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2006年02月26日

年間第8主日 (2006/2/26 マルコ2・18-22)

教会暦と聖書の流れ

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 神の国の到来を告げ、悪霊や病気に苦しむ人々をいやしたイエスの周りには多くの人々が集まり、イエスの弟子になる人もいました。しかし、一方ではイエスの言動をこころよく思わない人々の姿もあったことをマルコ福音書は伝えています。罪のゆるしを宣言したこと(2・1-12)、罪びとと一緒に食事をしたこと(2・13-17)でイエスは非難されました。それに続くきょうの箇所でも論争的な雰囲気(ふんいき)が続いています。

福音のヒント

 (1) 律法で決められていた断食の日は年に1回の「贖罪の日」だけでした(レビ記16章参照)が、熱心なユダヤ人はこれ以外にも自発的に断食をしていました。洗礼者ヨハネは荒れ野で「いなごと野蜜を食べていた」(マルコ1・6)と言われますので、その弟子たちも当然断食をしていたのでしょう。ところがイエスの弟子たちは断食しません。イエスの弟子たちは、当時の宗教的熱心さの基準から言えば、立派な人たちではなかったようです。
 断食とは何でしょうか。今では「ダイエット」ぐらいしか思い浮かばないかもしれませんが、本来の断食はもちろん宗教的な行為でした。ふだん当たり前のように食事をしているわたしたちは、一時的に飢えを経験することによって、自分が食べ物なしに生きられない者であることに気づきます。そして、その自分を生かしてくださる神の恵みに感謝し、また、飢えに苦しむ人々のことを思うことにもなります。自分1人の力では生きられない自分を見つめ、神とのつながり、人とのつながりを深く受け止め直すのが断食の基本的な意味なのです。だからこそ、断食は「回心のわざ」と言われます。そういう意味で断食は人間の弱さを見つめるチャンスです。ところが、へたをすると断食は自分を誇る道具にもなります。「自分はこれほど熱心に断食している」と人に対して自分を誇るのです(マタイ6・16-18参照)。そして断食しない人間はいい加減な信仰生活をしていると人を非難することになります。これがきょうの福音でイエスの弟子たちを非難した人々の問題でしょう。

  (2) イエスご自身は神の国の到来を告げる活動を始める前に、荒れ野で40日間断食したと伝えられています(マタイ4・2、ルカ4・2)。しかし、活動を開始してから断食をした記録はありません。むしろ、こんな言葉が伝えられています。「ヨハネが来て、食べも飲みもしないでいると、『あれは悪霊に取りつかれている』と言い、人の子が来て、飲み食いすると、『見ろ、大食漢で大酒飲みだ。徴税人や罪人の仲間だ』と言う」(マタイ11・18-19)。
 ここでもイエスは弟子たちをかばいながら、「花婿が一緒にいるのに、婚礼の客は断食できるだろうか」(19節)と言います。神と人とが結ばれる救いの実現を聖書はたびたび結婚のイメージで伝えています。イエスにとって、今は神の国の到来の時、神の救いが実現する喜びの時であり、断食などしている場合ではないのです。

 (3) 「ディダケー」という2世紀初めの文書によると、初代教会のキリスト信者は水曜日と金曜日に断食したと伝えられています。また「日曜日は断食しない」ということも古くから決まっていました。これらの実践は、「花婿が奪い取られる時が来る。その日には、彼らは断食することになる」(20節)というきょうの箇所の言葉に基づいています。いやむしろ、初代教会の実践が福音書に反映していると見ることもできるでしょう。そして、マルコはここで早くも、イエスの受難を予感させようとしているとも言えるでしょう。

 (4) キリスト教の伝統の中では、断食には主に2つの意味があります。1つにはきょうの福音にあるように、キリストの受難と死を思うためです。断食のもう1つの意味は悔い改めの心を表すことです。カトリック教会で決められている断食は「大斎・小斎(たいさい・しょうさい)」と呼ばれますが、「大斎」は年に2回、四旬節の初めの「灰の水曜日」とイエスの受難を記念する「聖金曜日」だけです(ちなみに今年は3月1日が灰の水曜日にあたり、聖金曜日は4月14日です)。「大斎」とは1日に1回だけ十分な食事を取り、後1回わずかな食事を取ることができるというものです。「小斎」は鳥獣の肉を食べないことで、この2日以外の毎週金曜日も小斎の日です。ただし、この「小斎」は他の形での回心や愛の行いに変えることができることになっています。なお、大斎や小斎は高齢者や子ども、病人などには免除されています。いずれにしろ、形式的に食物を絶つのではなく、その断食の意味を深く受け止めることが大切だと言えるでしょう。
 
