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「教会学校リーダーの皆さんへ」 2010/8/2 教会学校委員会

2010年08月02日

教会学校リーダーの皆さんへ
東京教区こどものミサのお知らせ 

2010.8.2
教会学校委員会

 

2010年度東京教区「こどものミサ」

【日 時】  2010年 10月10日(日) 午後2時~5時

【場 所】  東京カテドラル「聖マリア大聖堂」&前庭 

【テーマ】  「二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1・18)
       -召命にこたえて-

 

 

 今年も東京教区主催の「こどものミサ」が、10月10日(日)午後2時から、東京カテドラルにておこなわれます。「こどものミサ」では、毎年参加される小教区ごとに、テーマに基づいた奉納物を準備していただき、当日のミサで奉納するという形をとっています。

そこで、今年のテーマについて、テーマに関するカテケージス(教え)、奉納物など、教会学校リーダーの皆さんに、当日までに子どもたちと共に準備していただきたい事についてお知らせします。

 

  1. テーマについて
    テーマとなっている聖書の箇所についての説明です。子どもたちとより豊かな準備が出来る様に、リーダーの皆さんもテーマとなっている聖書の箇所を深く味わってみてください。
  2. カテケージス(教え) 
    「テーマについて」の資料を参考にしながら、子どもたちにカテケージス(教え)を行ってください。
  3. 奉納物の説明
    製作していただく奉納物についての説明と注意点、製作時のヒントなどをまとめました。ご確認ください。 

 

 


 

1.テーマについて

二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1・18) - 召命にこたえて -

今年のテーマとなっている聖書の言葉は、イエスさまから最初に声をかけられた二人が、イエスさまに従う様子を表しています。二人はガリラヤ湖に舟を浮かべて魚をとる漁師でした。マルコ1章16~20節を一度お読みいただきたいと思います。

イエスさまはガリラヤ湖のほとりを歩いておられました。

そのとき、シモン(後のペトロ)とシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをご覧になりました。彼らは漁師でした。

イエスさまは「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」と言われました。

二人はすぐに網を捨てて従いました。

また、少し進んで、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネが、舟の中で網の手入れをしているのをご覧になると、すぐに彼らをお呼びになりました。

この二人も父ゼベダイを雇い人たちと一緒に舟に残して、イエスの後についていきました。 (マルコ1章16~20参照)

この箇所は「四人の漁師を弟子にする」という小見出しがついているところで、はじめての弟子の召命の物語です。そこで今回の「こどものミサ」では、-召命にこたえて-をサブテーマとし、「召命」(召し出し)について思い巡らし、一緒に祈る時となるようにと願っています。

 

 

さて、「召命」とは何でしょうか。

一般的には、人が司祭または修道者となって神さまと教会に仕える者となることを指しますが、広い意味では、神さまがわたしたち一人ひとりの命に向かって呼びかけておられる神秘のことを指します。「召命」は英語では“Calling”と表されます。「コールセンター」とか「ナースコール」のコール、まさに「呼ぶ」という意味で、神さまがわたしたち一人ひとりの命に呼びかけておられる神秘を表します。

また、“Calling”には「天職」という意味もあります。「彼の司会者ぶり。あれは本当に天職だね」・・・などという言い方をします。「天職」とは、その人がまさにそのことをするために生まれてきた、というような場合に使われる言葉です。神さまはわたしたち一人ひとりの命にそれぞれ独自の使命を与え、またその使命を通して人の幸いのために働きたい望みを創ってくださっているのです。それがわたしたち一人ひとりの命への神さまからの呼びかけ、“Calling”「召命」です。そして、そのことに気付いて「はい」と答え、一歩前に足を踏み出すことを「召命にこたえる」と言います。「召命にこたえる」とは、神さまからの呼びかけに人間がこたえるという、出会いの神秘なのです。先程読んだマルコの1章は、まさに出会いの物語です。もう少し詳しく読んでみたいと思います。

 

「召命にこたえる」とは?

