愛は決して滅びない(連載6)

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    ペトロ岐部と187殉教者の列福にあたって

    ・・・カトリック新聞」 2008.11.30 第3982号掲載

    6 列福式からの出発 (最終回)

    列福式 (2009/11/24) 1612年、徳川家康が自分の家来たちにキリスト教信仰を禁じたとき、従わなかった人の一人が今回列福された原主水です。彼は1623年、江戸の大殉教のときに他の49人のキリシタンとともに、品川・札の辻で処刑されました。ちなみに、この50人の殉教者のうち、3人の司祭・修道者は「日本205福者殉教者」として19世紀に列福されていました。今回の原主水の列福は、記録の少ない信徒殉教者たちの代表と言えます。

    徳川将軍が絶対権力を握っていた時代に、その将軍に従わず、あくまで神への信仰を貫いたのが殉教者たちでした。幕府の力は全国に及び、各地でキリシタンが殉教しました。今回列福された殉教者の多くは、徳川幕府の禁教令の下で殺されていった人々でした。

    新たな試練の時代

    今の時代は徳川将軍のような絶対権力者はいませんし、迫害も殉教もありません。しかし、だからと言ってキリスト教信仰は日本に広がり、深く浸透していると言えるでしょうか。とてもそうとは言えないでしょう。日本のカトリック信者の数が少ないというだけでなく、司祭や修道者、さらに信徒が高齢化している現実があります。それは若い世代の信者が教会離れしているということです。信者の親が怠慢だったのでしょうか? 教会の信仰教育が間違っていたのでしょうか? そうではないでしょう。むしろ、別の圧倒的な力が、この信仰の試練を引き起こしているのではないでしょうか。

    その力を何と名づけたらよいでしょう。最近、一番ピンと来るのは、「巨大マネー」という言葉ではないかと思います。巨大マネーの力は、神を信じる者を直接に迫害するのではありません。「神様よりもお金のほうがほんとうは強いんだよ」と人々の心に語りかけ、人を神への信仰から引き離そうとするのです。今の時代に、人に信仰を捨てさせるためには、脅しや拷問は必要ありません。世界の現実を見れば、お金の力が一番強いことはだれの目にも明らかで、そういう世界には神様の居場所はないのです。

    国境を越えたマネーの力はどんどん巨大化していて、もはや国家によるコントロールも効かなくなっています。そして、巨大なマネーの支配は、神を見失わせるだけでなく、人間を踏み潰してもいます。年間3万人を超える日本の自殺者は、その犠牲者ではないでしょうか。食糧価格の高騰で圧迫されている世界の貧しい人々もそうです。多くの人の命を今も奪い続けている戦争の背後にも、この巨大マネーの力が働いているのを感じないわけにはいきません。

    支え合う共同体の力

    お金の力の本質は、欲望と競争をあおり、人と人との間を引き裂いていくことです。国と国を、民族と民族を、金持ちと貧しい人の間をズタズタに引き裂いていくのです。それに抵抗する力は、人と人との連帯にしかありません。

    原主水は、健康・体力・地位・経済力、すべてを兼ね備えた旗本でした。そのすべてを、彼はキリシタンであるというたった一つの理由で失いました。さらに逃亡中に友人たちにも災いが及び、親しい人々をも失っていきました。そういう中で、彼は別の連帯に生きるようになります。それは社会から見捨てられたハンセン病の人々の共同体であり、また厳しい迫害のためハンセン病者たちの間で隠れて活動するようになった貧しいキリシタンたちの共同体でした。この共同体が原主水の信仰を支えたのです。

    今回列福された殉教者たちは、決して「孤独なヒーロー」ではありません。彼らは共同体の中で信仰を最後まで生き抜いた人々でした。そして、その後の潜伏の時代に信仰を受け継いだ人々も皆、共同体として信仰を守り続けた人々でした。

    わたしたちもほんとうに信仰の共同体を必要としています。圧倒的な巨大マネーの支配の中で、「それでも神さまはいるよね。だから信仰と愛をもって生きることは素晴らしいことだよね」と言い合える小さな共同体のつながりなしに、わたしたちは信仰を生きることはできないのです。

    列福式は終わりました。ここからはわたしたちが、本気で信仰の試練と戦う時代が始まります。