 (5) 21節から布とぶどう酒のたとえは、この断食についての問答に結びつけられていますが、本来は独立した教えだったようです。織りたての布と古い布では洗濯の際に縮み方が違う、ということや、新しい酒はまだ発酵が進んでいるのでそれを入れる皮袋も弾力性のあるものでなければならない、という当時の常識が前提とされています。18節からの文脈の中で考えると「古い皮袋」は旧約時代の断食のことになり、それは今のこの「新しい喜びの時代」には意味がないということになります。新しいものと合わない古いものは全部捨てられるべきだ、ということでしょうか。しかし、ただ単に捨てるというのではないかもしれません。この文脈で「新しい皮袋」を新約時代のキリスト者の断食と受け取れば、行為の内容が変わるのではなく、同じ行為でも、そこに新しい意味が与えられていることになります。わたしたちの現実の中にもそういうことがあるのではないでしょうか。
 ところで、イエスの言葉も2000年も前の言葉です。ここで言われる「新しさ」とは年月がたてば古くなるようなものではなく「決して古びることのないもの」と考えたらよいのではないでしょうか。わたしたちはそういう言葉としてイエスの言葉を聞いています。

投稿者 ct : 13:39 | コメント (0)

2006年02月19日

年間第7主日 (2006/2/19 マルコ2・1-12)

教会暦と聖書の流れ

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 先週の重い皮膚病の人のいやしに続く場面です。イエスのもとには大勢の病人が押し寄せてきました。ここでは「病気のいやし」と「罪のゆるし」が深く結びついています。

福音のヒント

  (1) 2節「御(み)言葉を語っておられると」とありますが、マルコはイエスのメッセージの内容をその都度伝えることをしません。根本的なメッセージはいつも同じで、神の国の福音(1・14-15)と考えればよいでしょう。4節「屋根をはがして」と言いますが、当時の家の壁は丈夫でしたが、屋根は小枝を渡して、軽く土で固めたものだったので、簡単にはがれたようです。「床(とこ)」は担架のようなものと考えればよいでしょう。
 5節の「その人たちの信仰を見て」というときの「信仰」は病人を運んできた人々の信仰ですが、この言葉は日本語で「信仰」というよりももっと広い「信じること」を意味しています。頭の中で「イエスは神の子キリストである」と信じるというよりも、この方ならなんとかしてくれると信頼してイエスに向かっていく態度だと言ったらよいでしょう。イエスはそのような態度を評価しているのです。なお、この人々の姿に、最も弱く、苦しんでいる人を囲んで集う教会の原点を感じ取ることもできるのではないでしょうか。

 (2) 「子よ、あなたの罪は赦(ゆる)される」(5節)とはどういうことでしょうか。イエスの時代、病気は悪霊の仕業であるという考えがありましたが、病気や障害は罪の結果である、という考えもありました。何らかの罪を犯したからこのような不幸がこの人の上に臨んだのだ、と考えられたのです。イエスはこのような見方に同調しているのでしょうか。
 ヨハネ9・1-3に次のような話があります。「イエスは通りすがりに、生まれつき目の見えない人を見かけられた。弟子たちがイエスに尋ねた。『ラビ、この人が生まれつき目が見えないのは、だれが罪を犯したからですか。本人ですか。それとも、両親ですか。』イエスはお答えになった。『本人が罪を犯したからでも、両親が罪を犯したからでもない。神の業がこの人に現れるためである。』」イエスは病気や障害という人の不幸を罪の結果であると見ていません。イエスは過去にさかのぼって原因を説明するのではなく、「今、神がこの人に何をなさろうとしているか」ということだけを見つめています。
 この箇所でも、イエスはこの人の病気の原因はこの人の罪であると宣言しようとしているのではなく、この人を「子」として受け入れ、罪をゆるすことが神の望みなのだと宣言していると受け取ればよいでしょう。

 (3) 「中風の人に『あなたの罪は赦される』と言うのと、『起きて、床を担いで歩け』と言うのと、どちらが易(やさ)しいか」(9節)。イエスはどちらを易しいと考えているのでしょうか? 意外に答えにくい問題かもしれません。しかし、本当は難易度の比較が問題ではないのでしょう。当時の人々にとって「罪をゆるす」ことと「病気をいやす」ことは同じだったので、イエスはその両方を彼にもたらそうとしていると考えればよいのでしょう。この人の罪がゆるされる、という目に見えない現実は、この人が床を担いで歩く、という目に見える出来事によって明らかにされるのです。