イエスさまはガリラヤ湖で網を打つ、漁師のシモンとその兄弟アンデレに声をかけます。

「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」

二人はすぐに網を捨てて従いました。・・・「二人はすぐに網を捨てて従った」・・・この短い言葉の中に「召命にこたえる」という出会いの神秘が持つ、大切なポイントが表れているように思います。それは「網を捨てる」ということと「従う」ということです。そして「すぐに」ということ。

 

「網を捨てる」とはどういうことでしょうか。

「網」とは漁師にとって無くてはならない仕事の道具、つまり生活を支える基盤、ひいては自分の命が依って立つ根拠です。

それを捨てる。・・・どうして捨てるのかと言えば、全く新しい、比較にならない程完全に自分を支える根拠に出会ったからです。捨てることに意義があるのではなく、より完全な目的に向かうために、今まで目的と思っていたものをその場に置くのです。

全くつまらない例えですが、雪道を寒さに凍えながら歩いていて、もう凍え死にしそうだという時、目の前にもうもうと湯気が立ち上る露天風呂を見つけたら、服を脱いで、その中に飛び込みます。今まで、自分の体温を保ち、支えてくれていたはずの服をその場に置いて、新しいより豊かな支えの根拠の中に身を委ねるのです。

 

次に「従う」とはどういうことでしょうか。

「従う」とはイエスさまに従うことです。方法論とか、規則に従うのでなく、イエスさまというお方に従うのです。行き先が示されたわけでもなく、ついて行った先で何が待っているのかも示されたわけでもないのに、イエスさまに従うのです。それはイエスさまこそが新しい目的、新しい命の根拠だからです。イエスさまは神の永遠のいのちの水が湧き出る泉なのです。だから、今まで立っていた所、住み慣れた土地を離れて、イエスさまというお方に従いそこに入るのです。

 

そして「すぐに」とはどういうことでしょうか。

出来事を通して表される、神さまからの働きかけに「出会った時」それが「すぐに」ではないでしょうか。たとえ他の人の目にどう見えたとしても、その人が神さまからの働きかけに出会わせていただいたその時が、従う「すぐに」という時なのだと思います。

イエスさまから二人に強力な働きかけがありました。

そして二人は「すぐに」「網を捨てて」イエスに「従い」ました。ここに出会いの神秘が実ったのです。

 

ところで、彼らが従ったイエスさまの招き

「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」

という言葉は、一体どういう意味なのでしょうか。

簡単に説明したいと思います。

 

「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」とは?

普通の漁師は食べるために魚をとります。しかし、イエスさまは人間を生かすためにとるのです。人間を永遠のいのちに生かすために人間をとる。そういう働きをする漁師にしようとイエスさまはおっしゃるのです。

多くの人は、人間は死んだらお終いだと思って生きています。人生は生きている間だけのことだ、と考えています。「人生なんて死ぬまでの暇つぶしだ」と考えている人も少なくありません。しかしイエスさまはそうではないことを教えました。人は皆、神さまから永遠に生きるように望まれているのです。イエスさまはそのことを教えました。そしてわたしたちが、その神の望みに出会った時、永遠に生きるものとなることを教えたのです。人間を「死んだら終わり」という囲いの中から連れ出し、永遠に生きることを望む神の望みに出会わせ、そして永遠のいのちに生きる神の国の大洋の中に放つために「人間をとる漁師」にしようと言われるのです。

それにしても、シモンとアンデレに「人間をとる漁師にしよう」と言われたイエスさまこそが、まず間違いなく「人間をとる漁師」であったと思います。イエスさまは人間をとる漁師として、湖の上で働く二人の男たちを、永遠に生きることを望む神のまなざしで見つめ、神の望みに出会わせ、永遠に生きる世界の中へと引き上げたのです。

永遠に生きる世界は、死んだ後に初めて始まるものではありません。出会った「今日」始まる新しいいのちなのです。

シモンとアンデレはイエスさまによって、新しいいのちに引き上げられました。

イエスさまは今日も全く変わらず、わたしたち一人ひとりが永遠に生きるものとなることを望んでおられます。一人の例外もなく、すべての人間が望まれています。

その神の望みに多くの人を出会わせるために、働き手が必要です。

イエスさまはその働き手を求めておられます。それが今回の福音の箇所のイエスさまの言葉です。

「わたしについて来なさい、人間をとる漁師にしよう」

そしてその招きを聞くわたしたち一人ひとりが、それぞれの立場で、それぞれの仕方で「すぐに網を捨てて従う」ものとされるようにと願って、今年のテーマを設定しました。 

  

 

2.当日までに行なっていただきたいカテケージス(教え)

