教区の歴史

教区の歴史

マルチアリス青山和美神父(1927.7.9~2013.1.25 85歳)葬儀ミサ説教

2013年01月29日

2013年1月29日 東京カテドラルにて

Ⅰコリント15・35-37、42-45 マルコ4・1-8

青山和美神父は1927年7月9日、青山伝道士の息子としてここ関口教会で生まれ、兄である青山謙徳神父に続いて司祭への道を歩み、85年の生涯、56年間の司祭生活をまっとうして、先週の金曜日1月25日に、神様のもとに旅だっていかれました。

和美神父様、本当に本当にお疲れさまでした、と申し上げたいと思います。いろいろな意味でいつも一生懸命な方というのがわたしの青山和美神父についての印象でした。

和美神父は2年前にペトロの家ができてそこに入られてからもお元気で、ミサの司式をするため、いろいろな教会に出かけて行っておられました。一昨年の秋の教区の健康診断で胃の異常が見つかり、聖母病院で調べたところ、がんであることが分かりました。別の病院でも診てもらって、慎重に治療の仕方を考えれば良かったのかもしれません。しかし、和美神父は早く治して早く仕事ができるようになりたいと考えて、聖母病院で手術を受けることになりました。悪いところをさっさと切って仕事に戻りたい。和美神父らしい決断だと思いました。12月に手術を受け、胃をすべて摘出しました。胃がんの手術そのものは成功でしたが、それ以来、うまく食べられないという苦しみが始まりました。胃がないので少しずつ、日に何度にも分けて食事をする。そうやって慣らしていくしかないのですが、それは思ったよりも難しいことでした。「80年以上してきた食事の習慣を変えろと言われても、難しいんだ」と仰っていました。ちょっと食べ過ぎれば具合が悪くなる。食べなければどんどん痩せていってしまう。点滴で栄養を入れてもらうしかなくなったことが何度もある、でも医者は自分で口から食べなければだめだという。それは相当に苦しいことだったと思います。

最後は桜町病院でお世話になりました。1月20日(日)にお見舞いしたとき、昨日岡田大司教が紹介した手紙をお預かりしました。そしてどうしても大司教に来てもらいたいと思い、22日の火曜日に大司教を桜町病院にお連れしました。そのとき岡田大司教から病者の塗油の秘跡をお受けになりました。良いタイミングを神様が与えてくださったのだと思います。亡くなる前日は看護師さんに病院の4階にあるチャペルに連れて行ってもらったり、小金井教会のディン神父さんと一緒にお祈りの時間を過ごしていたそうです。深夜1時の見回りの時まで異常はなく、静かに眠っておられ、3時の見回りで看護師さんが心肺停止になっているのを発見したとのことでした。担当の井上先生、ペトロの家から川口神父とわたしが駆けつけて、4時46分に死亡確認がされました。最後は安らかに神様のもとに旅立っていかれました。

大先輩の司祭として、ずっとお付き合いさせていただきましたが、特にペトロの家ができてから、2年あまりの間、近くで生活させていただきました。ペトロの家での和美神父は一言で言えば、「植物担当」でした。

中庭があります。そこの中央は芝生になっています。実は中央の数メートル四方の土の部分をどうするかは建築終了間際まで決まらず、最終的に「土のままではまずいでしょう」と言って、業者が芝を並べていったのです。本当にただ並べたというだけで、まともな芝生になるとは思えないような状態でした。わたしはダメになったら、もっとちゃんとしたものを植えようと思っていたのですが、和美神父は違いました。肥料を買ってきて丹念に世話をしました。ペトロの家の職員にも手伝ってもらいましたが、体力的にはそうとう厳しかったと思います。そしてその庭は今、見事な芝生になっています。芝生だけでなくたくさんの植物が青山和美神父さんの世話になってよみがえりました。枯れかけているような植物を見るとほうっておけない、植物に対する愛情は本当に深いものがあったと感じています。

それで、今日の葬儀ミサの朗読に植物のたとえを選ばせていただきました。マルコの福音は種まく人のたとえ話です。まかれた土地が悪い土地で実を結ばないか、それとも良い土地で豊かな実を結ぶか、と問いかけるのがこのたとえ話の一つのポイントですが、もう一つのポイントは、土地が良かろうが悪かろうが、その種のいのちを信じ、成長を信じて蒔き続ける農夫の忍耐強さだろうと思います。それは時が良くても悪くても忍耐強く神の国の種をまき続けたイエスの姿に重なります。イエスの種まきはあらゆる無理解や反対を乗り越えて、最終的に豊かな収穫につながっていきました。青山和美神父も植物に対する愛情だけでなく、人に対しても司祭として、熱心にみことばの種をまき続けました。信頼を込めて、愛をもって、一生懸命、司祭としての使命を果たしました。

一生懸命やってもうまく行かないということがたくさんあったと思います。自分が考えてきたことを書き残したいという思いがありましたが、なかなかうまくまとまらなかったようです。最後のころの、食事がうまくいかないということも含めて思い通りの結果が得られなくて、悔しい思いもたくさんあったと思います。でも今はもう、その種まきの人生を終えて、神様のもとで豊かな実りを味わっておわれると思います。

第一朗読では、コリントへの第一の手紙15章を読んでもらいました。

とても大切な箇所です。わたしたちは、復活の信仰を持っています。信仰宣言で「からだの復活を信じます」と言います。でもそれは死んだ人間が生き返ってくるというようなことではありません。パウロはそのことをここで、植物のたとえを使って述べています。一粒の麦が地に落ちて死んで、豊かな大きな植物へと変身する。それはまったくレベルの違ういのちになることだというのです。

「蒔かれるときは朽ちるものでも、朽ちないものに復活し、蒔かれるときは卑しいものでも、輝かしいものに復活し、蒔かれるときには弱いものでも、力強いものに復活する」

わたしたちのこの地上の体は滅びても、もっとレベルの違う豊かないのちに復活する。パウロはそれを「霊の体」soma pneumatikonと呼んでいます。それは本当にキリストと一つになり、神の永遠のいのちに生きるという希望なのです。

このミサの中で、この復活のいのちへの信仰と希望を新たにしつつ、いのちの源である、いつくしみ深い神のみ手に青山和美神父をお委ねしたいと思います。