カルメル会助祭叙階式説教

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2017年4月22日 復活の土曜日、上野毛教会

[聖書朗読箇所]

受階者
ヨハネ 志村 武(しむら たけし)

説教

カルメル会の志村武さんの助祭叙階にあたり、ひと言申し上げます。
今日は、復活後の最初の土曜日、復活の土曜日ですので、本日の朗読と祈願に従って、ミサを献げます。
いま読まれました、福音朗読は、マルコの福音の結びの部分です。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい」という、主イエスの言葉をもって、結びとされております。
マルコの福音は、4つの福音の中で、もっとも短く、簡潔な内容であり、成立は、4つの福音書の中で、もっとも早いと思われます。
今日の箇所は16章9節から15節ですが、この最後の部分は、後から教会が付け加えた部分であるということを、聖書学者は言っております。
イエスは、「すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」(マルコ16・15)そのように言われた。
復活した、主イエスは、弟子たちに聖霊を注ぎ、聖霊の恵み、聖霊の力、聖霊の照らしをもって、すべての人が、全世界、この地上のどちらにおいても、イエス・キリストを宣べ伝え、証するという使命を授け、そして、その使命を実行することのできるように、聖霊をお注ぎになりました。

ヨハネ 志村武さんは、そのようにして成立した教会の中で、いま、カルメル会の助祭に叙階され、更に、司祭に叙階される道を歩むこととなっております。助祭は、新約聖書では「奉仕者」、あるいは「執事」と呼ばれています。

使徒言行録によれば、ステファノをはじめとする7人が、もっぱら共同体の食事の世話をする奉仕者として選ばれました。(使徒6・1-6)
ペトロをはじめとする使徒たちは、祈りとみことばの奉仕に専念したい、そのために、教会共同体の奉仕をしようと、貧しい人への愛の奉仕は、後に助祭と呼ばれる人に、もっぱら委ねることになったとされております。

助祭は、教会共同体の奉仕の活動・運営・管理などの、非常に大切な責務を担うようになり、助祭の存在は、非常に重要なものとなりました。しかし教会の歴史の進展の中で、次第に、そのような助祭の任務が忘れられ、廃れてゆき、ラテン教会、わたしたちの教会では、司祭職に至るための1つの段階、過渡的な助祭だけが残りました。

「これではいけない」という意見が取り上げられまして、わたしたちの教会は、終身助祭の制度を再考しました。司祭になるために取りあえずなる助祭ではなくて、終身、一生助祭として奉仕しますという人を任命し、叙階することができるようになった。もともとは、助祭とはそのような存在でした。
司教協議会も、その道を開くように決定し、現在、全国には、多くの終身助祭の方がおられます。

なお、助祭の典礼における任務は、次のように言われております。
「荘厳に洗礼式を執行し、聖体を保管し、分け与え、教会の名において結婚に立ち合い、祝福し、死の近くにある者に聖体を運び、信者たちのために聖書を朗読し、人々に教え勧告し、信徒の祭礼と祈りを司会し、準秘跡を授け、葬儀と埋葬を司式する」(『教会憲章』29)と決められております。

さて、志村さんは、やがて、司祭になり、カルメル修道会の霊性に従って、生涯を神様にお献げになる。その、志村さんの召命の中で、日本の福音宣教、日本の福音化の使命を担う、分担することになります。
カルメル会の霊性を生きるとともに、この日本における福音宣教、日本におられる人々に、イエスの福音を宣べ伝え、且つイエス・キリストの復活の証人となるという任務を、しっかりと実行していただきたいと思います。
特に、わたくしが、いま念頭に置いておりますことは、すべての信徒の方を福音宣教へと進ませる、福音宣教をする者、福音宣教者とするために、教え導き、励ますという務めを、わたしたち司祭は授かっている、ということです。

更に、カルメル会の司祭になるわけですから、「祈り」ということを教えていただきたい。この世にあって、この忙しい毎日の生活の中で、祈りをもって、日々を神様に献げる人となるためには、どのようにしたらよいのかということについて、親しく、具体的に教え、実行する者となっていただきたい。
日本の社会では、いま、少なからぬ人が、いわば、行き暮れ、迷い、子どもの貧困ということが、現実となっており、更に、家庭の問題、家庭が崩壊している、あるいは、家庭が危機的な状況にあるという中で、人々は生きるための光、支え、道筋を見失いがちである、と思います。
そのような人々のために、励まし、導き、希望となる、イエス・キリストの道を指し示すよう、どうか、努力してくださるようにお願いいたします。