「思いつづける3.11」東日本大震災追悼・復興祈念ミサ説教

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    2014年3月11日 麹町教会にて

     

    聖書朗読:ローマ12・9−17、21 ヨハネ6・16−21

     

    ホミリア

    3年前の3月11日、誰もが一生忘れることのできない日を過ごしました。それは東北地方の人だけでなく首都圏に住むわたしたちもそうでした。東京では九段会館などで多くの死傷者が出ました。あの日、すべての交通機関がマヒして、多くの人が帰宅困難になりました。東京湾の沿岸部などでは液状化現象がおきました。千葉県でも津波の被害で亡くなられた方がいました。津波の被害は広範囲に及び、岩手、宮城、福島、茨城、千葉で18,000人以上の方々のとうといいのちが奪われました。多くの方が、家族や親戚、友人や知人を津波で失いました。その方々の悲しみや痛みは、3年経った今も続いていることでしょう。亡くなられた方々とそのご遺族のために、今日、心から祈りたいと思います。

    さらに福島では原発事故が起こりました。放射能汚染によって何万もの人が避難を余儀なくされました。避難が原因で病気が悪化したり、亡くなった方々もおおぜいいらっしゃいます。避難先は日本全国にちらばっています。東京にもたくさんの人が避難してきましたし、3年経っても、帰ることのできない方々が大勢います。

    地震・津波・原発事故によって今も仮設住宅に住む人の数は10万人。それ以外の形で避難している人も含めると26〜27万人の方々が今なお避難生活を送っておられます。福島では放射能汚染のため、また岩手や宮城でも高台移転の問題、土地の嵩上げの問題、復興住宅建設が進まない問題のため、避難生活はまだまだ続きそうです。長引く避難生活は、人々に大きなストレスや苦痛、経済的な困難を与えています。孤独死や自死にまで追いつめられる人が出ています。この3年間がそうでしたし、今後もその生活が続いてきます。

    一方でボランティアは減少しています。しかし、ニーズはなくなっていないのです。福島第一原発に近い南相馬市などでは、元の家への帰還に向けた民家の片付けなどの作業をするボランティアがこれからまだ必要な状態です。

    カトリック教会では、震災後すぐに被災地の教会にボランティアを受け入れ、寝床と食事を提供して、ボランティアを送り出す活動を始めました。今も岩手、宮城、福島で、8つのボランティアベースがそれぞれの被災地の中で活動しています。最初のころはガレキ処理の手伝いが多かったのですが、今ではお茶を飲みながら話を聞く、というボランティアが主になっています。それは話をすることによって少しでも心の重荷を下ろしてもらうためです。そして人と人とのつながりを作って行くためです。わたしたちは、何よりも「寄り添う」ということを大切にしています。

    震災後、たくさんの支援団体が被災地に入りました。一年、二年たって、多くの団体が引き上げて行きました。しかし、カトリック教会は今も小さいですが、活動を続けています。東北の太平洋岸の被災地に小さくともカトリック教会があります。その教会は今後もずっとその地域の中でその地域の人々と共に生きていきます。その教会を拠点として、全国のわたしたちもボランティアとして被災地にかかわり続けることができるのです。

    わたしたちが支援活動をとおして伝えたいこと、それは「わたしたちは皆さんを決して忘れていない」ということです。その心をあらわす箇所として、使徒パウロのローマの信徒への手紙12章を読んでもらいました。その中に「喜ぶ人と共に喜び、泣く人とともに泣く」という言葉があります。これこそわたしたち被災者支援活動の心だと言えるでしょう。「喜ぶ人と共に喜び、泣く人とともに泣く」わたしたちにはそれしかできません。しかし、そのことをとおして、「あなたは決して一人じゃないよ」ということを伝えられたらよいと思います。「あなたは決して一人ではない」と伝えること。それは2000年前のイエスが当時の人々に告げた福音の核心でもありました。

    イエスは見捨てられた貧しい人や病気の人、罪人のレッテルを貼られて排除されていた人々に近づき、あなたは決して、神からも人からも断ち切られた人間ではない、あなたは神の愛する子どもであり、わたしの兄弟姉妹なのだ、と語りかけていきました。

    わたしたちはその福音のメッセージを運びたいのです。

    今日のミサの福音では嵐のガリラヤ湖での物語を選びました。奇跡物語というより、1つのシンボリックなイエスとの出会いの物語としてこの箇所を選びました。荒れる湖のイメージなので、津波の悲劇を思い出す恐れがあるかもしれませんが、それでも1つのシンボリックな物語として、この箇所を選ぼうということになりました。

    嵐の湖の上で、イエスの弟子たちは不安でした。頼りのイエスがいないことが何よりの不安のもとでした。イエスは不思議な仕方で近づいてきます。そして「わたしだ。恐れることはない」と語りかけてくださいました。イエスを迎え入れると舟は目指す地についた、という物語です。これは2000年前のガリラヤ湖での出来事というよりも、わたしたちがいつも経験していることです。ほんとうに助けがなく、支えがなく、先が見えず、心細い思いでいっぱいで、恐れに捕われているとき、でもイエスは必ずそばにいてくださるはず。そのイエスに信頼して、イエスと共に歩もうとする時、わたしたちは困難を乗り越えて、希望をもって歩んでいける。イエスが共にいてくださるならわたしたちは恐れや絶望やあきらめから解放されて、それでも生きる希望をもつことができる。それがわたしたちキリスト者の希望です。

    もちろん、この希望を被災者に押し付けることはできません。しかし、「いつくしみと愛のあるところに神はいてくださる」わたしたちはそう信じます。思いやりと共感を持って共に歩もうとするなら、そこに神はいてくださいます。だから、寄り添いながら、共に時を過ごしながら、祈り続けながら、被災者の方々と一緒に希望を見つけていこう、これがわたしたちの被災者支援活動の根底にある願いだと思います。

    どうか神さまがわたしたちの祈りを顧み、被災された方々とともに、生きる力と希望を見いだすことができるよう導いてくださいますように。そのためにわたしたちが被災された方々のことを忘れず、思いつづけることができますように。