白栁誠一枢機卿 追悼ミサ及び納骨式説教

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    2010年2月13日 カトリック府中墓地にて

    先週、わたしは用があって長崎の大司教館に行ってきました。長崎の町に行って、やはり思い出したのは一昨年2008年11月24日の「ペトロ岐部と187殉教者の列福式」での枢機卿様のお姿でした。

    あの日、長崎の県営スタジアムには3万人の人が集まっていて、雨の降る中、ミサが始まりました。何百人という司祭団の行列の後、司教団の入堂の時になってようやく雨が上がりました。しかし、今日のように、非常に寒い日でした。その中で白_枢機卿様はしっかりとミサの主司式司教の役を務め、力強い説教でわたしたちの信仰を励ましてくださいました。

    わたしは個人的には、3時間を越える式の最後に枢機卿様がおっしゃったことが強く心に残りました。祝福のためにミトラを付けて、こう言われたのです。

    「皆さん、儀式もいよいよ終わりに近づきました。寒い中皆さんよく頑張りましたね。皆様の冷えた心の中に、神様の愛の炎が燃え立ちますように、神様の祝福を祈ります」そして3万人の会衆を祝福してくださいました。

    誰が見ても、あの寒空の中で一番たいへんだったのは、枢機卿様ご本人でした。でも、その暖かい心遣いが、その場にいた3万人の心をほんとうにあたためてくれたと思います。

    思い起こせば、やはり心遣いの方だったと思います。わたしも神学生のころから、いろいろな心遣いをしていただいた覚えがあります。そして、最後に入院されてからもそうでした。脳出血の後遺症である高次脳機能障害は厳しいものでした。ご自分の置かれた状況が把握できない。ここが病院なのかどこなのか、自分はなぜここにいるのか、今がいつなのか、そういうことがお分かりにならず、たいへんお苦しみになりました。そんな中でも訪ねてきた人に実に見事なあいさつをなさいました。あいさつだけでなく、それぞれの人に応じて励ましの言葉を実に適切にかけてくださいました。10月7日に初台の病院で、わたしは枢機卿様と何人かのお見舞いの方々と一緒にミサをしました。ちょうどロザリオの聖母の祝日でした。ところどころ動作を間違えたりはなさいましたが、覚えておられるミサの式文は正確でした。それ以上に驚いたのは、「マリア様は教会の信仰の中でとても大切です。マリア様を大切にしましょう」というお話をなさったのです。

    ご自分がこの場で、ここにいる人々に向かって、どんな神様からのメッセージを語るべきなのか、そういう点でいつも的確な話し方をなさる方でしたし、あの病気の中でもそうだったということは驚くべきことでした。でもそれは非常に疲れることでもあったようです。たいへんつらい思いをしながら、12月30日にその生涯の歩みを終えられました。

    第一朗読の言葉は使徒パウロがテモテに宛てた手紙の一節ですが、白_枢機卿様がおっしゃっているような言葉だと思いました。

    「わたし自身は、既にいけにえとして献げられています。世を去る時が近づきました。わたしは、戦いを立派に戦い抜き、決められた道を走りとおし、信仰を守り抜きました。今や、義の栄冠を受けるばかりです。正しい審判者である主が、かの日にそれをわたしに授けてくださるのです。しかし、わたしだけでなく、主が来られるのをひたすら待ち望む人には、だれにでも授けてくださいます。」(Ⅱテモテ4・6-8)

    神様が枢機卿様のこれまでの労苦に報いてくださいますよう、きょう、この納骨にあたってご一緒にお祈りしたいと思います。ここにお骨をお納めします。お墓には、亡くなった方が安らかに憩う場という面もありますが、わたしたちキリスト信者にとって、お墓は安住の地であるよりも、通過点です。イエスが十字架の死の後、墓に葬られ、そこから復活されたように、墓は復活のいのちへの通過点であり、神の救いの完成を待つ場なのです。枢機卿様はそう信じておられましたし、同じ信仰をもって、今日、枢機卿様をお送りしましょう。

    もちろんお墓には、亡くなった人を思い出す場、生きているわたしたちとのつながりを確認する場という意味もあります。皆様、それぞれに枢機卿様のことを思い出しておられるでしょう。今日特に、あの枢機卿様のおだやかな、いつくしみに満ちた態度や言葉を思い起こしたいと思います。

    今の世界、今の社会、わたしたちの周りには暴力が満ちています。暴力的な態度、暴力的な言葉。なぜこんなに人間同士が傷つけあわなければならないのか、なぜこれほど憎しみを抱いたり、復讐心をいだいたりし合わなければならないのか。本当に悲しい現実があります。白_枢機卿様は、対立した人間同士の和解とゆるしのために働かれました。そのために、おだやかな心を、やさしい言葉をいつも示してくださいました。

    そのすべての力を枢機卿様はどこから得ていたのでしょうか? それは聖体の秘跡の力であったと思います。このミサの福音でイエスはおっしゃいます。

    「わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、いつもわたしの内におり、わたしもまたいつもその人の内にいる。生きておられる父がわたしをお遣わしになり、またわたしが父によって生きるように、わたしを食べる者もわたしによって生きる。」(ヨハネ6・56-57)

    聖体の秘跡は、わたしたちを変えます。キリストとのもっと深い一致へと変えます。そしてわたしたちがキリストの愛に生きることができるように変えてくれるのです。この秘跡に支えられて白_枢機卿様は、55年の司祭生活を、33年の司教生活を生き抜かれました。わたしたちもこの聖体の秘跡を大切にして生きることができますように。聖体の秘跡が表している、キリストとの完全な一致に到達することができますよう、ご一緒にこのミサの中で祈りましょう。