教区の歴史

教区の歴史

パウロ藤井泰定神父通夜(1937.8.21~2013.2.21 75歳)

2013年02月24日

2013年2月24日 東京カテドラルにて

招きのことばと説教

招きのことば

東京教区司祭パウロ藤井泰定神父は、21日の木曜日、派遣先の仙台の病院で突然神のもとに召されました。わたしたちは皆、あまりに突然の訃報にほんとうに驚かされました。

前日の水曜日の朝、仙台中央地区の司祭の集まりにいつものように参加しましたが、途中から何度かトイレに立ち、様子がおかしいというので、結局、救急車で病院に運ばれました。藤井神父は少し落ち着いたので家に帰ると言っていたそうですが、周りの人に勧められて入院することになりました。その時点ではそれほど重体ではなかったということでしょう。しかし、翌朝にはもう手の施しようのない状態になり、連絡を受けて、東京のお姉様やわたしが駆けつけましたが、間に合いませんでした。午後2時24分、非閉塞性腸管梗塞が死因でした。医者の説明によれば、下痢や嘔吐から来る脱水状態が急激に腸にダメージを与えてしまったということでした。

75歳で人生が途中でぷっつりと途切れてしまったようにも思えます。しかし、わたしたちキリスト信者は、人の歩みは生まれてから死ぬまでの地上の生活がすべてではなく、神のもとから来て、神のもとに帰って行く歩みだと信じています。わたしたち皆にとって藤井神父さんの突然の死は、悲しい別れではありますが、藤井神父さんは今、神のもとに旅立って行かれ、いつくしみ深い神のみ手に抱かれていると信じています。ですからこの通夜も、藤井神父さんの生涯をとおして示してくださった神のいつくしみに感謝する集い、藤井神父さんを神のみ手におゆだねする祈りの集いなのです。

今はもう天の神とともにある藤井神父さんを忍びながら、聖書のことばを聞きましょう。

聖書朗読(イザヤ6・1−8)

説教

パウロ藤井泰定神父は、1937年 8月
21日広島県福山市に生まれました。子どもの頃、戦争で福山の大空襲を経験したことは彼の人生に大きな影響を与えたことだったようです。東京に出て上智大学の学生のときにカトリックに出会い、イエズス会のエバレット神父から洗礼を受けました。その後、司祭への召命を感じて、神学生になり、1970年に東京教区司祭として叙階されました。以来、43年間にわたる司祭職をまっとうされました。

わたしが藤井神父に出会ったのは、今から30年以上前、わたしが神学校に入学したときのことでした。藤井神父さんは当時、神学院でモデラトールという学生指導の仕事をなさっていました。新入生は哲学科、藤井神父は神学科のモデラトールでしたが、いろいろな行事でご一緒させていただいたのを覚えています。府中墓地の墓参に行き、帰りに藤井神父さんに深大寺のそば屋に連れて行ってもらったことがありました。大食漢の藤井神父がそばぐらいで満足できるのかと疑問に思いましたが、藤井神父は大きな「そばがき」を頼んで一人で食べていました。わたしはそこで初めて「そばがき」なる食べ物があることを知りました。まあだいたいこんな食事のエピソードが多いのですが・・・。

今考えてみると、藤井神父がモデラトールだったのは40歳前後のことでした。その時代は特に難しい時代だったと思いますが、藤井神父さんはたんたんとその役目を果たしておられました。その後、いろいろな教会でも働きましたが、目立つのはドイツでの仕事でした。日本人の司牧のために司祭が必要と聞いて、ドイツに行き、約10年間働かれました。そして最後は大震災後の仙台でした.日本全国から応援の司祭を派遣することになり、昨年の春、藤井神父さんはみずから志願されて仙台に行かれました。わたしが驚くのはその身軽さです。行けと言われたところ、必要とされているところへ出かけて行く。それはあたりまえのこと、簡単なことだと思われるかもしれませんが、やはり特別なことだと思います。先ほど、イザヤ書の一が朗読されました。

「誰を遣わすべきか。誰が我々に代わって行くだろうか」「わたしがここにおります。わたしを遣わしてください」

それは藤井神父にぴったりの言葉ではないかと思い、この箇所を選ばせていただきました。そこには、神さまの派遣に対する絶大な信頼があったのだと思います。だから結果はどうでもいい、というようなところもあったと思います。自分は遣わされたところで精一杯やるだけ、後は神さまにおまかせする。それも藤井神父さんの生き方だったと思います。そういう生き方が理解されないときもあったかもしれません。でもいつも豪快に笑い飛ばしていましたね。

いろいろな病気もしてきて、74歳で仙台に行くと決断したのもすごいと思いました。空襲ですべてを失った経験しているから、大震災ですべてを失った人の役に立てるかもしれない。そんなことをおっしゃっていたそうです。そんな藤井神父にとって、派遣先で現役で倒れたのは、ある意味、本望だったのではないでしょうか。

藤井神父さん、ほんとうにお疲れさまでした。今度は神さまが藤井神父を必要として、天国に招かれたのでしょうか。だからあんなにさっさと旅だっていかれたのでしょうか。どうか天国で、あの笑顔を輝かせてください。そしてどうかわたしたちを見守っていてください。

父と子と聖霊のみ名によって。アーメン。