 

今年のテーマ「二人はすぐに網を捨てて従った」(マルコ1・18)を受けて、当日のミサの福音の箇所はマルコ1・16~20としました。事前に福音の内容に親しんでおいていただくために、リーダーのみなさんに子どもたちといっしょにやっていただきたいことがあります。簡単に以下のようにまとめてみました。

 

1.当日の福音 マルコ1・16~20を子どもたちに読んで聞かせる。

イエスさまが最初の弟子たちを召し出す場面です。リーダーのみなさんが、一度子どもたちの前で声を出して、読んで聞かせてほしいと思います。

ガリラヤ湖の写真がありましたら、見せてあげるとイメージが涌くかもしれません。

とても美しい景色です。

(インターネットで「ガリラヤ湖 写真」などと検索をかけると見ることができます。少し大きめにプリントアウトしたら便利かもしれません)

 

2.言葉の説明をする。

「イエスは、ガリラヤ湖のほとりを歩いておられたとき、シモンとシモンの兄弟アンデレが湖で網を打っているのをごらんになった。彼らは漁師だった。」

→シモンは後にペトロと呼ばれるようになる。12弟子の頭。

→漁師とは、魚を獲る人。湖に網を打ち、魚をとってそれで生活している人。

「二人はすぐに網を捨てて従った」

   →網を捨てて従ったとは、漁師の仕事をやめて、イエスさまの後についていったということ。

 

3.こどもたちに質問する。

「どうして二人はすぐに従ったのでしょうか」

   →イエスさまだから。

   →神さまだから。

   →人間をとる漁師になりたかったから。・・・etc

 

この問いは、なかなか難しい問いで、どれが正解といえるような答えはありません。

こどもたちはすぐ、上のような答えをするかもしれませんし、全くわからない・・・かもしれません。

この問いは、大人が聞かれてもなかなか答えられないかもしれません。ですから、無理に答えを出そうとしなくてよいと思います。

どんな意見も「そうかもしれないね」と、答えてくれたことを大切していただいたらいいと思います。

 

4.リーダーの考えを言う。

「やっぱり二人は、神さまに呼びかけられたと思ったのではないかな・・・」
 (*この答えが、次にイエスさまに手紙を書く活動とつながっていきます)

「リーダーはこうではないかと思う」という言い方で、お考えを伝えてあげてください。リーダーがこの福音の箇所を読まれて、お感じになった表現で伝えてくださったらいいと思います。

「テーマについて」の中に書きましたが、人は誰でも何かの出来事を通して、神さまからの働きかけに出会わせてもらうと、「すぐに従う」という時があると思います。神さまはすべての人に働きかけておられるからです。

リーダーの皆さんも、ご自分の経験の中で、もし思い当たることがありましたら、こどもに話してあげたらいいと思います。

「あの時、(自分はそう思っているのだけど)、たしかに神さまが言ってくださったのだと思ったので、そうすることにしたんだ・・・。」

そんな経験があったら、どんな些細なことでも、話してあげたらいいと思います。他の人の目にどう見えても、自分にとっての真実であるなら、こどもは喜んで、そして真剣に聞いてくれるはずです。そしてそのことは必ずこどもたちの心のどこかに残っていくと思います。そして自分が神さまからの呼びかけに気付いていく、大切なヒントになるのです。

そして最後に

「神さまは、二人の弟子たちだけでなく、すべての人に呼びかけていらっしゃいます。一人ひとりの人に使命を与え、役割を与えてくださるのです。神さまはみんなにどんな役割をお与えになっているのかな。」

と投げかけてほしいと思います。

 

5.イエスさまに(神さまに)手紙を書く

「イエスさまに(神さまに)、お手紙を書こう」

前項の結びの投げかけを受けて、子どもたちに手紙を書かせていただきたいと思います。子どもたちは「一人ひとりに呼びかけ、使命と役割を与えてくださる」イエスさま、神さまに向けて書くことになりますが、テーマだけに限定せず、自由に書かせていただいていいと思います。

手紙の内容は、イエスさまへの感謝、質問、疑問、お願い、お祈り、など、さまざまだと思います。

その時、できればリーダーも一緒に書いていただくと、子どもたちもより一生懸命に取り組むと思います。子どもたちが書いた手紙は、奉納する物(後述)の中に入れていただいて、一緒に奉納できるようにしてほしいと思います。

