教区の歴史

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大西勇史助祭叙階式の説教

2012年03月18日

2012年3月18日 高円寺教会にて

四旬節第4主日 ヨハネ3・14-21

これから大西勇史さんが助祭に叙階されます。これは、大西勇史という一人の人間が、いろいろ悩み、迷い、考えながら神学生として6年間歩んできて、今日ここで決定的に、神と人々への奉仕のために、自分のすべてを差し出して、「神様、どうぞわたしを使ってください」ということであり、教会が6年かけてその決意を見極め、「はい、お前の決意を受け入れる。お前を教会の奉仕者として正式に認め、派遣する」ということです。大げさです。それくらい大げさなことです。大西さんはそのことをよくわかっていると思います。



大西さん、あなたは今日から助祭と呼ばれます。助祭になるということは、ものすごく簡単に言ってしまうと、教会という看板を背負って歩くことです。大西助祭を見た人が「カトリック教会とはこういうものなんだ」と分かる、そういう看板を背負って歩く。これが助祭叙階です。これまでの大西さんの人間としての評判がどうであったか、良い点はこれで、欠点はこれで・・・そんな人間的な問題ではないのです。信者に対しても、信者でない人に対しても、あなたの言動がカトリック教会を表すものになる。1日24時間、1年365日、一生、その看板を外すことはできない。これが叙階ということの意味です。



教会の使命は3つのことだと言われます。「福音を告げること」「共に賛美と感謝をささげること」「愛を生きること」信徒も司祭も修道者も、それぞれがこの3つの使命をそれぞれの仕方で果たしながら、教会全体が神から与えられた使命を生きることになります。助祭は特別な仕方でその教会の使命にあずかります。

「福音を告げること」が第1の使命。目に見えるのは、助祭がミサの中で福音書の朗読をし、また説教をすることです。朗読台の上でそれをするのはそんなに難しいことではありません。でも日々出会う人々との間で、福音を告げる道具になる。それはとても難しいことですね。特に今のような世俗化された世界では難しいと思います。神様抜きで人間の力ですべてをしようとしていく世界。お金をうまくまわし、技術をうまく使い、何でも手に入れようとする。モノやお金があれば幸せ。それが当たり前の世界です。その世界の中で、そんなのではない、ほんとうの喜びといのちの世界を伝えること。神と共に生き、人と人とが愛をもって生きる、そこにあるいのち。信仰と希望と愛によって生きるいのち。その素晴らしさを伝えること、それが本当に福音を伝えるということです。大西さんは去年、震災の被災地に行って、すべてを失った方々と出会ったでしょう。持っていたすべてのものを津波で奪われ、希望のかけらも見いだせないような人々の中で、その方々のためにわたしたちに何ができるか、考えたでしょう。それは被災地だけの話ではありません。イエス・キリストの希望の福音を知らず、でもだからこそそれを必要としている人は日本中にいるし、東京にも大勢いるのです。どうしたら本当にその人々に福音を伝えることができるか、生涯かけて探し求めてください。

 

第2の使命は「共に賛美と感謝をささげること」。ここにも助祭固有の役割があります。ミサの中で助祭はさまざまな奉仕をします。食卓をととのえ、司式司祭を助け、聖体を他の信者に分かち合う奉仕をします。必要に応じて、葬儀を司式し、結婚式に立ち会い、荘厳に洗礼を授けます。これも大きな役割です。その奉仕の根本で要求されることは、自分自身が本当に祈る人であることです。今日の助祭叙階のときに、教会の祈りを忠実に唱える約束をします。毎日、たくさんの詩編を唱えなければならないのですから、たいへんです。でも、それはみんなを代表して唱えるのだということを忘れないでください。全人類が神に賛美と感謝をささげるその代表として祈ることが助祭・司祭にはゆだねられているのです。そして、そういう祈りの人だからこそ、助祭に「共に賛美と感謝をささげる」教会の使命の中で、典礼を行なう中での大きな役割が与えられるのです。



第3の使命は「愛を生きること」です。これこそ助祭職の特徴であると言えます。初代教会でステファノ、フィリポという7人の奉仕者が立てられたのは、そもそも、教会の貧しい人に対する配慮のためでした。貧しい人を助け、病気の人を見舞い、病気の人に聖体のイエスをお届けする。これが伝統的にもっとも大切にされてきた助祭の務めです。

この愛の奉仕の中で「独身」であることの意味を深めていってください。助祭が独身でなければならないとキリストが定めたわけではありません。実際、古代の教会でも現代の教会でも結婚している助祭がいます。でも大西さんは独身の助祭職を選びました。教会は司祭・助祭の独身であることを「司牧的愛のしるし」だと言います。本当にすべての人を愛するため、特に苦しみを抱えている人、本当につらい思いをしている人に寄り添うためにこそ、独身であるということ。そのことも一生かけて考え、深めていってください。



最後にほんとうに人とのつながりを大切にしてください。

神学生仲間。助祭仲間。司祭仲間。ほんとうに支え合えるように。

信者とのつながり。信者じゃない人とのつながり。誰かを支えたいと思って、逆に支えられるという体験を今までもしてきたでしょうし、これからも大切にしてください。

そして多くの人があなたのために祈っていてくれることを決して忘れないでください。