教区の歴史

教区の歴史

高幡教会聖堂献堂30周年記念ミサ説教

2012年11月11日

2012年11月11日 高幡教会にて

 

第一朗読 列王記上8・27-30

第二朗読 一コリント3・9-11

福音朗読 ルカ6・47-49

 

(福音本文)

わたしのもとに来て、わたしの言葉を聞き、それを行う人が皆、どんな人に似ているかを示そう。それは、地面を深く掘り下げ、岩の上に土台を置いて家を建てた人に似ている。洪水になって川の水がその家に押し寄せたが、しっかり建ててあったので、揺り動かすことができなかった。しかし、聞いても行わない者は、土台なしで地面に家を建てた人に似ている。川の水が押し寄せると、家はたちまち倒れ、その壊れ方がひどかった。

 

あらためまして、カトリック高幡教会献堂三十周年を心からお祝い申し上げます。おめでとうございます。

わたしたちの教会は聖霊降臨のときに誕生しました。弟子たちは主イエスの命令に従い、全世界に行って福音を宣べ伝え、教会を建設しました。

日本には聖フランシスコ・ザビエルによって1549年に福音が伝えられ、日本における教会が始まりました。キリシタン時代の宣教と禁教・迫害の時代を経て、明治維新を迎え、キリスト教禁制の高札が撤去されるときが来ました。すでにその前の1862年、ちょう150年前のことですが、日本における再宣教が開始しております。ことしは日本再宣教150周年、そして日本二十六聖人殉教者の列聖150周年にあたります。

皆さんの高幡聖堂は30年前に献堂されました。おりしも今年は「信仰年」に当たっています。

きょうの朗読が教えていますように、教会の土台はイエス・キリスト以外にありえません。わたしたちはイエス・キリストという土台に上にわたしたちの教会を建てなければなりません。「信仰年」にあたって、もっとも大切なことはイエス・キリストを知ること、もっとよく知ることであります。

ヨハネの福音でイエスは言っています。

「永遠の命とは、唯一のまことの神であるあなたと、あなたがお遣わしになったイエス・キリストを知ることです。」(17・3)

イエスをよく知るためには福音書を良く学び味わってください。そしてイエスの生き方を自分の生き方としてください。自分の思いではなくイエスの思いを大切にしましょう。

イエスは父である神のみ旨を行うことを第一にし、自分の思いを捨てて父のみ旨を行い、十字架上で命をお献げになりました。

人間とは自分の思いに固執するものです。自分がどう思われるか、と言うことが気になって仕方がない、ということがあります。イエスに従う道はそうではありません。

このことにつき、先日、たまたまよい祈りを見つけました。マザーテレサの祈りです。きょう、献堂三十周年記念にこの祈りを皆さんに紹介し贈呈いたします。

イエスよ、わたしを解放してください。

評価されたいという思いから、

わたしを解放してください。

イエスよ、

重んじられたいという思いから、

ほめられたいという思いから、

好まれたいという思いから、

相談されたいという思いから、

認められたいという思いから、

わたしを解放してください。

アーメン。*

 

*祈りの全文と英語の原文は以下のとおりです。

 

イエスよ、わたしを解放してください。

愛されたいという思いから、評価されたいという思いから、

重んじられたいという思いから、ほめられたいという思いから、

好まれたいという思いから、相談されたいという思いから、

認められたいという思いから、有名になりたいという思いから、

侮辱されることへの恐れから、見下されることへの恐れから、

非難される苦しみへの恐れから、中傷されることへの恐れから、

忘れられることへの恐れから、誤解されることへの恐れから、

からかわれることへの恐れから、疑われることへの恐れから。

 

MOTHER TERESA’S PRAYER

Deliver me O Jesus from the desire of being esteemed.

Deliver me O Jesus from the desire of being loved.

Deliver me O Jesus from the desire of being honored, and being praised, and being preferred to others.

Deliver me O Jesus from the desire of being consulted.

Deliver me O Jesus from the desire of being approved and popular.

Deliver me O Jesus from the fear of being humiliated, from the fear of being despised, from the fear of being rebuked.

Deliver me O Jesus from the fear of being slandered, from the fear of being forgotten, and the fear of being wronged.

Deliver me O Jesus from the fear of being ridiculed and suspected.

Amen.