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2007年02月18日

年間第7主日 (2007/2/18 ルカ6・27-38)

教会暦と聖書の流れ

聖書本文

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 「貧しい人々は、幸いである」という言葉に始まったいわゆる「平地の説教」(ルカ6・20-49)の中の言葉で、先週の箇所の続きです。マタイの「山上の説教」(マタイ5~7章)にも似た言葉が伝えられています。マタイ5・39-40,44-48、7・1-2,12参照。さまざまな場面で語られたイエスの言葉を集めたもののようですが、どのような意図で集められたのでしょうか。新しくキリスト信者になった人々に、これからの生き方の指針を示すためだったのではないかという見方があります。

福音のヒント

  (1) 「敵を愛し、あなたがたを憎む者に親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい」。イエスは徹底的な愛を要求します。それは無条件の愛、見返りを求めない愛です。マタイ5・40では「あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、上着をも取らせなさい」となっていますが、ルカで上着と下着が逆転しています。マタイのほうは裁判の場面が考えられているのに対して、ルカのほうは強盗に襲われた場面を考えているようです。31節の「人にしてもらいたいと思うことを、人にもしなさい」は黄金律と呼ばれる言葉で、マタイ7・12にもあります。32-34節「罪人(びと)でも」の罪人は、ここでは「神から離れている人」の意味でしょう。マタイ5・46,47では「徴税人」「異邦人」となっています。「神を知らない人」と考えてもいいかもしれません。ここでも「ギヴ・アンド・テイク」のような愛を超えた愛が求められています。

  (2) イエスは確かに厳しい要求をしますが、それは単なる要求ではありません。この要求の根拠となる言葉があります。「そうすれば、たくさんの報いがあり、いと高き方の子となる。いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深いからである。あなたがたの父が憐れみ深いように、あなたがたも憐れみ深い者となりなさい」(35-36節)。
 「いと高き方」はもちろん神のことです。「たくさんの報い」と言いますが、神からの報いを期待しなさい、という意味でしょうか。しかし、ここでは「人間の行為に応じて、神が報いを与える」(=応報)という以前にもっと大切なことがあるのです。それは「いと高き方は、恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」ということです。これは応報の考え方を否定するような言葉です。あなたがたはこの神の愛を知ったはずだ、だから神の子として、その神の愛をもって人に対していきなさい、ということになるでしょう。これは、「貧しい人々は、幸いである、/神の国はあなたがたのものである」という福音の宣言とも無縁ではありません。この神を知ったことが弟子の生き方の原点になるのです。
 イエスは「新しい律法」を与えているのではなく、神の愛を受けた神の子としての新しい生き方はこうなのだと指し示しているのではないでしょうか。根本に神の国の福音がある、ということは今日のイエスの言葉を受け取るために忘れてはならないことです。

  (3) さらにこれらの言葉が、単なる言葉ではなく、イエスの生き方と結びついていることも大切でしょう。この点でルカ福音書が伝えるエピソードは印象的です。エルサレムに向かうイエスを歓迎しなかったサマリア人の村を見て、焼き滅ぼしてしまおうと考えた弟子たちをイエスは戒めました(ルカ9・51-56)。イエスを逮捕しに来た大祭司の手下の耳をイエスの弟子が切り落としたとき、イエスはその耳をいやされました(ルカ22・50-51)。さらに、イエスを十字架につけた人々のための祈りが伝えられています。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです」(ルカ23・34)。
 きょうのイエスの言葉は、ただ単なる弟子たちへの要求ではなく、イエスご自身が十字架に向かう中で最後まで貫かれた生き方を表す言葉なのです。

  (4) しかし、今日のイエスの言葉をわたしたちの現実に当てはめようとしたとき、大きな困難も感じられるでしょう。わたしたちは国家間や民族間の戦争、テロ、拉致という問題に直面しています。あるいはもっと身近なところで起きている犯罪、暴力、虐待、いじめなどという現実もあります。被害者がただ単に無抵抗で、それでも加害者を愛せばよい、というだけでは解決にならないでしょう。被害者は暴力や虐待から守られなければならないはずです。「暴力をふるう夫を、それでも妻はゆるし、耐えろ」とイエスは教えているのでしょうか。そんなはずはありません。そういう意味で、今日のイエスの言葉をどんな場面にも通用する法律や規則として、文字通り受け取ることはできないはずです。
 しかし逆に、「暴力を受けたら報復するのは当然」という考えで突き進んでいったときにも悲惨なことが起きます。暴力の問題、人と人との間にある憎しみや敵意の問題には、決して安易な解決はないと言わざるをえないでしょう。

  (5) 暴力とは人が人を支配する力です。その支配に屈することでもなく、憎しみや復讐心を抱くという形で暴力に振り回され続けるのでもなく、どうしたらその支配から解放されるのか。暴力の連鎖をいかに断ち切ることができるのか。イエスの言葉、そして十字架の死に至る生き方は、そのことをわたしたちに問いかけているのではないでしょうか。
 イエスが確信していたことは、「恩を知らない者にも悪人にも、情け深い」神の愛でした。神は一人一人の人間の苦しみに深く共感され、すべての人が生きることを望まれるので、「悪人にも善人にも太陽を昇らせ、正しい者にも正しくない者にも雨を降らせてくださる」(マタイ5・45)方なのです。そしてその愛を本当に知ったとき、憎しみや復讐心から解放された生き方が始まる。この福音の世界への大きな招きを感じ取りたいものです。

投稿者 ct : 2007年02月18日 14:36

コメント

今日の福音(ルカ6.27-38)の内の次の箇所は、やろうとしない者には永久に愚かしいことに観えるが、やってみるとこれは珠玉の寒露になる、そうせざるを得ない状況に投げ込まれて、そうせざるを得なくなってやった私のような愚鈍な者にも、やってみると苦難を乗り切る唯一の手段だと解る、司祭との軋轢、隣人との軋轢、それを冷静に料理してくれて、“どうだ、美味しいだろう”という神の声を聴かせられるのも、この言葉の実行である。
HPのURLからCGI形式のメール・フォーマットあり、詳細はURL内の記述を参照してください。


6:28 悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。
6:29 あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬をも向けなさい。上着を奪い取る者には、下着をも拒んではならない。

投稿者 tiisaimono : 2007年02月14日 20:34

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