 (4) 「人の子が地上で罪を赦す権威を持っている」(10節)の「人の子」という言葉は元来、人間一般を指す言葉でした。しかし、ダニエル7・13で天の雲に乗ってくる方が「人の子のような者」と言われたことから、最終的に神から遣わされる救い主・審判者の意味を持つようになりました。ここでは「イエスがそのような特別な方だから赦すことができる」という意味でしょうか。しかし、「人間一般が罪を赦す権威を持っている」と考える可能性もあります。マルコ2・27-28「安息日は、人のために定められた。人が安息日のためにあるのではない。だから、人の子は安息日の主でもある」の場合の「人の子」は「人間一般」の意味だと考えるのが自然でしょう。また、マタイ9・8ではきょうの箇所と同じ話の結びに「人間にこれほどの権威をゆだねられた神を賛美した」とあり、そこでも「人間一般に罪をゆるす権限が与えられている」と考えられるからです。
 「神おひとりのほかに、いったいだれが、罪を赦すことができるだろうか」(7節)という律法学者の考えは確かに正論かもしれません。律法学者は、病気に苦しむ人に「罪びと」のレッテルを貼り、罪は神しかゆるせないから自分たちは何もできない、と考えました。そして、目の前の人の苦しみを見て見ぬふりしている自分たちの態度を正当化してしまうのです。イエスはまったく違います。イエスはその人の苦しみに向き合います。そして「神はこの人を決して見捨てていない」という確信を持って彼と関わっていくのです。

 (5) 「罪」とは根本的に言えば「神から離れること」です。普通は人間が自己中心から神に背くことを罪と言いますが、イエスの目の前にあった罪の問題は、むしろ病気であるがゆえに「罪びと」のレッテルを貼られ、神からも人からも見放されてたようになっていた人々の問題でした。神が罪をゆるすということは、傷つき、失われた人間との関係を神のほうが取り戻そうとされることです(ルカ15章の放蕩息子のたとえの父親の姿を思い出しましょう)。イエスはすべての人に対するこの神のゆるしを確信していました。イエスは神のゆるしを目の前の苦しむ人にもたらします。逆に、律法学者のような態度は、神の望みであるゆるしが人に届くのを妨げてしまいます。わたしたちもイエスのように、神のゆるし(=神の思い、神の愛)を人に届けることができるでしょうか。それは「ゆるしの秘跡」だけのテーマではなく、わたしたち一人一人の人との関わり方の問題でしょう。

投稿者 ct : 15:31 | コメント (0)

2006年02月12日

年間第6主日 (2006/2/12 マルコ1・40-45)

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 マルコ福音書は1章39節で、イエスの活動をまとめて「ガリラヤ中の会堂に行き、宣教し、悪霊を追い出された」と述べています。「悪霊を追い出す」ことは「病人をいやす」ことと密接に結びついていました(先週の「福音のヒント」参照)。きょうの箇所は一人の病人とイエスとの出会いを伝えています。

福音のヒント

 (1) 「重い皮膚病」は聖書の中で以前は「らい(病)」と訳されていましたが、1996年の「らい予防法」廃止を契機に新約聖書・新共同訳で「重い皮膚病」と訳されることになりました。差別的なニュアンスのある「らい(病)」という言葉を避けるためであり、また、聖書の中のこの病気が現代医学の「ハンセン病」と同じだとは言い切れないからです。しかし、「重い皮膚病」と言ってしまうとあまりに漠然としていて、古代から続くハンセン病の患者たちの大きな苦しみを感じることができなくなってしまうかもしれません。
 聖書の世界で「重い皮膚病」の人々が負わされていた苦しみはレビ記の規定から想像できるでしょう。「重い皮膚病にかかっている患者は、衣服を裂き、髪をほどき、口ひげを覆い、『わたしは汚(けが)れた者です。汚れた者です』と呼ばわらねばならない。この症状があるかぎり、その人は汚れている。その人は独りで宿営の外に住まねばならない」(レビ13・45-46) 。「伝染病」という考えはなくても、「汚(けが)れがうつる」という考えはありました。「汚れている」とは「聖である神」と対極にいる、神からもっとも遠い人間だということです。また、この病は「神に撃たれたもの」とも考えられました。「宿営の外」は共同体から追放されることを意味しています。神との関係も人との関係も完全に絶たれてしまうのです。肉体的な苦しみだけでない、大きな苦しみがその人を襲っていたことになります。このような苦しみを理解せずに、きょうの箇所を理解することはできません。

