多摩西宣教協力体・平和を願うミサ 

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    2015/8/9 年間第19主日 (ヨハネ6章41-51節)
    八王子教会にて

     

    ミサのはじめに

    長崎原爆の日。70年。原爆と戦争で亡くなられたすべての人のために祈りましょう。この夏は特に安全保障法案が参議院で審議されています。多くの人が憲法に反し、日本が再び戦争への道を歩むのではないかと危惧している中、心から平和を願いましょう。

     

    ホミリア

    今日の福音にマンナという食べ物のことが出てきます。わたしが子どものころから、日本には「森永マンナ」というビスケットがありました。離乳食のようなお菓子で、赤ちゃんでも食べられるものでした。今もあります。ただパーケージのデザインが変わってしまいました。以前は「マンナ」という名前の説明が書いてありました。マンナとは「旧約聖書にある、“神が荒野をさまよえる民に与え給うた愛の食べ物”」その説明がなくなってしまったのはとても残念です。いいカテケージスになったのに!

    さて、マンナの特徴は二つです(出エジプト記16章参照)。

    一つは「多く集めた者も余ることなく、少なく集めた者も足りないことなく、それぞれが必要な分を集めた。」すべての人に必要なだけ与えられたということですね。

    もう一つの特徴は翌日までとっておけない。翌日まで取っておくと腐ってだめになってしまう。その日の分をその日に集めなければならない、ということ。

    荒れ野は厳しい環境です。ぎりぎりの食べ物しかなかった。神はその中でいつも一人一人を養い、そこにはある意味で平等な世界があった。しかし、約束の地に入り定住生活を始めると事態は変わります。人は土地を耕して作物を収穫し、それを蓄えるようになる。そしてだんだんと貧富の差が広がっていく。そこからものを奪い合う争いも起こる。マンナの世界はある意味、理想の世界なのです。マンナの世界は決して物質的に裕福な世界とは言えない。しかし、神に生かされ、人と人とが分かち合って生きる世界。これが本当に大切な世界。イエスが五つのパンと二匹の魚の出来事をとおして示してくださったのもその世界。いや、これはイエスが生涯かけて人々の伝えようとしたメッセージの核心と言ってもいいでしょう。

    人はいつの間にか神を忘れ、自分の力で生きている、と思い込むようになります。そうすると、あの人は自分より劣っていると人を見下してみたり、逆に自分なんかやっぱりダメ、どうせ救われないんだ、と絶望したりする。イエスの時代の社会を支配していた律法主義の問題はそれでした。イエスはそうじゃない世界を示しました。どんな人も例外なく大切にしてくださる神(アッバ)がいること。だから、わたしたちはその神に感謝し信頼することができるということ。そして与えられたものを皆で分かち合って生きる喜び。人と人との間にあるのは、競争心や勝ち負けや憎しみや差別、そんなものではなく、神が与えてくださったものを皆が分かち合い、互いに尊重し合って生きること。神はアッバであり、わたしたちはみな、神の家族、兄弟姉妹なのだ。社会の中で罪人のレッテルを貼られていた人、汚れているとされていた病人、一人前の人間と見なされていなかった女性や子ども、差別されていた外国人。その人々にあなたも同じ神の子だ、兄弟姉妹なのだ、イエスはそう語りかけていきました。だから本当にお互いを、人種や民族、性別や職業の違いを超えて一人一人を、誰一人例外なく、尊重し合って生きていこう。それが神の国だ。わたしたちはみんなそこに招かれているのだ。———イエスはこのことを命がけで人々に伝えました。

    今日、わたしたちはこのミサの中で、心を合わせて平和のために祈ります。平和を実現するためには、本当にこのイエスのメッセージを心に刻んで歩むことが大切です。今年2月、日本の司教団は戦後70年を迎えるにあたって『平和を実現する人は幸い〜今こそ武力によらない平和を』というメッセージを発表しました。「武力によらない平和」を強調しています。軍事力によって国の安全を確保しようとする考えではなく、すべての人、一人一人を尊重し、対話と相互理解を求め続けることによって、平和を実現しようと呼びかけているのです。

    このメッセージにはフランシスコ教皇が『福音の喜び』の中で述べている平和のための原則の中の「時間は空間にまさる」という考えが反映しています。

    「空間を優先させることは、現在の時点ですべてを解決しようとする、あるいは、権力と自己主張が及ぶ空間のすべてを我が物にしようとする愚かな行為へと人を導きます。・・・・時を優先させるということは、空間の支配よりも、行為の着手に従事するものです。」(『福音の喜び』223)

    あまりにもひどいテロや人権侵害が横行し、対話の可能性が見えない状況の中で何もしないでいるのはとても不安なことです。問題を空間的に見て、今のことだけを考えたら、一気に武力で物事を解決しようとしたくなる、そういう誘惑は大きいのです。しかし、それは結局、憎しみが憎しみを生み、敵意が敵意を生む暴力の連鎖を拡大させるだけです。対話と相互理解を求め続け、格差や差別をなくしていくこと、環境を大切にすること。今できることを探していき、そこから平和への歩みを始めること。わたしたち一人一人、身近なところからできることがきっとあるはずです。

    神からいただくものを感謝して分かち合う、このマンナの世界に向かって、五つのパンと二匹の世界に向かって歩み始めること、それが平和への道です。その道をほんとうにわたしたちがしっかりと歩むことができますように祈りましょう。