羊のために命を投げ出す キリシタン迫害時代の潜伏司祭

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    ・・・「一粒会だより」第52号 2008.7 掲載


    今年11月24日に長崎で「ペトロ岐部と187殉教者」の列福式が行われます。殉教者を大切にすることは決して死を美化することではなく、むしろ、死に至るまでの彼らの生き方に学ぶことです。188人のほとんどは信徒ですが、ペトロ岐部、ジュリアン中浦、ディオゴ結城了雪、トマス金鍔次兵衛(きんつばじひょうえ)の4人は司祭でした。

    ジュリアン中浦は、天正遣欧使節団としてローマに行った少年使節の中の一人です。1590年に使節団が帰国した時、日本はすでにキリシタン禁制の時代になっていました。ジュリアンは苦労して1608年に長崎で司祭になりましたが、目立たない人だったようです。1614年、すべての司祭が日本国外に追放されることになったとき、ジュリアンは、密かに日本に留まる「潜伏司祭」になりました。それから18年間、隠れて旅をしながら、九州各地の信者を訪問し、励まし続けました。

    他の3人はもはや日本で司祭になる可能性がなくなった時代(1614年以降)に、外国で司祭に叙階された人々でした。ペトロ岐部が司祭になるために単身ローマまで行ったことは有名です。他の2人はフィリピンで司祭叙階を受けています。彼らにとって司祭になること自体が目的でありませんから、そのまま外国に留まっているわけにはいきませんでした。彼らにとって日本に帰ることは殉教することを意味していましたが、かといって殉教することが彼らの目的でもありませんでした。彼らが司祭になった目的は、日本に戻り、牧者を失ったまま迫害の嵐にさらされている日本の信者のために働くこと、日本の人々の救いのために働くこと、これでした。そして、密かに日本に潜入し、各地の信者を励ます活動をするうちに、最後には捕らえられてしまったのです。結城神父は各地に潜んでいたときに彼を助けた人々たちの情報を語るように、厳しい拷問を受けました。しかし彼は口を割らずに殺されていきました。他の司祭も同様でした。

    隠れキリシタンは200年以上、海の彼方から再び司祭がやってくるのを待ち続けたと言われます。そのキリシタンたちが先祖から受け継いだ記憶の中には、このような司祭たちの姿、羊のために命を投げ出す「よい羊飼い」の姿があったのでしょう。殉教者(英語で「Martyr」)とは、本来「イエスの証人」の意味です。これらの司祭たちは、まさに「よい羊飼いであるイエスの証人」として迫害の時代を生き抜いたのです。