教区の歴史

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復活徹夜祭説教

2017年04月15日

2017年4月15日、カテドラル関口教会

[聖書朗読箇所]

今年は、3月1日が灰の水曜日でした。その日から四旬節が始まり、そして、4月9日、受難の主日から、わたしたちは聖週間を過ごして来ました。

いま、わたしたちは、復活の聖なる徹夜祭の祭儀を執り行っております。復活徹夜祭は、教会の伝統が伝える、最も豊かで重要な典礼祭儀です。このなかで、洗礼式が行われ、多くの兄弟姉妹が洗礼をお受けになります。わたしたちも洗礼を受けた者です。
洗礼式では「白衣の授与」が行われます。そのときに、司祭は「あなたがたは新しい人となり、キリストを着る者となりました。神の国の完成を待ち望みながら、キリストに従って歩みなさい。」と言います。「白い衣を受ける」ということは、「生まれ変わって新しい人になる」ということを意味しています。
更に、それぞれの方は、自分のろうそくに、復活のろうそくから光を受け取ります。これは、「復活のいのち受け、復活のいのちを生き、そして、復活の光を受けて、人々を照らす者となる」ということを表しています。

今日の、復活徹夜祭の最初の部分で、わたしたちは、光の祭儀を行いました。「洗礼」という言葉は、ギリシャ語で「バプティスマ」と言いますが、「水に浸される。水に沈められる」ということを、元来意味しています。

ローマ書(6・3-11)の朗読が教えているように、それは、キリストの死と復活にあずかるということ、キリストとともに死に、キリストとともに、新しい命に生きるようになる、ということを意味しております。洗礼を受ける人は、罪に支配される古い自分に死に、キリストの復活の命を受けて、新しい人間として生まれ変わるのです。

復活徹夜祭で必ず読まれなければならない出エジプト記(14·15-15·1)は、イスラエルの民が紅海を渡って、エジプトでの奴隷の状態から解放されたことを述べていますが、これは、あらかじめ洗礼の秘跡を示す「しるし」であり、紅海は洗礼の泉を、イスラエルの民は、洗礼によって罪から解放される、わたしたちキリスト信者を表すと解釈されています。

また、エゼキエルの預言(36・16-28)の朗読がありました。
「わたしが清い水をお前たちの上に振りかけるとき、お前たちは清められる。わたしはお前たちを、すべての汚れとすべての偶像から清める。わたしはお前たちに新しい心を与え、お前たちの中に新しい霊を置く。わたしはお前たちの体から石を取り除き、肉の心を与える」(36・25-26)。
神の霊の働きによって、わたしたちの頑なな心は打ち砕かれ、神の言葉に素直に、柔軟に聞き従う、新しい人となるということを表しています。

わたしたちは、人生の歩みの中で、非常に辛いこと、あるいは、どうしようもない、嫌な思いをすることがあるかもしれません。自分で自分を受け入れることが、難しいと感じることがあるかもしれない。
そのようなときでも、わたしたちは新しく生まれ変わることができるという信仰を、新たにしたいと思います。人は、どのような過去があっても、新しく生まれ変わることができる。わたしたちは、そのように信じます。

今日、洗礼を受けられるみなさん、洗礼によって受ける新しい命は、最後の過越しである「死」によって完成します。わたしたちは生涯かけて「死から命へ」という過越しの神秘、復活の信仰に従って歩みます。これからの日々を、希望と、そして、主なる神様への信頼を持って、お献げするようにいたしましょう。

復活徹夜祭では、更に、洗礼を受けた人たちの「洗礼の約束の更新」が行われます。洗礼を受けている、兄弟姉妹のみなさん、洗礼を受けたときのことを思い起こしましょう。
あのときの喜び、あのときのすがすがしい気持ちを思い出しながら、新たな決意を持って、キリストの弟子として歩むことができますよう、聖霊のご保護とおん助けを祈り求めましょう。