教区の歴史

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福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の記念日ミサ説教

2013年07月01日

2013年7月1日 麹町教会にて

[聖書朗読箇所]

説教 

今日は福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の記念日です。福者ペトロ岐部司祭と187殉教者は1603年から39年にかけて日本各地で殉教した人々です。この中で東京教区内、現在の東京都で殉教した方はペトロ岐部とヨハネ原主水のお二人です。

ペトロ岐部の生涯を一言で言うとすれば「不退転」と言う言葉がもっとも適切であるといわれます。まさに彼は不退転の勇気をもって信仰を生き抜き殉教した人です。処刑した幕府の残した記録には

「キベヘイトロはコロび申さず候。ツルシ殺され候」とあります。(カトリック中央協議会『ペトロ岐部と一八七殉教者』、「江戸の殉教者 ペトロ岐部」より)

1639年のことでした。

今日の福音でイエスは言っています。

「わたしに従いなさい。死んでいる者たちに、自分の死者を葬らせなさい。」(マタイ8・22)

イエスはすべてをなげうって自分に従うことを求めました。ペトロ岐部はまさにこのイエスに招きに徹底的に答えて、「不退転」の信仰の生涯を送ったのでした。

2008年11月24日、長崎でペトロ岐部司祭と187殉教者の列福式が行われました。主司式と説教は故白柳誠一枢機卿でした。

さて、福者ペトロ岐部司祭と187殉教者の殉教からおよそ400年経ち、日本の社会の状況はすっかり変わりました。

400年前は、キリスト教はいわば反体制の危険な宗教とみなされていたのです。現在は憲法により、もっとも基本的な人権である「信教の自由」が保障されており、400年前のような迫害はありません。

そのような状況でいま勇気を持ってわたしたちが実行し証言し発言すべき信仰告白とは何でありましょうか?

これは、「信仰年」を過ごすわたしたちにとって非常に重大な問いかけです。

14年間連続して3万人もの人が自死を遂げる社会です。家族がお互いに支えあうことが難しい状況です。個人が非常に生きにくい社会になっているのではないですか?

わたくしはいまの深刻な問題は「個人の尊厳」と言うことではないか、と思います。個人が尊重されながら自由に支えあい助け合うつながりを築き上げること、それが教会の使命ではないか、と思います。

ところで教会がそのために貢献するには、教会自体が主キリストにおいて互いに支えあい助け合う「砂漠のオアシス、泉」となっていなければなりません。その理想の実現から教会はまだ遠い状態にあります。教会内には多くの困難と問題があります。

わたしたちは、ペトロ岐部と187殉教者の信仰と勇気に倣い、現状に忍耐と希望をもって自らの課題に対処することを学びたいと思います。

わたくしは、とくに忍耐して希望する、ということがいまもっとも大切であると思います。

日本の社会は著しく国際化してきました。国際化したこの社会の中で教会は多文化共生のさきがけとならなければなりません。民族の違いを超えて同じ神の民として共通理解を深め相互支援を促進するという使命をわたしたちは受けているのです。

今年は教皇ヨハネ二十三世の回勅『地上の平和』発布五十周年です。まもなく、読みやすく訳し直された『地上の平和』が出版される予定です。

地上に平和をもたらすためにわたしたちが力を合わせて祈り働くことが出来ますよう、切に願い、聖霊の助けと導きを祈りましょう。