教区の歴史

教区の歴史

納骨式ミサ説教

2014年09月27日

2014年9月27日 カトリック府中墓地にて

[聖書朗読箇所]

説教

今日は三人の神父様方の納骨式を行います。

おもいがけないことに、今年の7月から8月にかけてのわずか一ヶ月の間に三人の教区司祭のかたがたを天の父のもとへ見送ることになりました。

7月27日、ヨハネ・マリア・ヴィアンネ佐久間彪神父様が帰天されました。
後を追うように使徒ヨハネ宮内薫行神父様が7月30日になくなられました。
そして8月23日には、ルカ荒井金蔵神父様が地上の生涯を終えて天の父の元へと旅立たれました。

今日は三人の神父様の永久の安息を祈り、ご遺骨をお納めいたします。
わたしたちキリスト者にとって死とは、キリストの過ぎ越しの神秘に与り、地上の生活を終えて、復活のいのちへ移されることであります。

この信仰は死者のためのミサの叙唱で美しく表現されています。

「信じる者にとって死は滅びではなく、新たないのちへの門であり、地上の生活を終わった後も、天に永遠のすみかが備えられています。」

ここでいう永遠のすみかとは、神の国が完成した状態、ヨハネの黙示録が伝える『新しい天と新しい地』のことではないでしょうか。

亡くなられた三人の神父様は何度この祈り、この叙唱を唱えられたことでしょうか。

この信仰と希望はイエス・キリストの死と復活によって与えられました。キリストの死は受難と十字架による死です。イエスはご自分の死を弟子たちに予告しましたが、弟子たちにはその言葉を理解できませんでした。

しかし、彼らが何か恐ろしいことが起こると感じていたようです。イエスの死の意味を信じることがキリスト教の信仰の中心に位置しています。

旧約時代には、まだ復活の信仰は生まれていません。あるいはその萌芽、予告があるといえるでしょうか。
あらゆる地上の価値は、神に結ばれてはじめて意味を持ちます。神だけが永遠であり完全であり、わたしたちはその神への旅に召されています。

司祭の務めを終えた三人の方々に慈しみ深い神が豊かな報いを与えてくださいますように祈りましょう。そしてわたしたちもそれぞれよき死の準備をすることができますようあわせてお祈りいたしましょう。