福音のヒント http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/ ja 2007-12-20T16:12:26+09:00 『福音のヒント』は引っ越しました。 http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/12/post_18.html 『福音のヒント』は以下の場所に引っ越しました。
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カトリック東京大司教区『福音のヒント』

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2008年(主日A年) ct 2007-12-20T16:12:26+09:00
待降節第三主日 (2007/12/16 マタイ11・2-11) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/12/_2007121611211.html

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ダウンロードができます  先週に引き続き、きょうの福音にも洗礼者ヨハネが登場しますが、本当の主役はもちろんイエスご自身です。きょうの箇所では、イエスによって実現したことが何だったのか、ということが示されています。「待降節第3主日」は「喜びの主日」と言われてきました。待降節は、英語で「Adventアドベント(到来の意味)」ですが、イエスの到来によってもたらされた喜びとは何なのかを味わう箇所としてきょうの福音を読むと良いでしょう。]]> 2008年(主日A年) ct 2007-12-16T17:13:50+09:00 待降節第二主日 (2007/12/9 マタイ3・1-12) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/12/_20071293112.html

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ダウンロードができます  待降節は、英語では「アドベントadvent」と言いますが、本来の意味は「到来」です。待降節第2、第3主日の福音では毎年、洗礼者ヨハネに関する箇所が読まれます。それはわたしたちが洗礼者ヨハネの弟子になるためではありません。わたしたちはイエスの弟子になろうとしています。洗礼者ヨハネとともに、彼がその到来を告げ知らせた「来(きた)るべき方」のほうに心を向けていくのです。]]> 2008年(主日A年) ct 2007-12-09T14:53:49+09:00 待降節第一主日 (2007/12/2 マタイ24・37-44) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/12/_2007122243744.html

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ダウンロードができます  クリスマスの4週前の日曜日から待降節が始まります。教会の暦ではこの待降節第一主日から新しい年になります。3年周期の主日のミサの朗読配分ではA,B,C年のうちA年にあたり、福音朗読では主にマタイ福音書が読まれていきます。  「待降節」という日本語は「主の降誕を待つ季節」という意味では分かりやすいのですが、ラテン語はアドヴェントゥスADVENTUS(英語ではアドヴェントadvent)で、「到来」を意味する言葉です。待降節とは、2000年前にイエスが世に来られたことを思うだけでなく、世の終わりに栄光のうちに再び来られることを思う季節でもあります。待降節の福音朗読は毎年、終末についての説教からとられた「目を覚ましていなさい」という言葉から始まります。 ]]> 2008年(主日A年) ct 2007-12-02T16:57:43+09:00 王であるキリスト (2007/11/25 ルカ23・35-43) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/11/20071125_233543.html

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ダウンロードができます  教会の暦には、クリスマスと復活祭を中心にした4つの「季節」(待降節・降誕節・四旬節・復活節)があり、それ以外の期間を「年間」と呼んでいます。王であるキリストの祭日は年間最後の主日にあたります。「王」というのは現代日本のわたしたちには馴染みにくいイメージですが、この祭日のテーマは、キリストがすべてにおいてすべてになる、終末における救いの完成ということです。ところで、王であるキリストのミサの聖書朗読の箇所は年によってずいぶん違っています。いずれもただ単に「キリストが王である」ということよりも、キリストが「普通の人間の王とどのように異なる王であるか」を表す箇所が選ばれています。「王」という言葉にあまりこだわらずに、福音の箇所そのものを味わってみたらよいでしょう。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-11-25T16:40:51+09:00 年間第33主日 (2007/11/18 ルカ21・5-19) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/11/3320071118_2151.html

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ダウンロードができます  教会の暦で「年間」の終わりにあたる3つの日曜日(年間第32、33主日、王であるキリストの祭日)は「終末主日」と呼ばれています。これらの主日の典礼は「終わり」(世の終わり、あるいは、個人の終わりである死)ということにわたしたちの心を向けさせます。  マタイ、マルコ、ルカ、3つの福音書では、イエスの活動の最後に終末についての説教が置かれています。マルコとマタイでは、終末についての説教はイエスが神殿を去った後、オリーブ山で語られたことになっていますが、きょう読まれるルカ福音書では神殿の境内で語られたことになっています。ルカ福音書にとって神殿は、イエスの「父の家」(ルカ2章49節)であり、「祈りの家」(19章46節)であり、最後までイエスの活動の中心的な場だったと言えるでしょう(写真は現在のエルサレム。イエスの時代に神殿があった場所です)。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-11-19T16:56:11+09:00 年間第32主日 (2007/11/11 ルカ20・27-38) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/11/3220071111_2027.html

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ダウンロードができます  教会の暦ではもう「年間」の終わりに近づいています。きょうの年間第32主日から再来週の「王であるキリスト」の祭日(年間最後の主日)までの3つの主日は「終末主日」と呼ばれています。「終わり」(世の終わり、あるいは、個人の終わりである死)ということに思いを馳せるときです。  福音の内容は復活についてのサドカイ派との問答です。ルカ福音書19章45節から、イエスはエルサレムの神殿で活動を始め、当時の宗教的指導者たちと論争しました。イエスと彼らとの対立は深まるばかりで、イエスご自身の受難と死の時が迫ってきています。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-11-11T14:16:15+09:00 年間第31主日 (2007/11/4 ルカ19・1-10) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/11/312007114_19110.html

