年始の集いミサ(ヘブライ1・1-6、マルコ1・14-20)説教

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    2015年1月12日 東京カテドラルにて

    ホミリア

    主の洗礼の翌日(今日)から「年間」になります。週日のミサの福音ではイエスの活動の歩みを追っていきます。毎年、マルコから始まります。第一朗読は、福音書以外の旧約新約の大切な箇所を読んでいきます。今年はヘブライ人への手紙から始まりました。今日の聖書朗読から新しい年の歩みを始めたわたしたちへの励ましとして、3つの箇所をご一緒に味わいたいと思います。

     (1)  ヨハネが捕らえられた後、イエスはガリラヤへ行き、神の福音を宣べ伝えて、「時は満ち、神の国は近づいた。悔い改めて福音を信じなさい」と言われた。(マルコ1・14-15)

    イエスの活動は福音を告知する活動でした。「福音」は「よい知らせ」であり、喜びに満ちた知らせです。フランシスコ教皇は使徒的勧告『福音の喜び』の中でそのことを強調しています。わたしたちはまずこの福音の喜びを受け取りたい。福音の内容は神の国の到来でした。2千年前のガリラヤの人々にイエスはこの喜びのメッセージを告げました。今のわたしたちにとっての福音は?『福音の喜び』の中にある次の言葉が分かりやすいのではないかと思います。「イエス・キリストはあなたを愛し、あなたの救いのためにいのちをささげられました。キリストは今も生きておられ、日々あなたのそばであなたを照らし、力づけ、解放してくださいます」(EG164) このイエスと出会うこと。日々、このイエスと共に生きること。それが福音の喜びです。祈りをとおして、みことばをとおして、秘跡をとおして、このイエスとの交わりを深めたい。どの年も同じことですが、年の初めに、このことを心に刻みながら、新しい年をスタートさせたいと思います。

    (2)  神は、かつて預言者たちによって、多くのかたちで、また多くのしかたで先祖に語られたが、この終わりの時代には、御子によってわたしたちに語られました。(ヘブライ1・1-2)

    神様の人間に対する語りかけ、働きかけの頂点がイエス・キリストなのだとヘブライ人の手紙は語ります。そこで考えられているのはたくさんのイエスの説教のことでしょうか?もちろんイエスはたくさんの言葉を語りました。しかし、ヘブライ人の終わりのほうにおもしろい表現があります。「アベルの血よりも立派に語る注がれた血」というのです。

    血が語る?なんかすごいイメージですが、背景にあるのは創世記4章の物語です。カインが兄弟アベルを殺したとき、神はカインに言われました。「お前の弟の血が土の中からわたしに向かって叫んでいる。今、お前は呪われる者となった。」兄弟によって殺された義人アベルの血が土の中から叫んでいる。それは呪いの叫びでした。それに対して、それよりも「立派に語る注がれた血」があるというのです。この血はもちろん十字架のイエスの血です。アベルの血が呪いの叫びであったのと違い、イエスの血は、愛を語っている。だからもっと優れている、というのです。

    大切なのは、生き方のあかしです。神の国の福音は言葉で告げられただけでなく、むしろ、イエスの生き方、人との関わり、十字架に至るまでの徹底した愛の中で、その福音は告げられていきました。わたしたちの福音宣教も、決して巧みなセールス技術のようなものではない。今年は第二バチカン公会議が終わって50年という年です。奉献生活のあり方、教会の宣教活動のあり方、教会の社会との関わり方、いろいろなことを見つめ直す年だと言えると思います。その中で、イエスの十字架の血が語りかける神の言葉をしっかりと受け取りながら、わたしたちもそれぞれの場で神の愛をあかししていきたいと思います。

    (3)  イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのを御覧になった。彼らは漁師だった。イエスは、「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」と言われた。(マルコ1・16-17)

    イエスが神の国の福音を告げ知らせる活動を始めたとき、最初にしたことは、弟子を呼ぶということでした。仲間を作ると言ってもいいかもしれません。神の国は具体的な人と人との出会いと関わりの中で始まるのです。

    東日本大震災と福島第一原発事故から4年たちます。大きく悲惨な災害、事故でした。復興のペースは遅く、福島では先の見えない状態が続き、追いつめられていく人がいるのが現実です。この震災は、しかし、教会にとって大きな転機となる体験でもありました。もうすぐ阪神淡路大震災から20年の記念の日を迎えます。あの震災を経験した大阪教区の司祭の言葉で、「震災によって、教会と地域を隔てていた壁が崩れた」という言葉がありました。今回の東日本大震災も同じようなことがありました。岩手、宮城、福島の教会は、被災者に寄り添おうとする活動をしてきました。全国からのボランティアもおおぜい参加しました。その中で見えてきた教会のビジョンは「地域とともに歩む教会」です。被災地の教会のある信者がこう言いました。「地震と津波が押し寄せてきたとき、周囲のだれも教会に助けを求めて来なかった。でもわたしたちはこの3年間、地域の人たちと一緒に歩んできた。今度、災害があったときに、思い出してもらえる教会になりたい」

    最初に呼ばれた四人の弟子は、内向きのグループを作るために呼ばれたのではありません。フランシスコ教皇がおっしゃるように、出かけていって、出会った人との間に神の国の喜びを分かち合うために呼ばれたのです。わたしたちは日本の中でほんとうに小さな存在です。でもわたしたちはそれぞれの地域の、周りの人々の中に派遣されているのです。地域とともに歩む教会という観点でわたしたちの小教区のあり方を見直してみていただきたいと思います。

    わたしたちの教会が、イエスとともにいる喜びを深く味わい、イエスと共に生き、福音の喜びを周囲の人々と分かち合う教会として成長することができますように。アーメン。