教区の歴史

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千葉中央宣教協力体合同堅信式説教(年間第26主日)

2012年09月30日

2012年9月30日 年間第26主日 千葉寺教会にて

 

第一朗読 民数記11・25-29

第二朗読 ヤコブ5・1-6

福音朗読 マルコ9・38-43,45,47-48

 

今日は千葉中央宣教協力体の合同堅信式が行われます。堅信の秘跡はキリスト信者を聖霊降臨の恵みに与らせる秘跡です。イエスの弟子たちも、聖霊降臨の恵みを受けて初めてイエスの心を理解するようになりました。

先週の福音でイエスは再び受難の予告をしています。しかし弟子たちにはそれが何のことだか、分かりませんでした。

彼らは「自分たちの中で誰が一番偉いのか」ということに大きな関心をもっていました。十字架の道を行くイエスの心を弟子たちは誰一人理解していませんでした。しかし弟子たちは後ほど復活されたイエスと出会い、イエスの生涯と言葉の意味を深く知るようになったのでした。それは聖霊の導きを受けてからのことです。

今日の福音は先週の二度目の受難の予告に続く箇所で、イエスは弟子たちの狭い、排他的な縄張り主義(セクショナリズム)を非難しています。

ヨハネがイエスに言った。「先生、お名前を使って悪霊を追い出している者を見ましたが、わたしたちに従わないので、やめさせようとしました。」

イエスは言われた。「やめさせてはならない。わたしの名を使って奇跡を行い、そのすぐ後で、わたしの悪口は言えまい。わたしたちに逆らわない者は、わたしたちの味方なのである。(マルコ9・38-40)

「お名前」といえばイエスの名前です。イエスの名前を使って悪霊を追い出すとは、イエスの力を使って悪霊を追い出すということ、聖霊の働きによって悪霊に打ち勝つと言うことに他なりません。

ヨハネは「わたしたちに従わないので」と言っていますが、その従わない人は、弟子たちの力ではなく、イエスの力によって悪霊を追放していたのですから、弟子たちが止めさせるのは筋違いでしょう。彼らは、自分の支配権が侵害されたと思ったのでしょう。

しかしイエスの考えは違います。「我々に反対しない者は、我々に賛成するものである。」(マルコ9・40)新共同訳は「わたしたちに逆らわない者」と訳していますが、「反対しない者」と訳することもできます。

今日の第一朗読で、七十人の長老にも、モーセに授けられた霊が分け与えられたことについて、ヌンの子ヨシュアが妬んでいます。ヨシュアもヨハネらとおなじ、恵みの独占欲にとらわれていました。

ここでイエスが言っているのは「神は寛容であるからあなたがたも寛容であれ」ということです。神の働き、聖霊の働きは場所と時間の限定を受けません。キリスト教の諸教派の中ではもとより、他の宗教においても、あるいは信仰していないと自認している人の中でも働いています。

わたしたちは、自分たちの教会の外に見られるあらゆる良いこと、美しいこと、真実なことに対し、素直に評価しなければなりません。また、信仰の理解の違う人々に対しても、信仰の自由の権利を尊重しなければなりません。

カトリック教会はその点で多いに反省すべきです。教会の歴史の中で信仰の自由を尊重しなければならないという考えがなかったわけではありません。しかし、信仰の自由(信教の自由)に関する理解は第二ヴァチカン公会議のときになってやっと現在の理解、すなわち「他者の信仰には寛容でなければならない、信仰の自由は大切な基本的人権に属する」という理解を確立するに至ったのです。

さて10月11日より『信仰年』が始まりますので、わたくしは教区の皆さんに手紙を送りました。手紙の要点は次の五項目です。

  1. イエス・キリストをより深く知る。

  2. 第二ヴァチカン公会議と『カトリック教会のカテキズム』を学ぶ。

  3. 『信条』を学ぶ。

  4. 典礼と秘跡、日々の祈りと黙想を大切にする。

  5. 信仰と愛のあかしを実行する。

本日堅信を受けられる皆さんは特に心して、以上の五箇条を目標にしながら日々、信仰を深めるようにしていただきたいと思います。