ジョルジュ・ネラン神父(東京教区司祭)葬儀ミサ説教

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    2011年3月30日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

    1920.2.2生 1950.6.29 司祭叙階 1952.12.9来日 2011.3.24帰天

    「司祭・宣教師・キリスト信者」(Ⅱテモテ4・1-8、マタイ28・16-20)

    ネラン神父様は、先月2月2日に91歳の誕生日を迎えました。その前日、わたしは桜町病院の病室でネラン神父に病者の塗油の秘跡をお授けしました。91歳という年齢を前にし、ガンは確実に進行しており、痛み止めの薬がだんだん強くなって、頭がはっきりしなくなってくるのを感じておられたのでしょう。だから、今、はっきり理解できているうちに病者の塗油を受けようと考えられたのでしょう。それはネラン神父さんらしいなと思いました。

    ネラン神父はその秘跡のためにわたしを指名しました。なぜわたしだったのか、わたしは東京教区の補佐司教ですから自然なのかもしれません。しかし、あの時私を指名したのですから、今日、葬儀ミサでわたしが説教してもたぶん怒らないだろうと今、わたしは思っています。

    司祭ネラン

    わたしはネラン神父さんとそれほど長い付き合いをしてきたわけではありません。話をするようになったのは司教になってから、この数年です。でもお名前は昔から存じ上げていました。ジョルジュ・ネランという名前を最初に知ったのはわたしが神学生のときでした。神学校の図書館で「ろごす」叢書の1冊『祭司と司祭』(1963)という本を読んだとき、はじめてジョルジュ・ネランという神父がいることを知りました。わたしは神学生でした。神学生は司祭になるための勉強と修練をしています。もちろん第二バチカン公会議後でしたが、神学校には昔の司祭のイメージが強く残っていました。司祭になるということは、キリストの特別な呼びかけを受けた人が、普通の人間とはぜんぜん違う存在になることであり、パンを一言でキリストの体に変え、ぶどう酒を血に変えてしまう魔法使いになるかのような雰囲気があって、どうしてもついていけないところがあったのです。

    そのわたしにとって、新約の司祭職は旧約の祭司職とは違う、こういうことなのだと教えてくれたのがこの本の中のネラン神父の「司祭職」という論文でした。

    司祭は祭司ではない。エルサレムの神殿でいけにえをささげていた祭司とキリスト教の司祭は根本的に違う。司祭は神の民の奉仕者である。そして、こう言います。「神の言葉をのべ伝えることは、司祭のもっとも根本的な仕事である・・・二次的な意味で、司祭の仕事の中心になるのは、エウカリスチアのサクラメントである」ネラン師は、さらにこうも書いています。

    「司祭は、ある職務を果たすために、教会から呼び出された人間である。この呼び出しは、たしかに祝別はする しかしそれは、洗礼のように、存在の仕方までもかえてしまうようなものではない。・・・司祭もまた、一人のキリスト教徒であり、一人の人間である。・・・もちろん、教会にとっては、司祭たる人が聖者であることが、望ましいにはちがいない。けれども、司祭が選び出されるのは、その人個人が、どんなにすぐれていようとも、ただその性質のためではなく、ある職務を果たすためなのである。司祭はあくまで、一個の人間であり、罪人たる人間であるに止まる。現代の世界はなによりもまず、司祭が一個の人間であることを、必要としているようにみえる。すなわち、司祭が完全無欠な官僚であることよりも、欠点もあるかわり、個性も豊かに具えた、人間らしい人間であることを、求めている・・・

    ある職務に任じられた人間は、なによりもまず、その仕事に堪能でなければならない・・・彼はキリストについて語るという、職務に精通していることを、人びとから期待されている。彼が一般的な深い教養をもっているかどうかは、たいして重要なことではない。一定の水準まで達していれば、それ以上多くの事がらを知らなくても、人びとはよろこんで彼をゆるすことだろう。しかし、彼がキリストをのべ伝えることができず、祈りを教えることができず、また神の愛を説くことができないならば、それをゆるすことは、もはやできないであろう。」

