教区の歴史

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習志野教会「喜びの主日」説教

2012年12月16日

2012年12月16日 待降節第3主日 習志野教会にて

 

第一朗読 ゼファニヤ3・14-17

第二朗読 フィリピ4・4-7

福音朗読 ルカ3・10-18

 

(福音本文)

〔そのとき、群衆はヨハネに、〕「わたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「下着を二枚持っている者は、一枚も持たない者に分けてやれ。食べ物を持っている者も同じようにせよ」と答えた。徴税人も洗礼を受けるために来て、「先生、わたしたちはどうすればよいのですか」と言った。ヨハネは、「規定以上のものは取り立てるな」と言った。兵士も、「このわたしたちはどうすればよいのですか」と尋ねた。ヨハネは、「だれからも金をゆすり取ったり、だまし取ったりするな。自分の給料で満足せよ」と言った。

民衆はメシアを待ち望んでいて、ヨハネについて、もしかしたら彼がメシアではないかと、皆心の中で考えていた。そこで、ヨハネは皆に向かって言った。「わたしはあなたたちに水で洗礼を授けるが、わたしよりも優れた方が来られる。わたしは、その方の履物のひもを解く値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」ヨハネは、ほかにもさまざまな勧めをして、民衆に福音を告げ知らせた。

 

今日は待降節第三主日で、「喜びの主日」とも言われており、薔薇色の祭服を着けることができます。

主の降誕を迎える準備のためにもっとも大切なことは「悔い改め」ということです。今日はゆるしの秘跡を受ける機会が設けられておりますのでぜひ皆さん、罪の告白をして、すがすがしい心でクリスマスをお迎えください。

 

洗礼者ヨハネは悔い改めを説きました。群集の「わたしたちはどうすればいいのですか」という問いに対して今日の福音でヨハネは答えています。その答えは結局、「愛と正義の実行」ということでした。

禁欲生活・苦行の生活をしているヨハネですから、人々にも苦行、断食、祈り、犠牲などを要求したのかと言えばそうではなく、むしろ日常生活で日々実行すべき当然のことがらを守り行うように教えています。このヨハネの勧めは今日、ゆるしの秘跡を受けるための準備に大いに役立ちます。

わたしたちは困っている隣人をどのように助けているでしょうか?経済的のみならず肉体的にも精神的にも隣人を助けているでしょうか? わたしたちはなすべきこと、正義を実践しているでしょうか?自分の仕事の上で不正をしていないか?市民として社会正義の実践に努めているか?教会の社会教説を学んでいるか?この機会に反省いたしましょう。

待降節第三主日は「喜びの主日」と呼ばれます。主がすぐ近くに来ておられることを喜ぶ日となっています。入祭唱は「主にあっていつも喜べ。重ねて言う、喜べ。主は近づいておられる」となっています。ヨハネはメシアの到来を告げ知らせ「その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる」(ルカ3・16)といっています。

第二朗読ではパウロのフィリピの教会への手紙からとられています。

「主において常に喜びなさい。重ねて言います。喜びなさい。あなたがたの広い心がすべての人に知られるようになさい。主はすぐ近くにおられます。どんなことでも、思い煩うのはやめなさい。何事につけ、感謝を込めて祈りと願いをささげ、求めているものを神に打ち明けなさい。そうすれば、あらゆる人知を超える神の平和が、あなたがたの心と考えとをキリスト・イエスによって守るでしょう。」(フィリピ4・4-7)

本当にすばらしい教えです。しかし実行可能な教えでしょうか?人生とは困難なものであり、日々はトラブルと試練で織り成されているのではないでしょうか?

有名な聖人アッシジのフランシスコは喜びと幸福に満ちた聖人でした。彼は兄弟が暗く悲しい様子をしていると、ゆるしの秘跡を受けるように勧めていました。イエス・キリストの弟子たちにとって罪だけが人間を不幸にするのであり、すべての苦しみは主イエスから与えられて十字架として喜んで担うべき苦しみでありました。聖フランシスコはそのように考えていたと思います。

イエスは言われました。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11・28-30)

今日もこの主イエスの言葉を深く味わいたいと思います。

正直に言えば、「思い煩うのはやめなさい」といわれても実行は困難だと感じます。自分にできることを誠実に実行したら、後は神様の計らいにお任せしましょう。

今日のゆるしの秘跡で告白するとすれば、神に対する信頼と希望において足りないことはないかと言うことだと思います。