教区の歴史

教区の歴史

2017年へ向かって

2016年12月01日

2016年11月28日、司祭月例集会の日に
東京大司教 ペトロ 岡田武夫

 

(以下は2016年の司祭集会を閉じるにあたり、岡田大司教が司祭団に語った「まとめ」を文字化し、さらに整理し、書き直して作成した大司教文書です。)

 

1.教会の使命

 わたしたち神の民である教会は福音宣教(福音化)と言われる務めを受けております。福音宣教(福音化)は神の民全員に求められている務めでありまして、わたしたち司祭は、信徒の方と協働して、この務めを果たさなければならないと思います。
 キリスト信者はそれぞれの立場を尊重しながら、この使命の遂行のために協働し、一緒に歩まなければなりません。
 キリスト信者とは、神の民である教会全員です。そのなかには信徒、奉献生活者(修道者、在俗会会員など)、司教・司祭・助祭が含まれています。
 わたしたち司教・司祭・助祭は、この協働がよく機能するよう、心構えを作り、教会の体制を整えていかなければなりません。
 今回は、まず、すでに実現していることですが、信仰講座、入門講座に、信徒の方が協力者として協働し、あるいは司祭からの委託を受けて担当するよう、環境を整え、その動きを奨励し、推進したいと思います。

 

2.「伝える」と「教える」

 「わたしたちは勉強していないので、教えることはできない」という声があります。確かに教えるということは、その準備をしていないとできません。
 しかし、自分の信仰を伝える、宣言するということは、信者であれば誰でもできるし、すべきことだと思います。そして、だれでもそれなりに、「教える」ということもできるはずです。信者である司祭と信徒が、一緒に行なうべき福音宣教の中に、「福音を伝える」ということと「教える」ということの両方が必要ではないかと思うのであります。
 「信仰年」に際してわたくしは、教区の皆さんに書簡を送りました。その中で以下のことがらを心がけるように皆さんにお願いしました。
 「自分の信仰を確かめましょう。この機会に、わたくしたちが何を、誰を、どのように信じているのかを確かめ、その信仰をさらに深めるように努める。そして、その自分の信仰を言葉、生活、行動で証しし、伝えるということを試みましょう。」
 さらにこのお願いの中に、教会共同体の交わりのなかで、「教えを教える」という務めを加えたいと思います。

 

3.優先課題

 東京教区は、「信仰の生涯養成」、「外国籍の人々のためのサポート」、「心の病を持つ人々へのサポート」という、3つの優先課題を掲げてきました。
 その中の第一は「信仰の生涯養成」ということでありまして、この機会にさらにこの生涯養成という課題への取り組みを前進させたいと思ったわけです。
 わたしたちは、「信仰を伝える」だけではなく、「教える」ということもしなくてはならない。司祭など、特にその役割を担う人はもちろんいるのですけれども、今回は、さらに、信者の方に、「教える」という務めにも、加わっていただきたいと思います。
 「信じている」ということを宣言し、伝え、教えるためにはそれなりの準備をしなければならない。司祭をはじめ信者はチームを作って、役割を分担して、信仰講座、入門講座をするようにしていただきたいのです。
 すべての聖堂共同体(教会全体)で、すぐにこの試みを実行することは難しいと思いますので、いくつかの教会、又は宣教協力体で、試みを実施していただいて、徐々に定着させたいと考えています。

 

4.荒れ野のオアシス(来訪者へのあたたかい受け入れ)

 日曜日の司祭は大変忙しいと思います。ミサの前後に色々な用事があります。他方、日曜日教会に来る人、自分から来る人、あるいは、誰かが連れてくる人、中には勉強したいというわけではないが、教会に来た、そこで、どのように受け入れられるかということが、非常に大切なことだと思います。
 「勉強したい、講座に参加したい」という方々は、そのようにお願いするから良いのですが、その前の段階にいる方を、わたしたちはどのようにあたたかく受け入れるか、という課題があります。
 それで、ベネディクト16世が教皇になられた時の説教に言われた「荒れ野のオアシス」という言葉を使いながら、「わたしたちは、荒れ野のオアシスにならなければならない」と、度々お話してきました。
 この目標は、ある程度は実現していますが、非常に不十分であります。特に大都会において、わたしたちは、そこには潤い、安らぎ、光、助けがある、そういう人と人との交わりのある、そういうふうな共同体を築きたいと思います。我々のところに来てくれる人たちがいたら、その人たちをあたたかく親切に受け入れたいと思います。どこの教会でも「受付」とか、「ミサの案内係」がいて、ミサがかよくわからない方々の案内をしていると思います。この態勢を前進させ発展させたいと願っています。
 クリスマスがもうすぐです、クリスマスには信者でない方が多数ミサに参加してくださいます。聖体拝領と祝福についてのアナウンスの仕方にも特に留意したいものです。
 「信仰講座を受けたい」、「聖書を読みたい」、あるいは「教えを聞きたい」という意思を表明していないけれど、カトリック教会に何かを求めて来た人に、どのようにわたしたちが応じるかということがわたしたちの重要な課題です。

 

