主の晩さん夕べのミサ説教

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2015年4月2日 東京カテドラル関口教会にて

[聖書朗読箇所]

説教

今日の福音は冒頭の部分で次のように述べています。

「過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」(ヨハネ13・1)

ヨハネは、「イエスは弟子たちをこの上なく、極みまで愛した」と言っています。

イエスの弟子たちとは、自分たちの中でだれが一番偉いのか、ということを熱心に議論するような、いたって普通の、利己的で欠点を持った、いわば俗物の人間でした。しかしイエスはそのような弟子たちを愛していました。

12人の中にはイエスを裏切ることになるユダもいます。イエスはユダも愛していました。

イエスは自分が地上を去り父のもとへ帰る時が来たことを知り、弟子たちへの愛の模範を示します。イエスがしたことは、奴隷がする仕事とされる足を洗うことでした。12人の弟子の足をイエスは洗います。12人の中にはユダもいたのでした。

そのユダについてヨハネは述べています。

「夕食のときであった。既に悪魔は、イスカリオテのシモンの子ユダに、イエスを裏切る考えを抱かせていた。」(ヨハネ13・2)

ユダはこのときすでにイエスを裏切ろうとする考えを抱いていたのです。

イエスは言われました。「皆が清いわけではない。」(ヨハネ13・10)「イエスは、御自分を裏切ろうとしている者がだれであるかを知っておられた」(ヨハネ13・11)のです。イエスはユダが自分を裏切ることを知っていたが、それでも、そのユダを友として愛していたのでした。

そのあと食事の席についてイエスは言われました。「あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ろうとしている。」(ヨハネ13・21)

動揺が弟子たちの間に起こります。それは誰かと問われて、イエスは、「わたしがパン切れを浸して与えるのがその人だ」(ヨハネ13・26)と答え、ユダにパンを与えました。ヨハネは、その時に「サタンが彼の中に入った(ヨハネ13・27)」と述べています。このときにユダは裏切りの決断をしたのでしょうか。

マタイの福音ではイエスが裏切られ逮捕される場面を次のように描いています。

「ユダは、『わたしが接吻するのが、その人だ。それを捕まえろ』と、前もって合図を決めていた。ユダはすぐイエスに近寄り、「先生、こんばんは」と言って接吻した。イエスは、『友よ、しようとしていることをするがよい』と言われた。すると人々は進み寄り、イエスに手をかけて捕らえた。」(マタイ26・48-50)

イエスは弟子たちに父の教えを伝え、彼らを友と呼びました。イエスはユダも友の一人として愛していたのです。このイエス逮捕の場面でもイエスはユダを「友」と呼んでいます。このユダを12使徒の一人に選んだのはイエス自身です。

とは言うものの、イエスを裏切ったという点では12弟子は同罪です。ペトロは、はっきりと主を知らないと誓って、呪いの言葉さえ口にしてイエスを否んだのです。(マタイ26・69-75参照) ユダはイエスを裏切ったことを悔やんで自殺しました。ユダだけが不当に大悪人扱いされているような気がします。確かにユダはイエスを裏切った。しかし裏切りという点ではほかの使徒も同罪です。

わたしたちは裏切り(あるいは背信)ということをどう考えるでしょうか。人生には裏切りということがつきものです。わたしたちは多少とも人を裏切り、また裏切られたという体験があるのではないでしょうか。

ここでわたしはまた、ユダはなぜイエスを裏切ったのか、と考えてみます。イエスがこの世の王として、ローマの支配から解放するメシアであると考えたのに、一向にその気配がないので失望したからでしょうか。他の弟子たちへの嫉妬のためか、また弟子たちの中で孤立していたからか。本当のことはわかりません。確かなことは、ユダはイエスへの愛の中で揺れ動いていた、ということです。

さて誰でも知っているように、イエスは敵への愛を説いた人です。そしてその教えを実行した人です。

身近なものが自分を裏切った場合、普通その人への怒り、憎しみはそれだけ大きいものがあります。イエスは親しい弟子たちに裏切られました。

しかしイエスは彼らを赦します。復活したイエスが弟子たちに現われて最初に言った言葉は、「あなたがたに平和があるように」(ヨハネ20・19)でした。これはイエスの赦しの宣言です。

ユダはこのイエスの赦しを信じなかったのでしょうか。ユダの死後の運命は神にしかわかりませが、後悔して自殺したのですから、いつくしみ深いイエスはユダの魂をその手に受け取ったのではないでしょうか。

「あなたの敵を愛し、自分を迫害する者のために祈りなさい。」(マタイ5・44)

敵を愛する恵みを祈りましょう。