降誕祭日中のミサ説教

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2013年12月25日10時 東京カテドラル

[聖書朗読箇所]

説教

毎年、降誕祭の日中のミサの福音はヨハネの福音の冒頭の部分です。

「言(ことば)は肉となって、わたしたちの間に宿られた。」(ヨハネ1・14)

今日のミサのメッセージの中心はこの一節に込められています。言(ことば)とはイエス・キリストです。永遠の神であるみ言葉はわたしたちと同じ人間となられました。わたしたちと同じ、弱く脆い滅び行くものである人間となってくださったのです。それはわたしたちを贖い、救い、わたしたちを永遠の命に与らせるためでした。誰も神を見た者はいません。永遠の神はおん子イエス・キリストによってご自分を現されました。イエス・キリストは見えない神の見える現れ、人となられた神であります。* 父である神は目に見えない方ですがイエスはわたしたちと同じ人間となった見える神です。

イエスご自身言われました。

「わたしを見たものは父を見たのである。」(ヨハネ14・9)

イエスはそのように断言しました。

わたしたちはイエスの弟子であり、イエスに倣う者です。教会は聖霊降臨のときに設立されました。わたしたちは聖霊の助け、導きにより、主イエスをあかしし、イエスを伝えるために派遣されています。

しかし、イエスの弟子であるわたしたちは果たして、「わたしたちを見れば、そこに神がおられることが分かります」と言えるように生きているでしょうか。

ヨハネの手紙は言っています。

「いまだかって神を見た者はいません。わたしたちが互いに愛し合うならば、神はわたしたちの内にとどまってくださり、神の愛がわたしたちの内で全うされているのです。」(ヨハネ一4・12)

わたしたちはそのような神の愛を実行しているでしょうか。わたしたちはどのように主イエスの愛の生涯を実行しているのでしょうか。

「信仰年」にあたりわたしたちは「信仰の導き手でありその完成者であるイエス」(ヘブライ12・2、フランシスコ会聖書研究所訳)に倣って信仰を深めるよう努めてきました。さらにわたしたちは信仰に基づいて、イエスに倣い、神の愛を生き、人々に信仰の喜びを伝えなければなりません。

「信仰年」終了の日の11月24日、教皇フランシスコは『福音の喜び』という教え(使徒的勧告)を発表し、わたしたちが深く福音の喜びを味わい、その喜びを人々へ伝えるよう励ましています。

福音の喜びはまず身近な人々へ伝えられなければなりません。身近な人々とはまず家族です。教皇はわたしたちが自分の家庭に注意を向けるよう招いています。

来年の10月にローマでシノドス(代表司教会議)が開かれます。主題は「家庭」です。

教皇フランシスコは「信仰年」を終わったわたしたちがまず自分の家庭に目を向けるよう求めています。

わたしたちは自分の家庭でどのように信仰を実行し信仰を伝えているでしょうか。

家庭において神の愛をどのように生きているでしょうか。

現代の家庭にはどのような問題があるでしょうか。

司牧者は家庭の問題をどのように受けとめ、信徒を助けるために何をしているでしょうか。

このような課題を司教たちが分かち合い、さらに有効な「家庭の司牧のガイドライン」の策定へ向かう予定である、と発表されています。東京教区でも来年は「家庭の福音化へ向けての司牧の挑戦(チャレンジ)」という課題に取り組みたいと願っています。

主イエスはいつもわたしたちと共にいてくださいます。復活のキリストが絶えずわたしたちに聖霊を送り、弱いわたしたちを強め、迷うわたしたちを導いてくださいますように。アーメン。

 

*今日の第二朗読、ヘブライ人への手紙によれば、イエスは「万物の相続者」であり、「世界を創造された」方、「神の栄光の反映」「神の本質の完全な現れ」であり、「万物をご自分の力ある言葉によって支えて」いる方です。(ヘブライ1・3参照)