教区の歴史

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死者の日ミサ説教

2012年11月02日

2012年11月2日 東京カテドラル関口教会にて

 

福音朗読 ヨハネ6・37-40

 

(福音本文)

父がわたしにお与えになる人は皆、わたしのところに来る。わたしのもとに来る人を、わたしは決して追い出さない。 わたしが天から降って来たのは、自分の意志を行うためではなく、わたしをお遣わしになった方の御心を行うためである。

わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。

 

「わたしをお遣わしになった方の御心とは、わたしに与えてくださった人を一人も失わないで、終わりの日に復活させることである。わたしの父の御心は、子を見て信じる者が皆永遠の命を得ることであり、わたしがその人を終わりの日に復活させることだからである。」(ヨハネ6・39-40)

父である神様は御子を信じるものは皆救われて永遠の命にいたることを望んでおられます。

テモテへの手紙でも次のように言われています。

「神は、すべての人々が救われて真理を知るようになることを望んでおられます。 神は唯一であり、神と人との間の仲介者も、人であるキリスト・イエスただおひとりなのです。」(1テモテ2・4-5)

神はすべての人が救われることを望んでいます。また神はすべての人が真理を知ることを望んでいます。

ということは、「救われる」ということと「真理を知る」ということとは重なる、一致する、ということになります。

他方、神と人の仲介者はイエス・キリストただ一人です。(1テモテ2・5)

またイエスは言われました。

「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、誰も父のもとに行くことができない。」(ヨハネ14・6)

それでは、イエス・キリストを知る機会を与えられずになくなった人の救いはどうなるのでしょうか?イエスを信じる機会を与えられなかった人々は救われないのでしょうか?わたしたちの祖先の多くはイエスの名を知らずに生涯を終えました。この人々は救われないのでしょうか?

「神はすべての人が救われることを望んでおられる」という命題と「イエスによらなければ救いはない」という命題とどのように両立するのでしょうか?

この二つの命題を両立させる鍵は聖霊の働きであると思います。聖霊はすべての人に働きます。時間と場所の限界を超えて働き、救いの恵みにあずからせることができます。

第二ヴァチカン公会議の文書『現代世界憲章』では次のように教えられています。

「神だけが知っている方法によって、聖霊が復活秘義にあずかる可能性をすべての人に提供すると信じなければならない。」(22項)

この教えに信頼し、今日はなくなったすべての人々、特に先祖、親族、家族、友人、知人、恩人の皆さんの永久の安息のために祈りをささげましょう。