ペトロ岩橋淳一神父(1940.3.21-2014.10.24)通夜の祈り 説教

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    2014年10月29日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

    聖書朗読 ヨハネ15章12-17節

    (そのとき、イエスは弟子たちに言われた。)「わたしがあなたがたを愛したように、互いに愛し合いなさい。これがわたしの掟である。友のために自分の命を捨てること、これ以上に大きな愛はない。わたしの命じることを行うならば、あなたがたはわたしの友である。もはや、わたしはあなたがたを僕とは呼ばない。僕は主人が何をしているか知らないからである。わたしはあなたがたを友と呼ぶ。父から聞いたことをすべてあなたがたに知らせたからである。あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。あなたがたが出かけて行って実を結び、その実が残るようにと、また、わたしの名によって父に願うものは何でも与えられるようにと、わたしがあなたがたを任命したのである。互いに愛し合いなさい。これがわたしの命令である。」


    ホミリア

    岩橋淳一神父が上野教会の司祭館の階段で転倒したのは、今から4年前の2010年12月終わりのことでした。日本医科大高度救命救急センターに運ばれましたが、頸椎損傷ということで、それ以来、ほぼ全身マヒの状態になりました。呼吸も難しく、気管切開して、人工呼吸器が取り付けられました。つまり、口から食べ物を摂取することも、言葉を話すこともできなくなりました。その状態が半年以上続きました。その後、千住桜木病院に移りましたが、人工呼吸器をはずすことはほとんど不可能と言われました。この状態で人工呼吸器をはずすリハビリをしてくれる病院はほとんどないということでしたが、幸い、横浜市青葉区にある昭和医大藤が丘病院に転院することができました。そこで人工呼吸器をはずすことができ、話すことと口から食べ物を摂取することができるようになりました。さらに国立村山医療センターで、さまざまな訓練を受け、あごだけで操作する電動車椅子に乗れるようにもなりました。

    治療やリハビリが一段落して、長く暮らせるところと考えて、2012年夏からイエズス会のロヨラハウスで、さまざまな介護を受けながら生活することになりました。ロヨラハウスの館長リベラ神父やスタッフの皆様、隣の教区神学院の皆様にも、本当にお世話になりました。しかし、昨年夏ごろから介護だけでなく、医学的ケアが必要になってきました。桜町病院に移られ、治療を受けたり、療養されたりしていました。桜町病院にも本当にお世話になりました。しかし、少し前から肺の機能が落ちて行き、先週木曜日の夜、病状が急変し、24日(金)午前0時18分に死亡が確認されました。

    3年10ヶ月。本当によく耐えられたと思います。「もしもこれが自分だったら」今日、お集りの皆様も一度ならず、そうお考えになったことがあるのではないでしょうか。わたしはたまにしかお見舞いに行けませんでしたが、岩橋神父さんの苦しみは想像を絶するものだったと思いますし、何と声をおかけしていいかも分からないことが多かったです。

    その中で、ご兄弟、妹さんご夫妻、弟さんご夫妻が、ずっと付き添い続け、岩橋神父さんのために最善を尽くそうとなさっている姿に接し、本当にすばらしい家族愛だと思いました。家族や親しい皆様が、岩橋神父さんを支えてくださったのだと思います。東京教区として、司祭仲間としては、行き届かなかった点もあったと、申し訳なく思っています。

    個人的な思い出ですが、わたしが岩橋神父と初めて出会ったのは、今から40年も前の大学生の時です。そのころ岩橋神父は関町教会の主任司祭をなさっていました。若々しいとても元気な神父でした。当時、わたしは洗礼を受けて間もないころでしたが、「ぶどうえん」というボランティアグループで活動していました。年に2、3回、仲間と一緒にその機関誌を印刷するために関町教会の印刷機を借りていたのです。当時としては最新鋭の印刷機でした。いやな顔もせず、食堂を使うことまで許してくださったのでとてもありがたく思いました。印刷作業はだいたい徹夜になりましたが、それでも温かく見守ってくれていました。教会で朝を迎えて、他の仲間がホールで仮眠しているとき、わたしは教会の朝ミサにあずかったのを覚えています。その姿は、岩橋神父の目にも止まっていたようで、わたしが神学校に入った後も、いろいろな場面で理解し、応援してくださいました。とても感謝しています。

    岩橋神父はロヨラハウスでの療養中に『東京教区ニュース』の「教区司祭紹介」のインタビューを受けていらっしゃいます。その内容は、2013年3月号に掲載されています。

    その中で、若いときに、「死ぬ瞬間、満足して死ねるために何をして生きて行った良いだろうか」という疑問が起こり、「命を削ってまでできる仕事」として司祭への道を選んだ、とお話しになっています。

    岩橋神父さんは実にたくさんの、いろいろな働きをなさいました。教会の神父として、カトリック学校の先生として、中央協議会の事務局長として、その他、活動は多岐にわたっておられました。最後の3年10ヶ月の闘病・療養生活も司祭として生き抜かれたと思います。どうですか、岩橋神父さん。司祭として生きて、司祭として死んで、後悔ないですよね。

    「あなたがたがわたしを選んだのではない。わたしがあなたがたを選んだ。」

    先ほど読まれた福音のイエスさまの言葉です。イエスがあなたを選びました。人間的に見れば、こんなはずじゃなかったと思うようなこともたくさんあったでしょう。あまりにも困難で苦しみの多い道に導かれたと言ってもいいでしょう。でも、その中でイエスさまは最後まで一緒にいてくださって、守り導いてくださいましたし、今、岩橋神父さんを天の御父のもとで迎えてくださっていますよね。

    今日、ここに集まるわたしたち一同、岩橋神父さんの生涯を思い、その生涯をとおして示された神の大きなはからいに感謝しながら、通夜の祈りをおささげしたいと思います。