e-mail: keizo.ina@nifty.com