5.信仰入門講座・信仰講座の協力者、担当者の養成講座

 そこで教区として、信仰講座を担当し、あるいは、協力する人を養成するための勉強会、あるいは、講座を開設したいと思います。
 そのための良い本はいろいろとありますが、教皇庁が『カトリック教会のカテキズム』という本を出しました。これが基本的な教理の指導書になります。日本の司教協議会は、この指導書を基礎にして、時間をかけて、『カトリック教会の教え』という、日本の教会のための指導書を作りました。これを、直接、入門講座のテキストに使っていただくわけではなくて、入門講座や信仰講座を担当する司祭はもちろんですが、司祭に協力する信者あるいは司祭から委託を受けた信者の方にも役に立てていただきたいと思います。
 この本が日本のカトリック教会としての基準となる「教え」のテキストです。しかし、これを誰でも使わなければならないというわけではありません。
 入門講座、信仰講座のための教科書のように使うことができるよい要理の解説書が多数発行されていますのでそれを利用することができます。
 そこで以上の二課題の分担を整理します。
   1) 入門講座の担当者、協力者の養成
   2) 訪問者への対応。(教会に何らかのつながりとか、助けを求めてくる人の受け入れ方を
      一緒に考えるという課題)
 この二つの必要に生涯養成委員会の皆さんが答えてくださるよう、お願いします。

 

6.新福音化委員会への委託

 もう一つの重要な課題があります。
 それは、「キリスト教がこの社会でどう思われているか、キリスト教が広まらないのは、どういう点が人々にとって受け入れがたいのか、どういうことが躓きなのか」という問題です。それは「日本の文化とキリスト教の関係」という問題につながります。
 また思いますに、人々の目に映るキリスト信者の姿のどの部分が、人々の躓きになっているのでしょうか。
 さらに、人々が素朴に考える疑問にどのように応答するか、という課題です。例えば、東日本大震災の時に、日本に住んでいる少女エレナさんの疑問に教皇ベネディクトが丁寧に回答した、ということがありました。少女の質問は、「なぜ日本に住んでいるわたしたち、子どもたちは、こんなに怖い目に合わなければならないのか」という疑問でありました。
 このような問題・課題には、生涯養成委員会ではなく、「新福音化委員会」で対応していただけると良いと思います。
 また、社会の福音化ということですが、『なぜ、教会が社会問題に関わるのか』という手頃なパンフレットを活用していきたい。
 これは教区の社会福音化諸委員会等の連絡会で検討し担当していただきたいと考えています。

 

7.「宣教協力体のための指針」について

 「宣教協力体のための指針」は2003年に出したものであります。
 個々の共同体は、特定の聖堂に集まる共同体ということで、「聖堂共同体」と名前を付けました。「宣教協力体はいくつかの聖堂共同体によって構成されています」(宣教協力体のための指針より)。
 宣教協力体は、いくつかの聖堂共同体、最低3つ、場合によっては5つで成り立っている。聖堂共同体同士が話し合い、協力し合って、教会の使命を推進していきましょう。
 「宣教協力体のための指針」のなかで『教会憲章』37の一部を引用して次のように述べています。
 「信徒は自分の必要と望みを、神の子らとキリストにおける兄弟にふさわしい自由と信頼をもって牧者に表明すべきである。信徒はその知識、才能、識見に応じて、教会の利害に関する事がらについて自分の意見を発表する権利、ときには義務をもっている。このような場合には、教会がそのために制定した機関を通して行なうべきであって、常に真実と勇気と賢慮をもって、聖なる職務のためにキリストの代理をつとめる人々に対する尊敬と愛のうちに行なわなければならない。」
 信徒は自分の意見を表明し、司祭に協力する権利、義務がある。ふさわしい機関を通して行なってくださいと、と述べています。
 次に我々司祭はどういう態度であるべきかが述べられている。「聖なる牧者は、教会における信徒の地位と責任を認め、またこれを向上させなければならない。信徒の賢明な助言をこころよく受け入れ、教会の奉仕のために信頼をもってかれらに任務を委ね、行動の自由と余地を彼らに残し、さらに、彼らが自発的に仕事に着手するよう奨励しなければならない。また信徒から提案された創意、要求、希望を、キリストにおける慈父としての愛をもって慎重に考慮しなければならない」

 わたしたちは信徒の方の創意、意見をよく聞き、検討し、そして一緒に考えて具体的な事がらの決定をしていかなければならないということです。さらに司牧評議会(通称:教会委員会)ですが、重要な事がらを司祭抜きで決めてはならない。逆に信徒を無視して司祭だけで決めてしまうこともないようにお願いします。

 小教区においても、経済問題評議会は設置しなければならないことになっています。教会の財産を主任司祭が恣意的に自分だけの判断で動かすことがないように歯止めをかけるという機能を担っていると思います。
 そして信者総会(または信徒総会)について述べます。総会には当然、牧者が出席するわけで、司祭抜きに多数の信者が参加する会が開かれて、何か重要なことを話し合って、しかも決定ということはありえないわけですが。
 それぞれの聖堂共同体によって在り方の違いがあるわけです。人数の多い教会の場合、事実上、総会というのは開催が難しく、代表者あるいはグループの代表の会になるかもしれないが、総会というものが重要事項を分かち合い、確認し、そして特に共同体に新しい義務を課するような決定は慎重に、時間をかけて話し合って、合意を作っていただきたいことを確認しておきます。