 (2) 「御心ならば、わたしを清くすることがおできになります」「よろしい。清くなれ」(40-41節)は、直訳では「あなたが望むなら、あなたはわたしを清めることができます」「わたしは望む清められよ」です。単純で力強いイエスの言葉です。イエスは彼に触れました。触れることは相手の苦しみを共に荷おうとする動作だとも言えますし、「あなたは神からも、人からも断ち切られた人間ではない」という宣言だったとも言えるでしょう。
 病気や苦しみに対するイエスの態度はどのようなものだったのでしょうか。確かにイエスは人々を苦しみから解放しようとされました。しかし、最後にはご自分の身に降りかかってくる苦しみを受け入れました。病気や苦しみについて考えるとき、この両面を考えないわけにはいきません。どちらの場合も、イエスにとって大切なことは神とのつながり、人とのつながりを生き抜くことだったと言えばよいでしょうか。

 (3) 「深く憐れんで」は「はらわたを揺さぶられる」という言葉(C年年間第15主日の「福音のヒント」参照)ですが、写本上の問題があります。古代の多くの写本が現存していますが、各写本によって微妙な違いがあります。この箇所では「深く憐れんで」が「怒って」となっている写本があるのです。「深く憐れんで」のほうが分かりやすいことは確かです。しかし、書き写す際にわざわざ難しく書き換えることは考えにくいので、本来「怒って」だったと考えるべきかもしれません。「怒って」だとすれば、その怒りは何に対するものでしょうか。もちろん、目の前の病人に対してではないはずです。この人を苦しめている何ものかに対する怒りだと言ったらよいでしょうか。いずれにせよ、イエスは目の前の苦しむ人との出会いの中で心を揺さぶられ、その人を助けます。イエスは「神の国の到来」を証明しようとして「いやし」を行なったのではないようです。「だれにも、何も話さないように気をつけなさい」(44節)という言葉にも、このようないやしの奇跡から自分を理解されたくないというイエスの思いを感じ取ることができるでしょう。

 (4) 「祭司に体を見せ」は社会復帰のための条件でした。当時、重い皮膚病と判定するのも、それが清められたことを判定するのも祭司の役割でした。肉体的にいやされても、祭司によって清いと宣言されなければ、もといた村や家族のところに帰ることはできないのです。イエスはただ単に彼の肉体的な病をいやすだけでなく、彼と人々との絆(きずな)を取り戻そうとしていると言ってもよいでしょう。

 (5) イエスによるいやしについて、アルバート・ノーランという南アフリカのドミニコ会司祭は次のように書いています。「イエスのいやしの活動が成功したことは、宿命論に対する信仰と希望の勝利として見られねばならない。病気を自分の定めとして諦めていた病人が、自分たちは治ることができるし、そうなると信じるよう勇気づけられたのだ。イエス自身の信仰、そのゆるぎない確信が病人のうちにこの信仰を呼び覚ました。信仰は、人々がイエスとの接触をとおして彼から獲得したある態度であった」(『キリスト教以前のイエス』篠崎榮訳。新世社)。わたしたちの時代もある種の宿命論(あきらめ)に満ちているかもしれません。「どうせ世界は変わりっこない」「あんな人はダメに決まっている」「どうせ自分はダメな人間だ」などなど。もちろん、イエスが受難の道を受け入れたように、人間には受け入れなければならないこともあります。しかしあきらめてはいけないこともあるはずです。イエスの信仰(確信)は、神はすべての人のアッバ(父)であり、どんな人をも決して見捨てることなく、ご自分の子として愛してくださる、ということでした。イエスのこの確信は現代のさまざまな形の宿命論(あきらめ)に挑戦してくるのではないでしょうか。

投稿者 ct : 14:01 | コメント (0)

2006年02月05日

年間第5主日 (2006/2/5 マルコ1・29-39)

教会暦と聖書の流れ

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 先週の箇所で、イエスは安息日に会堂で教え、悪霊に取りつかれていた人をいやしました(マルコ1・21-28)。今日の箇所はその続きで、同じ日の出来事です。29節「すぐに」、32節「夕方になって日が沈むと」、35節「朝早くまだ暗いうちに」と時間を追って、カファルナウムでのイエスの活動の様子が伝えられています。

