愛は決して滅びない(連載1)

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    ペトロ岐部と187殉教者の列福にあたって

    ・・・カトリック新聞」 2008.7.13 第3963号掲載

    1 被害者の視点を持つ

    わたしは大学生のときに東京のカトリック教会で洗礼を受けました。キリシタンとその迫害については日本史の教科書の中で知っている程度で、自分の信仰のルーツという感覚は実のところ、ほとんどありませんでした。

    昨年6月に日本の188人の殉教者の列福が決まってから、いろいろと調べていくうちに、そこには今の日本に生きるわたしたちカトリック信者が学び、考えるべき多くのテーマがあると感じるようになりました。そこで、5回にわたって、この紙上でわたしの思いを分かち合わせていただくことにします。

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    日本二十六聖人像・長崎市 西坂の丘今年は国連で世界人権宣言が採択されて60周年にあたります。4月に教皇ベネディクト16世は国連本部で演説を行いましたが、その中で教皇はすべての人の人権が尊重されなければならないことを改めて訴えました。それは逆に言えば、今なお世界の多くの人の人権が侵害されている現実があるということです。

    現代社会に生きるわたしたちキリスト信者は、すべての人の尊厳を大切にしたいと願っています。神がすべての人をご自分の似姿としてお造りになったという信仰、イエスが神をアッバ(父)と呼び、すべての人の兄弟になってくださったという信仰は、すべての人が例外なく人として尊重されるべきだという思いをわたしたちの心に引き起こすのです。

    殉教者を記念することは、彼らの死を美化していのちを軽んじることではありませんし、英雄的な信仰をたたえるだけでもないはずです。殉教者とは、キリシタン(カトリック信者)であるというだけの理由で国家によっていのちを奪われた圧政の犠牲者であり、被害者だったという面を忘れてはならないでしょう。

    信教の自由

    なぜ日本でキリシタンが迫害されたのか、というのは簡単な問題ではありません。しかし、その根本的な理由は、日本が国家統一に向かう中で、日本を神の国とし、国の支配者を絶対化する傾向が強まっていったのに対して、あくまで神(デウス)だけを絶対者であると信じるキリシタンが国家統一の妨げと見なされたことにあったと言われます。キリスト教は日本人の一致の妨げであるというような考え方は、完全に過去のものになっていると言えるでしょうか。

    1867年、隠れキリシタンに対する迫害事件「浦上四番崩れ」が起こりました。この件で明治政府はヨーロッパの国々から非難を浴び、1873年にようやく「キリシタン禁制の高札」を撤去しました。これは浦上のキリシタンの信念と苦難が明治政府のキリシタン弾圧政策に対する外圧を招き寄せ、信仰の自由を勝ち取った出来事でした。

    1889年公布の大日本帝国憲法第28条では、「日本臣民は安寧秩序を妨げず、臣民たるの義務に背かざる限りにおいて信教の自由を有す」とされました。児童生徒の靖国神社・護国神社集団参拝などの例から分かるように、この自由は国家神道を前提とした上での自由でしかありませんでした。戦後の日本国憲法第20条によって、初めて完全な意味での信教の自由が日本で認められました。しかし、この国では今もなお、ナショナリズムが強まると、信教の自由を含む人権がおびやかされる傾向がなくなってはいないのではないでしょうか。このような懸念から日本の司教団は2007年2月に「信教の自由と政教分離に関する司教団メッセージ」を発表しました。

    苦しみを負った人々との連帯の道

    現代日本において、キリスト信者はとても小さな存在ですが、「どんな人も例外なくすべての人のいのちを大切にする」、そして、「ナショナリズムを超えて世界中のすべての人と対等でよい関係を築いていく」という大きな使命をいただいています。その中で、わたしたちカトリック信者は、かつて日本という国によって圧迫され、自由と生命を踏みにじられたキリシタンの末裔であるという立場・視点を大切にすべきではないでしょうか。なぜならそこに立ったときにこそ、歴史の中で不当な苦しみを負わされてきた人々、今も人権を蹂躙されている多くの人々との連帯の道が開けるからです。