十字架のヨハネ 井上洋治 葬儀ミサ説教

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    1927.3.28生まれ 1960.3.18司祭叙階 2014.3.8帰天(86歳)
    (ガラテヤ4・4—7、ヨハネ14・6—11a)

     

    2014年3月18日 東京カテドラルにて

     

    井上洋治神父は87歳の誕生日を目前にした3月8日(土)、地上の歩みをまっとうし、天に旅立っていかれました。

    わたしは東京教区の補佐司教ですが、神学生時代から井上神父にはいろいろお世話になりました。しかし、身近に接したのは、晩年のほんのわずかな期間でした。2010年の秋、井上神父はカテドラル構内にある「ペトロの家」に引っ越して来られました。東京教区の高齢や病気の司祭のための家です。老いを感じ、視力も衰えも自覚し、風の家のお仕事に区切りをつけられ、周囲の人に迷惑がかからないよう、最後は教区のお世話になろうと考えられたようです。わたしはそのペトロの家でご一緒させていただきましたが、一度だけ、説教を褒められたことがありました。たまたまわたしがペトロの家のミサの司式をした時のことです。その日は2月23日、聖ポリカルポの祝日でした。それで、ほんの一言、ミサの中でポリカルポのお話をしました。ポリカルポは2世紀のスミルナの司教で、殉教者になった人です。彼はローマ帝国の役人に捕らえられ、「キリストを冒涜すれば、いのちを助けてやる」と言われたとき、こう答えました。「わたしは86年間もキリスト様にお仕えして参りましたが、ただの一度たりとも、キリスト様はわたしに対して不正をなさいませんでした。だからわたしは救い主であるキリスト様を冒涜することなどできません」。わたしがお話ししたのは「わたしたちも生涯の終わりに本当にそう言えたらいいですね」ということでした。高齢の神父たちを前にちょっと押し付けがましいかなと思いながら、でも私自身の切なる思いを込めてそういう話をしました。するとミサの後、井上洋治神父がわたしに、「今日の話は良かったです」とおっしゃったのです。昨夜本でポリカルポの殉教録でポリカルポの歳を確認しましたが、井上神父が同じ86歳で天に召されたことを不思議な感じがします。とにかく井上神父はあのポリカルポの言葉、「ただの一度たりともキリストはわたしに不正をなさいませんでした」という言葉に自分の人生を重ね合わせていたのだと思います。

    井上神父はペトロの家に半年ほどしかいらっしゃいませんでした。なぜ出ていくつもりになられたのか、いろいろ理由はあったのでしょうが、そのうち1つの理由をこうお話しになりました。「ここは神父ばかりで、わたしには合わない」とおっしゃったのです(司祭の家だから当たり前なのですが)。「自分は教会ではないところで、信者でない人たちの中でずっと生きてきたので、やはりそういう所のほうが合っている。普通の人たちの中で、何か自分にできることが、まだあると思う。」その言葉を聞いてわたしは妙に納得しました。それから井上神父は三鷹のホームに移って、井上神父らしく最後のときを過ごされたと思います。 

    井上神父は1927年3月28日にお生まれになり、二十歳前に洗礼をお受けになりました。シスターになられたお姉様をとおして知った幼いイエスの聖テレジア(リジューの聖テレーズ)の影響が大きかったそうです。まったく小さい者として、神への絶対的な信頼のうちに生きることによって、神のみ心にかなうことができる、という聖テレーズの「小さい道」に井上神父は感銘を受け、そこに自分を賭けようとされて、信仰の道を歩みだされました。本当はテレジアの洗礼名をいただきたかったのに、女性の洗礼名だからと反対されて、テレーズが尊敬していた十字架の聖ヨハネの名前をもらったそうです。

    テレーズを追って、フランスに渡り、そこのカルメル会に入会しました。修道名はフィリポ。今日のミサの福音の中に登場する使徒の名前です。実は今日のミサの聖書の箇所は、井上神父が最後まで、聖書を読むことができなくなっても、いつも大切にしていた箇所だそうです。イエスをとおしてアッバである神を示された使徒フィリポに自分を重ね合わせたところがあったのでしょうか。フランスでの修道生活を送る中で、日本人の自分にはどうしても合わないと考え、帰国して東京教区に移籍しました。

    そして1960年3月18日、司祭叙階を受けました。今日がちょうど叙階記念日ということになります。それから54年間の司祭生活を送られました。さまざまな場でさまざまな働きをなさいましたが、1986年から24年間、ライフワークと言うべき「風の家」の活動をされました。

    「アッバ」。イエスが神に信頼を込めて呼びかけた言葉、「おとうちゃん」というように親しみを込めたこのアッバという呼びかけを井上神父はとても大切にされていました。「南無アッバ」という有名な言葉で、ものすごく簡単・単純・素朴に、アッバである神に対する信頼と委ねの心を表しておられました。最後は目もほとんど見えなくなり、ミサをささげることもできなくなりながら、ずっとアッバへの祈りをささげていたそうです。最期はご自分の部屋で迎えることをお望みだったそうですが、救急車で病院に運ばれ、一晩だけ入院されて、翌日、天に旅だって行かれました。わたしはその翌日、ご自分のお部屋に戻られた井上洋治神父にお目にかかりましたが、ほんとうにおだやかな、眠っているようなお顔でした。

    リジューの聖テレーズは、亡くなる直前の手紙にこう書きました。「わたしは死ぬのではありません。いのちに入るのです」井上洋治神父は、信頼申し上げたアッバのもとに行かれました。天に向けて旅立ち、いのちに入って行かれました。その井上神父の生涯を思い、アッバである神さまが、キリストが井上神父の生涯をとおしてなさったすべてのことに感謝したいと思います。そして、地上に残されたわたしたちも、アッバである神への信頼と愛の道を歩んでいけるよう、心から願ってこのミサの祈りをささげたいと思います。