教区の歴史

教区の歴史

CTIC 20周年記念国際ミサの説教

2010年09月23日

2010年9月23日 目黒教会にて

第一朗読:コロサイ3章12-17節(スペイン語)

福音朗読:マタイ25章31-40節(日本語)

先日、ある女子修道会の本部修道院に行きました。敷地が広くいろいろな建物があります。しかし、シスターは高齢化していて、人数は減っています。そこで聞いた話が印象的でした。1975年にサイゴンが陥落し、ベトナム戦争が終わりました。そのとき、多くのベトナム人がボートピープルとしてベトナムを脱出し、日本の船に助けられた人たちが日本に来ました。しかし最初のころ、日本政府は難民の受け入れをまったく認めていませんでした。彼らはアメリカにわたってそこで生活を始めることになっていましたが、アメリカに行くまでの数ヶ月、日本政府から頼まれて、この修道院がベトナム人の家族を一時的に受け入れることになりました。たまたま空いていた修道院の中の家にその家族は住むことになりました。



シスターたちは親切ですから、その家族の住んでいる家にテレビを持っていきました。しかし、2-3日して、彼らはそれを返しに来ました。

「わたしたちは旅人です。そのわたしたちにとって一番大切なのはお互いの団結です。そのために必要なことは互いによく話し合うことなのです。ですからテレビはいりません」

それからしばらくしてその修道院に付属した幼稚園の父母たちが、ベトナムから来た家族のために、子どもや大人の衣類を集めて持ってきました。ところがその家族はそれも辞退しました。「わたしたちは旅人ですから、最低限の必要なものしか持たないほうがよいのです」。その後、この家族はアメリカに渡り、何年かして生活が落ち着いてから、日本を訪問し、そのときにお世話になった修道院にも来たそうです。彼らは、ほんとうに感謝していました。それは今日の福音にあるように「わたしが旅人だったときに宿を貸してくれた」ということに対する大きな感謝でした。



日本では、1980年代の終わりごろ外国から来た人々が急に増えてきました。そして、フィリピンやブラジル、ペルーの人はカトリック信者が多かったので、教会に来る外国人の数が増えました。日本の教会はそれまで、言葉の違い、信仰生活の習慣や表現方法の違い、仕事や生活上の問題などを抱えた外国人を受け入れた経験がありませんでした。多くの司祭や信徒が当惑しました。

東京大司教区は1990年にカトリック東京国際センター(CTIC)を始めました。1994年には「CTICかめいど」を開設して、日本にいる外国人の生活・仕事・ビザなどの具体的な問題を解決するために働くようになりました。CTIC開設20周年を迎え、わたしたちは今までの歩みを振り返っています。日本の教会は戸惑いながらも外国人を受け入れ、なんとか多国籍の人々と共に生きる教会を作ろうとしてきました。その結果、多くの教会で外国人と一緒にいて、一緒に祈るのがあたりまえになっています。



振り返ってみると、わたしたちは日本人の信者が彼らのためにこれだけのことをしてきた、ということ以上に、外国の人たちが日本の教会にもたらしてくれたものの大きさを感じます。外国から来たカトリック信者は、数の面でも、若さとヴァイタリティーの面でも日本のカトリック教会を活気付けてくれました。しかし、それ以上にもっと深いものを運んできたと思います。

現代の日本の社会の大きな問題は「孤立」ということです。隣の人が生きているか死んでいるかも分からないほど、この社会では、人と人とのつながりが希薄になってしまっています。みんな自分の力で自分の生活を作り上げ、それを必死で守ろうとして働いています。「成功するのも自分の責任、失敗するのも自分の責任」「誰にも頼らずに自分の力で生きていかなければならない、それができないのは駄目な人間だ」。このような考えの中で人と人とが支え合う生き方が見失われ、人々は大きなストレスを感じるようになりました。日本人カトリック信者もこの社会の中で生きていて、そこからやはり影響を受けていました。

先ほどお話ししたベトナム人の家族はそうではありませんでした。彼らは今、生きているというだけで本当にそれを神の恵みだと感じ、神に感謝する心を持っていました。そして、生きていくために第一に必要なものは、家族の支えあいであり、共同体の助け合いだということを彼らは感じていました。ある意味で今も、自分の国を離れて日本で生活している外国籍の信徒の皆さんは、そのことをわたしたち日本人の信徒に教えてくれていると思います。



もう一つ、外国人信徒の急増という現実は、わたしたち日本の教会が「貧しい教会」であることに気づかせてくれました。外国から来た人の中にもお金持ちがいると思いますが、でもこのことも大切です。2008年にリーマンショックが起き、多くの外国人労働者が仕事や住む家を失いました。母国に帰らなければならい人もおおぜいいました。経済不況が長引けば、日本の社会の中で、外国人排斥の気運が高まるでしょう。ところで、日本のカトリック教会は、もはや日本人の教会ではありません。日本にある多国籍のカトリック信者によって成り立っている教会です。そう気づいたとき、日本にいる外国人の抱えている貧困の問題や他のさまざまな困難は、決して教会の外の誰かの問題ではなく、わたしたち自身の問題になりました。このことは本当に大切な気付きでした。実は日本人の信徒の中に貧しい人がいるのに、日本の、特に東京の教会はそれを忘れ、貧しさということを他人事のように感じてしまっていたのです。

もう一度、先ほどのベトナム人家族を思い出します。彼らはほんのわずかなものしか持たずに旅をしていました。それは安住の地を求めての旅、貧しく困難の多い旅でした。

「わたしたちは旅人です」この言葉は、本当はすべてのキリスト者の言葉ではないでしょうか。わたしたちは皆、ベツレヘムの聖家族のように貧しい旅人です。その中でなんとか励ましあいながら一緒に神の国の完成に向かって歩んでいこうとするのです。これがわたしたちの教会です。



先ほど読まれたマタイ福音書のイエスの言葉は、人が生きる上で何が一番大切かということをわたしたちに教えています。

「お前たちは、わたしが飢えていたときに食べさせ、のどが渇いていたときに飲ませ、旅をしていたときに宿を貸し、裸のときに着せ、病気のときに見舞い、牢にいたときに訪ねてくれたからだ」

よくよく考えてみると、大きなことをしているのではありません。食べ物を持っていたら半分、分けてあげる。宿に困っている人がいたら、自分の家に泊めてあげる。病気の人のそばにいてあげる。「何かをしてあげる」というよりも「その人の重荷を共に担い合う」ということだと思います。どの国の人とも互いに重荷を担い合う、このことを本当に大切にしながら、CTICが、というよりも東京教区の教会が歩み続けることができますように、聖霊の導きと助けを祈りましょう。