    わたしはこの論文を読んで、こういう司祭にならわたしもなりたいと思ったのです。ネラン師43歳のときの論文ですが、司祭職一般について語っているというより、自分の司祭職はこういうことだという、いわば決意表明に聞こえます。そして、彼はそれを60年間、生き抜きました。

    宣教師ネラン

    ネラン神父にとっては司祭であることは、宣教師であることと深く結ばれていました。

    ホスピスの病室に残された彼のかばんの中に3冊の厚いノートがありました。何十年もずっと使い続けてきたノートだということが一目で分かります。1冊は日本語の勉強のノート。これを見るとずっと日本語と格闘し続けていたことが分かります。もう1冊は住所録。自分が出会った人、つまりそれは、キリストに導きたいと思っている人であり、キリストに導くことができた人。そしてもう1冊は備忘録。病室を訪ねてくれた人の名前が3月のはじめまで几帳面に記されていました。出会った一人一人の人間にイエス・キリストを伝えたい。実に宣教師のノートだと感じました。

    キリストを伝える。イエスの素晴らしさを伝える。

    そのために、日本に来て、日本語を習得しました。そのために、フランス語の教師になり、真生会館で学生指導をし、ネラン塾を作り、エポペを創設した。すべてはキリストを伝えたいという宣教の思いからでした。

    ネラン神父は、去年『福音宣教』という雑誌に「老宣教師の備忘録」という文章を2回にわたって書きました。それが彼の遺言と言ってもいいでしょう。

    司祭が教会で行っている司牧は内向きの働き。信徒が親睦のためと言ってしている行事も皆内向きのことばかり。宣教とは外に向かうことではないか。なぜ司祭たちは本気で福音宣教しないのか、なぜ日本の信徒たちはもっと福音宣教しないのか。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」このイエスの言葉、復活して今も生きているイエスの言葉を本気で受け取るなら、イエスのことを宣教せずにはいられないはずだ。司祭に対して、いや、すべての信者に対する最後の願いだったと思います。だから、そのマタイ28章の言葉を、きょうのミサの福音朗読として読んでもらいました。そしてカードにもその言葉を載せてもらいました。

    第一朗読では、パウロのテモテへの手紙を読みました。世を去る前の使徒の言葉です。パウロは、わたしは走り抜いた。福音宣教者として道を歩き抜いた。今度はあなたの番だ、と弟子のテモテに言います。それはネラン神父がわたしたちに言っている言葉だとも思うのです。

    ネラン神父は、本当に大きな宿題をわたしたちに残していかれました。

    キリスト信者ネラン

     ネラン師は、教会とのかかわりの中で、司祭でした。人々とのかかわりの中で、実にスケールの大きな宣教師でした。そして、イエスとのつながりの中では、一人のキリスト信者でした。

    ネラン師の信仰は、一言で言えばイエス・キリストに対する強い思いでした。そしてそれは2000年前に生きた一人の人間であるイエスへの思いというだけではなく、今も生きておられる復活したイエスに対する思いでした。「世の終わりまでいつもあなたがたとともにいる」と約束されたイエスをネラン神父は信じていました。ネラン師にとって、今、そのキリストとともに生きることにこそ本当の「生きがい」があるのであり、今、キリストとともに生きることこそが、宣教の原動力なのであり、そして、今、キリストとともに生きることこと、それが即ち、天国でもありました。

    ネラン師は「ろごす」叢書のあの論文の中で次のように書いています。

    「天国において、もはや司祭はいない。そこにはただひとりの大祭司イエス・キリスト以外に、司祭はいないのである」

    ネラン神父は、その天国に旅立っていかれました。彼はそこで、イエスとともに生きてきたこと、永遠にイエスとともに生きることの幸いを心から味わっていることでしょう。そしてそこからわたしたちに問いかけています。

    「あなたはキリストとともに生きているか?」