« ルカ10・38-42 (2004/7/18 年間第16主日) | メイン | ルカ12・13-21 (2004/8/1 年間第18主日) »
2004年07月25日
ルカ11・1-13 (2004/07/25 年間第17主日)
【教会暦と聖書の流れ】
ルカ福音書のエルサレムへの旅(神の国について語り続ける旅、十字架を経て天に向かう旅)の段落の中の箇所です。「祈り」についての教えですが、イエスの時代のユダヤ教の各グループには、それぞれのグループの特徴を表す典型的な祈りがあったようです。ルカは主の祈りをイエスに従う者の生き方を表す祈りとして考えているのでしょう。
【福音のヒント】
(1) 「主の祈り」は新約聖書の中に2つの形で伝えられています。この箇所と、もう1つはマタイ6・9-13です。イエスが教えた1つの祈りが繰り返し唱えられ、アラム語からギリシャ語へ翻訳されていく中で、2つの形になったと考えられています。
(2) 大切なのは、わたしたちがこの祈りをどのような思いで祈っているか、この祈りがどのようにわたしたちを支え、導いていてくれるかということです。ただ、主の祈りの言葉はけっして分かりやすいとも言えませんので、ここではいくつかの言葉を簡単に解説します。
この祈りの最大の特徴は、「父よ」という単純な呼びかけです。マタイにある「天におられるわたしたちの」は礼拝の中で唱えられていくうちに付け加えられたことばでしょう。「父よ」これはイエスご自身が神に祈ったときのことばでした。マルコ福音書のゲツセマネでの祈りでは「アッバ、父よ」とアラム語も伝えられています。アッバは子どもが父親を呼ぶときのことばです。信頼を込めてイエスは神に向かってこのように呼びかけました。ルカ福音書では、十字架のイエスの祈りが印象的です(23・34、46)。
「み名が崇められますように」は直訳では「あなたの名が聖とされますように」です。「名」は単なる「呼び名」ではなくそのものの本質を表します。「神の名」とは「神ご自身」の意味です。イザヤ29・23のように「人々が聖とする」ととれば、「人々が神を神として認めるようになる」という意味になりますが、エゼキエル36・23のように「神がご自分の名を聖とする」という意味にもとれます。この場合は、「神が救いの力を示すことによって、ご自分が神であることを現す」という意味になります。
「み国が来ますように」は「神の心がすべてにおいてすべてとなりますように」ということ。マタイ福音書は「み心が天に行われるように地にも行われますように」ということばを付け加えていますが、これは「み国が来ますように」を言い換えたものだといえるでしょう。
「必要な糧」「糧」の直訳は「パン」ですが、ここで生きるために必要なすべてを願っています。なお、ルカが「毎日」というところをマタイでは「今日」と言います。
「わたしたちの罪をゆるしてください」の祈願はマタイとルカで微妙に違います。マタイを直訳すると「わたしたちも自分に負い目のある人をゆるしましたから」となります。現在カトリックの典礼で用いられている訳は、「わたしたちも人をゆるします」となっていますが、これは宣言ではなく、「ゆるしてください。そうすれば、わたしも人をなんとかゆるしたいし、ゆるすことができるからです」というニュアンスで受け取ればよいと思います。
「わたしたちを誘惑に遭わせないでください」は切羽詰まった叫びのような終わり方です。マタイはこれに「悪(悪い者)から救ってください」という言い換えを付け加えて、礼拝にふさわしい形を整えています。「誘惑に遭わせないで」という訳も可能ですが、むしろ「誘惑に陥らせないで」のほうがよいでしょう。誘惑が来ることは避けられない(ルカ17・1)。ただその中で、神から離れてしまわないように、という祈りだと受け取ればよいでしょう。
(3) 5-8節のたとえ話は、「しつように頼む」ことを勧めています。マタイの教会はユダヤ人キリスト信者の共同体でしたから、祈ること自体はよく知っていて、その祈りが表面的・偽善的にならないように教える必要があったのに対し、ルカの教会は異邦人の教会ですから祈りの必要性そのものを訴える必要があったのでしょう。そこで「とにかく祈りなさい。神は必ず聞いてくださるのだ」ということが強調されています。9節「求めなさい。そうすれば与えられる…」は有名なことばです。ここで「与えられる」は「神が与えてくださる」の意味でしょう。祈りに魔術的な効果があるというよりも、神が必ず祈りを(人の叫びを)聞いてくださるということがここでもポイントです。
(4) わたしたちの中には、「祈ったら自分の思いがかなった」という体験もあるかもしれませんが、「祈っても祈っても自分の願いはかなえられなかった」という体験もあるでしょう。でもそれだけでなく、「祈って自分の思い通りにはならなかったけれど、何かが変わった」という体験もあるのではないでしょうか。ここでは「天の父は求める者に聖霊を与えてくださる」と言われています。それはどういうことでしょうか。3つのヒントだけ示します。
1. 聖霊は「神の力」です。祈りの中で与えられるのは神からの力だと言えるかもしれません。その力で困難を乗り越えることができた、という体験があるかもしれません。
2.聖霊は「神と人・人と人とをつなぐ力」です。祈りの中で神とつながっていること、人と人とがつながっていることを感じ、励まされたこともあるかもしれません。
3. マタイは似た箇所(マタイ7・11)で「天の父は、求める者に良い物をくださるにちがいない」ということばを伝えています。自分が思うものとは違っても、結局一番「良い物」が与えられたという体験もあるのではないでしょうか。
このように「祈りの中で何かが与えられた」「自分が変えられた」という体験を分かち合うことができれば、それは本当にすばらしいことでしょう。
投稿者 ct : 2004年07月25日 16:05
コメント
コメント欄にはその日の福音についての感想を書き込むことができます。福音の感想でなく管理者が不適切と判断した場合は、コメントを削除させていただくことがありますので、あらかじめご了承ください。 名前はハンドルネーム可、メールアドレスとURLは省略可(記入すると公開されます)。 ※ただいまコメントの投稿ができなくなっております。大変申し訳ございませんが、今しばらくお待ち下さいませ。