教区の歴史

教区の歴史

東京教区合同追悼ミサ(カテドラル)説教

2012年11月04日

2012年11月4日 東京カテドラル関口教会にて

 

福音朗読 ヨハネ6・37-40

 

(福音本文)

父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。

 

カトリック教会では11月は死者の月です。そしてカトリック東京教区では、11月の第一日曜日であるきょうが、教区としてカテドラル・聖マリア大聖堂地下にあるお墓へお参りをする日でございます。

地上の旅を終わって天の父のもとへ旅たたれた兄弟姉妹のかたがた、家族、親族、友人、知人のかたがたの永久の安息のためにご一緒に祈りをおささげいたしましょう。

日本ではキリスト教信者は非常に少ないです。わたしたちの家族、親族、友人、知人には、信者でない方が多数いらっしゃいます。きょうはその方々のためにもお祈りいたしましょう。

ただいまのヨハネの福音は、

「わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」

と告げています。

このヨハネの言葉は次のテモテへの手紙の言葉を連想させます。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」(一テモテ2・4-5)

またヨハネの福音によればイエスは、

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことはできない」

と言われました。

「神はすべての人の救いを望んでいる、しかし、救いはイエス・キリストによらなければありえない。」

この二つの命題をどのように調和させ両立させることができるのでしょうか?イエスに出会うことができなかった人、あるいはイエスの名前を知らなかった人の救いはどうなるのでしょうか?

解決の鍵は「聖霊」であると思います。

第二ヴァチカン公会議は次のように教えています。

「神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に提供すると信じなければならない。」(『現代世界憲章』22項)

聖霊の働きによって、イエスを知らなかったかたがたも神のもとへ行くことができるのです。

キリスト教徒になる機会がないまま亡くなった多くの方々、先祖、親族、友人、知人のために祈りましょう。どうかこの人々を聖霊の導きにあずからせ、このかたがたに永遠の命も恵みをお与えくださるようにお願いいたしましょう。