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ダウンロードができます  ルカ福音書9章51節から始まったエルサレムへの旅も終わりに近づきました。きょうの福音の舞台は、エルサレムまであと20キロほどエリコという町です。このザアカイの物語もルカ福音書だけが伝える話ですが、イエスの旅は最後まで神の愛とゆるしを告げる旅だったということを、強く印象付ける物語だと言えるでしょう。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-11-04T16:08:47+09:00 年間第30主日(2007/10/28 ルカ18・9-14 ) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/10/post_17.html

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ダウンロードができます  エルサレムへの旅の段落の中にあるたとえ話で、この話もルカ福音書だけが伝えているものです。先週の箇所(やもめと裁判官のたとえ話。ルカ18章1-8節)との関連を考えれば、祈りについての教えが継続しているとも言えるでしょう。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-10-28T16:15:05+09:00 年間第29主日 (2007/10/21 ルカ18・1-8) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/10/29200710211818.html

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ダウンロードができます  ルカ福音書の中の長いエルサレムへの旅の段落(9章51節~19章44節)は終わりに近づいています。この話もルカ福音書だけが伝える話です。  この箇所の直前、17章20節で「神の国はいつ来るのか」という問いかけがあり、イエスは「神の国は、見える形では来ない」「神の国はあなたがたの間にあるのだ」(20,21節)と答えました。と同時に「稲妻がひらめいて、大空の端(はし)から端へと輝くように、人の子もその日に現れる」(24節)とも言っておられます。その日その時は神の裁きが下される時です(22-37節)。この文脈から考えると、きょうの箇所は、その決定的な裁きの時に向かう心構えについての教えとして受け取ることもできるでしょう。 ]]> 2007年(主日C年) ct 2007-10-21T14:31:34+09:00 年間第28主日 (2007/10/14 ルカ17・11-19) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/10/282007101417111.html

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ダウンロードができます  エルサレムに向かうイエスの旅は十字架に向かう旅、十字架を経て天に上げられる旅でしたが、それはまた神の国を告げ、神のいつくしみをあらわし続ける旅でもありました。ルカ福音書はこの旅の間に、イエスのさまざまな言動の記録を伝えています。きょうの話もその中での出来事であり、ルカ福音書だけが伝える出来事です。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-10-14T11:53:29+09:00 年間第27主日 (2007/10/7 ルカ17・5-10) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/10/27200710717510.html

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ダウンロードができます  エルサレムへの旅の段落の中で、ルカは他の福音書にない独自の伝承(イエスについての言い伝え)を数多く伝えていますが、きょうの福音の少し前からは、マタイ福音書と共通する話がかなりあります(1-2節はマタイ18章6-7節に、3-4節はマタイ18章21-22節に、5-6節はマタイ17章20節によく似ています)。新共同訳聖書がルカ17章の1-10節に「赦し、信仰、奉仕」という小見出しを付けているように、ここにはいくつかのテーマが並んでいますが、本来、1-2節、3-4節、5-6節、7-10節は別々の伝承だったと考えたほうがよいでしょう。イエスの弟子としてふさわしい生き方はどういうものかを教える言葉として、さまざまな場面で語られた言葉が集められたもののようです。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-10-07T15:42:25+09:00 年間第26主日 (2007/9/30 ルカ16・19-31) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/09/26_2007930_1619.html

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ダウンロードができます  イエスのエルサレムへの旅が続いています。この旅の段落の中に、ルカは他の福音書にないイエスの多くの言葉を伝えています。今日の箇所のたとえ話もルカ福音書だけが伝えるものです。なお、お金や富の問題は先週の福音から続いているテーマだと言えます。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-09-30T16:37:02+09:00 年間第25主日 (2007/9/23 ルカ16・1-13) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/09/25_2007923_1611.html

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ダウンロードができます  イエスのエルサレムへの旅、十字架を経て天に向かう旅が続いています。この旅の段落の中に、ルカは他の福音書にないイエスの多くのことばを伝えています。きょうの箇所のたとえもルカ福音書だけが伝えるものです。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-09-23T12:21:21+09:00 年間第24主日(2007/9/16 ルカ15・1-32) http://tokyo.catholic.jp/cgi-bin/MT/archives/2007/09/242007916_15132.html

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ダウンロードができます  ミサの朗読には、長い形と短い形がある場合がありますが、この「福音のヒント」ではいつも長い形のほうを取り上げています。グループで分かち合う場合には、ミサほど時間の制約がないと思うからです。なおきょうの短い形では、11節以下の「放蕩息子の父のたとえ」が省略されていますが、それは今年(C年)の四旬節第4主日でも読まれた箇所だからでしょう。ルカ福音書の文脈では、イエスはエルサレムに向かう旅を続けています。その中でイエスは父である神の姿と神の国の喜びをはっきりと示していきます。]]> 2007年(主日C年) ct 2007-09-16T15:25:24+09:00