日本カトリック大学連盟総会・ミサ説教

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2014年6月14日 東京純心女子学園聖堂にて

[聖書朗読箇所]

説教

今日の第一朗読では預言者エリシャの召命が語られています。エリシャは預言者エリヤの精神を受け継ぐ預言者です。エリヤは主なる神への熱烈な愛を述べた預言者として知られています。

旧約聖書のイスラエルの神は「ねたむ神」〔新共同訳聖書では(熱情の神)出エジプト20・5など〕として知られています。

他方、旧約聖書から新約聖書へ神の救いの歴史が展開し、イスラエルの神はすべての人の救いを望む、慈しみの神であることが次第に明らかにされます。

聖書は、神は罪人を赦し、すべての人をご自分の下へと招いておられることを啓示します。

今日のヨハネの福音は宣べています。

「父よ、あなたがわたしの内におられ、わたしがあなたの内にいるように、すべての人を一つにしてください。彼らもわたしたちの内にいるようにしてください。そうすれば、世は、あなたがわたしをお遣わしになったことを、信じるようになります。」(ヨハネ17:21)

イエスは誤ることなく父のみ心を知り、そして父のみ心を行いました。イエスは父と完全に一致していました。

すべての人はイエスにおいて一つになり、同じ父である神の子どもとなるようにと招かれています。

今週の日曜日は聖霊降臨の祭日でした。フランシスコ教皇は、イスラエルのシモン・ペレス大統領とパレスチナ自治政府のマフムード・アッバス議長をヴァチカンに迎え、ヴァチカンの庭で、中東の平和を願う合同祈祷会を開きました。この祈りの集いには、コンスタンチノープル総主教バルトロマイ一世も参加したとのことです。

祈りには、旧約聖書、新約聖書、コーランから取られた言葉が使われました。教皇は平和の構築には戦争をするよりも勇気が必要であると述べ、憎悪と暴力の連鎖を断ち切るように促しました。両氏は握手を交わしオリーヴの木を植えてから、教皇を交えて会談したと報道されています。(『毎日新聞』2014年6月9日、夕刊より)

パレスチナの歴史は紛争と対立、戦闘の絶えない繰り返しである、という印象があります。これは本当に残念なことです。

そもそもモーセに率いられたイスラエルがカナンの地に入ったときにすでにイスラエルはカナンの住民と激しい戦闘を行っています。その後もイスラエルの民は周囲の民族と戦争を繰り返しています。

7世紀にイスラム教が成立すると、次第にイスラム教徒が中近東を支配するようになりました。

結果的にエルサレムはユダヤ教、キリスト教、イスラム教の三大宗教の聖地となり争奪の地となりました。十字軍による聖地奪還という出来事もありました。聖地をめぐる争いは絶えることなく現在に続いています。

この現象は極東の島国日本に住む者にとって理解し難い、受け入れがたい歴史の展開です。

教皇フランシスコは主イエスのみこころに従って、同じ神を信じる者同士が神に祈り、互いに赦しあい、受け入れあって、同じ神の子・兄弟姉妹として一致することを強く望まれました。

6月8日、聖霊降臨の祭日、世界中の人々に、中近東での平和を願う祈りをささげるようにと、教皇が呼びかけを行ったのです。わたしたちもその呼びかけに答えて祈りました。

さて、日本においてキリスト教は少数者です。立派な福音宣教者がおり、そして、教育、福祉、医療などの部門でキリスト教は多大な実績を上げてきました。しかし信者の数は非常に少ないのです。その理由について、さまざまに論じられてきました。わたくしもその原因を考えてきました。

わたしたち日本に住む者が、歴史等からキリスト教について受け取っているイメージがあります。そのなかに、今、中近東で起こっている紛争などからつくられてマイナスのイメージがあると思います。「十字軍」とか「異端審問」などの出来事を世界史の教科書から知って、キリスト教に対して「排他的な宗教」いうイメージを抱いてしまう恐れがあるのかもしれません。

20世紀には二つの世界大戦がありました。同じ唯一の神を信じているはずの人々の行った悲惨で残虐な行為です。

神の名によって戦争を行うとは大きな間違いです。神は自分の子ども同士が憎み合い殺し合うことを望むはずがないのです。

教皇ヨハネ・パウロ二世が、紀元2000年を迎えるにあたり、この過去の過ちを心から悔いるのでなければ三千年紀の敷居を越えることはできないと断言したことを思い起こします。

日本のカトリック学校の使命は、「平和のためにはたらく人を養成する」ということです。この使命の遂行に努力していただきたいと切望いたします。