教区の歴史

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子どもの家エラン開所式説教

2017年10月11日

2017年10月11日

[聖書朗読箇所]

今日の開所式、そして、祝別式にあたり、みなさまに、ひと言申し上げます。

こちら家は、カトリックの女子修道院の家でしたが、わたくしどもが譲り受けまして、このたび、『子どもの家エラン』として、再出発することになりました。今日、こちらに集まって、わたくしたちは喜びを分かち合いながら、希望を新たにし、励まし合って、歩んでゆきたいと思います。

わたくしどもの団体、公益財団法人東京カリタスの家は、財団法人ですが、もともとはカトリック教会の活動として、出発いたしました。われわれの歩みの中で、多くの方のご指導、ご理解をいただき、今日、改めて、公益財団法人の活動として、みなさまに、より一層のご理解、ご指導を願うことになりました。

いま、わたくしが読みました聖書の箇所は、イエス・キリストの復活に関わる箇所です。わたしたちの宗教は、ナザレのイエスといわれるひとりの人の生涯、特に、その《死と復活》という出来事に基づいて成立し、発展してきました。
それは、ナザレのイエスという人の物語です。エルサレムで、惨めな最後を遂げた、ひとりの男、イエスは、ナザレというところの出身なので、ナザレのイエスと呼ばれる男の物語です。

そのイエスは、たしかに、十字架の上で処刑されて、地上の生活を終えたけれども、そのイエスが、いまも生きている、三日目に復活されたという信仰が生まれました。
その信仰を分かち合った人々が、ひとつの団体となり、そして、世界中に広がって、今日、キリスト教の団体がたくさんあります。

いま読まれました箇所は、悲惨な出来事の直後、その出来事を目の当たりにした二人の弟子が、どのような理由でしょうか、エルサレムから、ずっと西の方にあったと言われている、エマオというところを歩いていたときのことです。
一人の旅人が近づいてきて、一緒に歩きはじめた。そして、道々、いろいろな話をした。その話の中心は、エルサレムで起こった、大変大きな、悲しい、ひどい出来事のことです。その旅人は、その出来事に関して、聖書の説明をしながら、弟子たちに、その出来事の意味を話してくれた。そのような物語です。
行き先は、エマオという場所であったそうです。エルサレムの西の方角にある村のようでして、およそ、10キロメートルから12キロメートルくらいでしょうか、歩くのには、少し遠い場所でしたが、当時の人々にとっては、そんなに難しくない歩行距離でした。
そこで、彼らは、日が暮れたので、夕食をともにした。そのときに、その旅人が、実はイエスであったということに、ふたりの弟子は、最初は気が付かなかった。
イエスがパンを取り、賛美の祈りを唱えて、それを裂き、お渡しになったときに、二人の目が開け、イエスだと分かったのですが、その瞬間、イエスの姿は見えなくなりました。
弟子たちは、何時間か、イエスとともに過ごし、「イエスが死と罪を乗り越えて、その姿を弟子たちに現された」という体験をしました。
不思議なことですが、それ以外の箇所でも、復活のイエスと出会ったという話があります。そして、その体験は、イエスが、いつもそばにいて、それだと分かるというような現れかたではなくて、現れては消えてしまうという、そのような出現の出来事であったと、聖書が伝えています。
「東京カリタスの家」はキリスト教の活動として出発しました。キリスト教徒はイエス・キリストの《復活》という出来事にも続いて成立した信者の集まりである、ということを今日お集りの皆様にご理解いただければ幸いです。わたしたちは、《キリストの復活の証人》となることができますよう、努めております。

さて、今日、子どもの家エランの開所式にあたり、こちら家に集まり、ともに過ごす人々、職員、利用してくださる子どもたち、その保護者、ご家族の方、そのような方々にとって、こちらで過ごす時間が、本当に力となり、励ましとなり、心を明るくするような、いわば「復活のキリストとの出会い」のような体験をする家となって欲しいし、またそのようにできると信じます。
それは、誰が見ても、それだと分かるような、そのような明白な体験ではないかもしれません。「しるし」のような体験かもしれません。
この家で、お互いに心を開き、信頼して、そちらに働いてくださる、何かの力、信仰している者にとっては、神の力を認め、そして、感謝しながら、誰にとっても、日々体験する、様々な問題、困難があるという現実の中で、喜んで、希望を持って、日々の生活を送ることができますように、今日は、そのための恵みを、神様に願い、求めたいと思います。

子どもの家エランを利用する人々に、恵みと平和がありますように。
こちらの祈りを心からお献げしたいと思います。