井上洋治神父納骨式ミサ説教

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2014年5月31日(聖母の訪問の祝日)府中墓地にて

[聖書朗読箇所]

説教

十字架のヨハネ井上洋治神父様は2014年3月8日、地上の生涯を終えられて主のもとに召されました。わたしたちは本日2014年5月31日、府中墓地に集い、ミサをささげ、納骨式を行います。

おりしも今日は聖母の月といわれる5月最後の日、聖母の訪問の祝日です。今日の第一朗読は二つの選択肢がありますが、ローマ書の12章のほうを選びました。

ここには申し分のない教え、非常に高邁な愛の教え、アガペーの教えが述べられています。「愛には偽りがあってはなりません、悪を憎み、善から離れず、・・・・。」(ローマ12・9-16b)

本当にその通りであり、人間の口からこのような崇高な教えが語られるとは信じがたいほどです。これを聞くと、わたくしのような弱く自分勝手な者には実行がおぼつかないように感じます。井上神父さんにこの箇所をどう思うか、生前に聞いてみたかったです。

通夜の説教で申し上げたことですが、1976年(昭和51年)、神父さんは『日本とイエスの顔』という著書を以ってご自分の思索と祈りの結果を世に問われました。ここでとりあげられている課題は、今の言葉で言えばinculturationということです。キリスト教が日本の地でなかなか受け入れられないのはなぜかということを井上師は生涯をかけて追及されました。

井上師は、その理由を次にように言います。

「キリスト教は文字を媒介として入ってきたのではなく、西欧のものの考え方や文化の歴史をその血の中に受けついでいる、宣教師という生きた人間を媒介として日本に入ってきたのでした。・・・明治来のキリスト教は、いわば苗を植えつけるのではなく、西欧という土壌で育った西欧キリスト教と言う大木をそのまま日本の土壌に植えつけようとしていたと言えるでしょう。」(同書63ページ)

大木の移植は容易ではありません。苗植えから、あるいは種蒔きからはじめなければならないのです。

使徒パウロはまずイエス・キリストへの信仰を説きました。そして信じた人の新しい生活の基準を示したのです。それが第一朗読の愛の教えです。

愛の実行を教える前に、神の愛の教えがあります。神の愛はナザレのイエスによって示され実行されたのでした。わたしたちは主イエスにおいて示された神の愛を信じたのです。

壮大な樹木のような「教え」を理解する前に、樹木の中を流れている中心となっていること、つまりその根幹にある「神の愛」を理解するということが大切です。「神の愛」を如何に信じて実行するのか、ということが大切です。

井上神父さんはこの点において思索と祈りを重ねたのでしょうか。浄土宗という仏教の開祖は法然という方ですが、万巻の経典を読み尽くしたにもかかわらず、最終的には、「南無阿弥陀仏」という祈りを唱えさえすれば浄土に往生できると説いた、と伝えられています。井上神父さんはこの法然の教えに大きな影響を受けたのではないか、と思います。

問題は、まず罪人を愛し受け入れる神の愛を信じることです。そこで「神の愛」とは何かをもっと素朴に単純に受け止め現すことが求められています。

今の時代、多くの人は、自分を肯定できない、自分を表現できない、という漠然とした悩みをもっているように感じます。罪人であり欠点のあるこの自分を無条件に受け入れる神を信じることが大切です。・・・・井上神父さんの生涯からこの点について学ぶことが多々あると思います。

神の愛を素直に信じたおとめマリアの取次ぎによって信仰の恵みを祈りましょう。