福音のヒント

   (1) 30-31節にシモンのしゅうとめについての短い話があります。「手を取って起こされる」というイエスの動作は印象的です。イエスは病気の人に触れて、その人をいやしました。イエスに触れられることは、病人にとってどれほど大きな励ましだったでしょう。
 「病気をいやす」ということと「悪霊を追い出す」ということは現代人にとっては別のことと感じられますが、イエスの時代には明確に区別されていませんでした。悪霊は先週の「福音のヒント」でも述べたように「人を神から引き離す力、人と人との間を引き裂いていく力」と考えたらよいでしょう。当時の人々は「悪霊」という目に見えない、人間の力を超えた悪の力が、病気を引き起こすと考えました。ここでの「熱は去り」も「悪霊が去った」というふうに考えられたのかもしれません。その人を苦しめている悪の力が追放され、その人が神とのつながり、人とのつながりを取り戻すこと、それがイエスの行っていたことだと言えるでしょう。

 (2) 「もてなす」はギリシア語で「ディアコノーdiakono」です。「仕える、奉仕する」と訳されることが多い言葉です。この言葉はマルコ福音書の中で、イエス自身の生き方を表す言葉として、また弟子たちの生き方を指し示す言葉として重要です。マルコ10・43-45にこうあります。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである」
 つまり、「もてなす=仕える」人となったシモンのしゅうとめは、イエスの弟子になっていった、とも言えるでしょうし、イエスと同じように「愛と奉仕に生きる者」になっていった、と言ってもいいでしょう。ただ単に肉体的ないやしが問題なのではなく、イエスのいやしを体験することによって、その人の生き方が変わる、ということが大切なのではないでしょうか。わたしたちにもそのような体験があるでしょうか。

 (3) 34節「多くの悪霊を追い出して、悪霊にものを言うことをお許しにならなかった。悪霊はイエスを知っていたからである」は現代人には不思議に感じられる言葉かもしれません。1・24でも汚れた霊に取りつかれていた人はイエスに向かって「ナザレのイエス、かまわないでくれ。我々を滅ぼしに来たのか。正体は分かっている。神の聖者だ」と言いました。なぜ、悪霊はイエスの正体を知っていたのでしょうか。それは「人間の力を超えた霊的な力によって」と言うしかないでしょう。しかし、イエスが誰であるかを知っていても悪霊はイエスとの関わりを拒否するので、悪霊にとってイエスを知っていることは救いにならないのです。当たり前のことですが、これはわたしたちにも問われることかもしれません。わたしたちもイエスが「神の子、キリスト」であることを知っています。しかし、ただ単に頭で理解していてもそれだけでは何の役にも立ちません。問われているのは、わたしたちが、そのイエスという方とどのような関わりを持っているか、なのです。
 「ものを言う」は原文では普通の「話す」という言葉が使われていますが、面白い訳です。例えば、「肩書きがものを言う」という表現が日本語にはありますが、「ものを言う」は「悪霊が力をふるう」ことと同じだったとも言えます。イエスはそれを許さないのです。

 (4) マルコ福音書によれば、イエスの活動は「宣教し、悪霊を追い出す(=病人をいやす)」というものでした。「宣教する」と訳されたギリシア語の「ケリュッソーkerysso」は、「告げる、のべ伝える」という意味です。何をのべ伝えるかといえば、1・14-15にあった「神の福音」、すなわち「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」ということです。イエスが告げたのは「神の国の到来」でした。イエスの周りに集まった人々は、悪霊に取りつかれていた人が正気になり、病人が立ち上がるのを見て、確かにここに「神の国」が始まっていると感じたことでしょう。今のわたしたちにとって、神の国の到来はどのような形で実現していると言えるでしょうか?

 (5) 35節のイエスの祈りはどのようなものだったのでしょうか。イエスは何を祈っていたのでしょうか。マルコは祈りの内容を伝えませんが、祈りの後でイエスは「近くのほかの町や村へ行こう」と弟子たちに呼びかけます。それはイエスが祈りの中で受け取った「神の望み」だったのではないでしょうか。人間的な見方をすれば、イエスの活動はカファルナウムで成功しています。悪霊の力は打ち破られ、病人は立ち上がり、イエスは多くの人の賞賛を受けています。カファルナウムに留(とど)まることに何の問題もないのです。しかし、イエスは祈りの中で、人間の思いとは違う「神の望み」を見いだしていったのではないでしょうか。ゲツセマネの祈りもまさにそういう祈りでした(マルコ14・36)。
 神が一般的に何を望んでおられるか、ということは聖書に書いてあります。しかし、今、この状況の中で、このわたしに神が何を望んでおられるかということは聖書に書いてありません。それは一人一人が祈りの中で、沈黙のうちに語りかける神の言葉として受け取るしかないのです。イエスの祈りも多くの場合、そういうものだったのではないでしょうか。

投稿者 ct : 11:18 | コメント (0)