特別聖年の閉幕式ミサ説教

image_pdfimage_print

2016年11月13日、年間第33主日、カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

11月は死者の月と呼ばれ、11月1日は諸聖人の祭日、主なる神様の懐に憩っておられる諸聖人を記念いたしました。その翌日、2日は、すべての死者のために祈り、ミサを献げる日でありました。そして、来週の主日は、王であるキリストの祭日であります。  
わたしたちは、自分の最後、地上における最後、つまり、「死」を思うと共に、わたしたち人類の最後の日のことをも、思うべき時を迎えております。今日の福音書に述べられているように、壮麗なエルサレムの神殿も、実際に、破壊される時が来たのでした。
この世に存在するすべてのものは、いつか、すべて滅びることになると聖書は教えております。  

今日の福音の中で、主イエスは言われました。  
「忍耐によって、あなたがたは命をかち取りなさい。」  
この言葉を黙想したいと思います。  
わたしたちは、自分の力で、主イエスの復活の恵みに与ることはできません。人間は、自分の力によって、救いに至ることはできない。  
神の恵み、主イエス・キリストのあがない、復活の栄光に与らせていただくことによってのみ、わたしたちは、神の救いに至ることができます。我慢して、頑張って、永遠の命を獲得するというような意味に解釈すると、違ってくる、福音のメッセージから逸れてしまうというのではないかと思います。  
主イエスは、世の終わりまで、あなたがたと共にいると言われました。わたしたちと共にいてくださる、主イエス・キリストを思い、キリストに留まるならば、わたしたちは永遠の命、神の懐に至ることができるでしょう。  

わたしたちの地上の生涯は、「試練」と「誘惑」にさらされています。「試練」という言葉と「誘惑」という言葉は、良く似ております。

わたしたちが日々唱える「主の祈り」では、  
「わたしたちが誘惑に陥らないようにお守りください。」  
「わたしたちを悪からお救いください。」  
と祈っております。  

「誘惑」、それは決して神から来るのではなく、わたしたちの心の中にある、「乱れた欲望」から来ます。あるいは、「悪」から来ます。「悪」が人格化されると「悪魔」ということになります。「誘惑」は、「悪」から悪いことへと誘う、誘(いざな)いであります。  

「試練」というのは、弱いわたしたちが日々出会う、困難な数々の事柄であります。  
この「試練」に打ち勝つことができるように、打ち勝つためには、主イエス・キリストのもとに、信頼と勇気をもっていつも留まれなければならないのです。そうできますよう、聖霊がわたしたちを導いてくださいます。  

聖霊の導きに従って、生涯を終え、神のもとに凱旋された方々が、聖人であります。今日、特に、記念する二人の聖人、ポーランド出身の聖人、聖ヨハネ・パウロ二世、聖ファウスチーナ、このお二人のことを特に思いながら、わたしたちが聖霊によって守られ、強めていただけますように、心からお祈りしたいと思います。