 

 

 

3.当日持参していただきたいもの(奉納物の製作)の説明

今回の奉納は、小教区(聖堂共同体)ごとに、1.「従う心を表すもの」(後で詳述します)2.「イエスさま(神さま)への手紙」を奉納していただきます。1と2は、ひとつにまとめて、一人の子どもが運べるようにしていただきます。(いずれも当日持ってきてください)

製作していただく奉納物については、当日のスムーズな進行のため、ある程度の制約をこちらで決めさせていただきました。ご協力のほどよろしくお願いします。

 

1.「従う心を表すもの」

今回は「従う心を表すもの」として、【従う弟子(またはわたしたち)の人形】か【従うわたしたちの心を表すハート】のどちらかを奉納していただきます。

以下の要領で、各小教区で人形かハートを作ってください。

◇個数:小教区毎に1個

◇機能:人形及びハートが自立すること(祭壇の前に奉納した際、立てかける場所がありません。ですので、台座を設けるなどして、もたれることなく立つ形式にしてください。)

◇大きさ:高さ30センチ以上(あまり小さいと会衆席から見えないため)台座の奥行き38センチ以下(祭壇の前の階段に置くため:38センチは階段の幅です)

置く向きを考えてお作りください。(ただし子ども一人で持って奉納できる大きさ・重さ以下(厳守))

◇材質:可燃物が望ましいです。(とくに、当日持ち帰りを希望されない教会の奉納物は、教会学校委員会で適切に後処理を行いますので、処理があまり難しくないもので  作って頂きますようお願いします。)

 

 

作り方について

決まった作り方はありませんが、

◇子どもが一人で運べるように、なるべく軽いものでお作りください。人形は布に詰め物をして顔を作ることができます。ハートは、一つの方法ですが、風船の上に糊で新聞紙を貼っていき、糊が乾いてから風船を外し、その上に色紙をはったり、色を塗ったりして作ることができる(風船張り子?)のではないでしょうか。

◇奉納物が自立するように、台座等をご工夫ください。なお、台座ではなく、何らかの工夫によって奉納物を自立させても構いません。

◇奉納物は、後述する「イエスさま(神さま)への手紙」と一体とすることができるよう、あらかじめ配慮して製作していただければと思います。(たとえば、手紙を台座の中に入れたり、奉納物の本体の中に入れたり、周りに貼るようにするなど。できあがった「奉納物&手紙」は一人のこどもで運べる大きさにしてください)

 

 

2.《イエスさまへの手紙》

◇子どもたち(一人ひとり)からイエスさまへお手紙を書いてください。

・ 手紙の紙質,大きさや色などについて、特にきまりはありません。

・ わたしたち一人ひとりに呼びかけ、必ず使命や役割を与えてくださるイエスさま、神さまへの 手紙を、書いてもらいます。(手紙の内容については、「2.ミサまでに行なっていただきたいカテケージス(教え)」を参照してください)

◇ 書いた手紙を奉納物と一緒にして、一人の子どもで運べるようにしてください。

(たとえば、台座の中にいれていただいても、周りに貼っていただいても、奉納物の中に入れていただいても構いません。いずれにしても、奉納物と手紙が一体となるようにして下さい)

 

奉納物&手紙の奉納

◇「奉納物&手紙」はミサの中で奉納します。

・ 各教会1名の代表者(厳守)が、中央通路を通り、祭壇まで進みます。祭壇の前で大司教様にお渡しします。(例年奉納の行列が長くなってしまうので、代表者は必ず1名でお願いします。)

・「奉納物」を持ち帰りたい教会は、ミサ当日に会場の受付で申し出て下さい。ミサ後お返しいたします。(手紙はこちらで預かり適切に処理をさせていただきますが、奉納物の中に入ってしまって取り出せない場合は、手紙入りでお返しすることになります。ご了解ください。)

 

 

以上、説明が大変長くなりましたが、よろしくお願いいたします。

ご質問等ございましたら、下記お問い合わせ先までご連絡ください.

 

問い合わせ先:
東京教区 教会学校委員会 担当司祭
稲川圭三神父(カトリック八王子教会 主任司祭)
電話:  042-622-1642
fax: 042-627-6490

e-mail: all_saints@nifty.com

 


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