教区の歴史

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本所教会「日本26聖人殉教者列聖150周年記念」ミサ説教

2012年02月05日

2012年2月5日 本所教会にて

 

第一朗読 ガラテヤ2・19-20

福音朗読 マタイ28・16-20

 

日本26聖人殉教者は1597年2月5日、長崎の西坂の丘で殉教しました。1862年6月8日、聖霊降臨の日にあたりまして、時の教皇ピオ9世が26聖人を列聖されました。列聖150年を迎えております。

「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28・18-20)

このイエス様の宣教命令を受け、キリストの弟子たちは世界中に派遣されました。1549年、わたしたち日本には聖フランシスコ・ザビエルが初めて福音を伝えてくれました。短い年月の間に多くの人が信者となり、それとともに迫害も始まり、多くの人が殉教いたしました。26聖人は日本の殉教者の最初の人々、初穂と呼ばれます。

あらためて26聖人の殉教の様子を読みますと、本当に神様の恵みが、この26人に働いていたと痛感します。人間を超えた神の恵みがなければ、このような勇壮な最後を遂げることはできないと感じます。彼らは祈りのうちに喜んで、自分の命を神様に捧げました。

この機会に26人はどんな方であったかをみますと、一人インドの方が入っておられます。聖ゴンザロ・ガルシアというフランシスコ会の修道士でした。

なにかのおりにインドの司教様に会った時に、「日本の26聖人の中にインド人がひとりいるんだよ」と、言われまして、こちらが知らなかった者ですから、恥ずかしい思いをしました。メキシコの方も一人おられます。わたくしの友だちで今東京教区で働いているマルコ・アントニオ神父さんが、何年か前ここでそのお話をなさいました。

迫害の原因・理由について、いろいろな研究が行われてきました。溝部脩司教様がやはり何年か前ここで講演なさり、当時の教会のほうにも迫害を引き起こすような問題がなかったわけではない、というようなことを言っておられます。

それにしても短い年月の間に、こんなに熱心な信者が多数生まれたのはどうしてでしょうか。逆に言いますと、迫害のない現代、どうしてわたしたちは人数も少ないですし、また、何故信仰の熱も燃えあがっていないのでしょうか?

1975年は「聖年」、聖なる年でございました。時の教皇パウロ6世は「現代世界の福音化について」という教えを発表されました。

わたくしは、白柳大司教様の命令で、75年からローマで勉強を始めました。そして、「日本の宣教をどうしたらいいのだろうか?日本の宣教が進展しないのはどうしてだろうか?どのような精神で、どのような姿勢で、イエス様の福音を宣べ伝えていったらいいのだろうか?そのことについて教会の権威は何を教えているのだろうか?」ということなどについて勉強いたしました。勉強して日本に帰って、その教えに従って歩んできましたが、なかなか難しい状況でございます。

ことし2012年、26聖人の殉教からほぼ400年経ち、いま、わたしたちはどんな状態にあるでしょうか?

400年前の熱意、勇気、勢いというものを、わたしたちは持っているとはいえない、それならば、今年からそうなるように、殉教者の取り次ぎを願いながら、お祈りいたしましょう。

400年前、時の為政者は、キリスト教は危険な宗教と考えました。現代、わたしたちは信教の自由、宗教活動の自由が保障されております。迫害はありません。しかし、公権力による迫害はないが、他の目に見ない敵が存在しているのではないでしょうか? そのほうがもっと手ごわいのではないでしょうか?

わたしたち日本人は非常に長生きするようになりました。長寿国であります。しかし同時に自死者、自分で自分の死を遂げてしまうが自死者が、連続14年間3万人を超えています。

どうしてそうなってしまうのか、わたしたちキリスト教徒は、その人たちのために働きたい。その人の支え、励ましになりたいと思います。生きるということはたいへんなことですが、いっしょにやって行きましょう。助け合いましょう。神様がいらっしゃいます。イエス様は復活なさいました。そういうメッセージをその人たちにぜひ伝えて、毎日手を取り合って歩んで行こうと思います。

殉教というのは証しという意味であります。命をかけて信仰を証しした人が殉教者でございます。

昨年、一字の漢字でいうと「絆」だそうです。わたしたちにとって絆とは、まず神様との絆であります。神様の言葉を聞き、イエス様の言葉を聞き、読み、そして、わたしたちの願いを神様にお捧げする、そのような父と子と聖霊の三位一体の神様との交わりのなかで、隣人を大切にしたい。一人ひとりの人に、あなたは神様に愛されている、かけがえのない大切な存在です、ということを表し、伝えて行きたいと思います。

「キリストがわたしの内に生きておられる」(ガラテヤ2・20)と、聖パウロが言いました。生きているのは自分ではない。キリストだと言われました。わたしたちもそのような、強いしっかりとした信仰をいただきたいものだと思います。

ベネディクト16世教皇様は、今年の10月11日から「信仰年」が始まると宣言なさいました。「信仰年」は、第二バチカン公会議開催50周年を記念して始められます。そして、「信仰年」開始には、もう一つの理由があります。それは『カトリック教会のカテキズム』発布20周年を記念して行なわれます。

この『カトリック教会のカテキズム』というのは、まだ、あまり皆さまにはお馴染みではないと思います。第二バチカン公会議は65年に終わりました。

その20年後の85年に、第二バチカン公会議を振り返り、確認をするための司教の代表者の会議、「特別シノドス」がローマで開催されました。20周年記念の会議です。その会議で、教皇様に一つの願いが出されました。『公会議の教え、それから、教皇さまの教えを織り込んだ、新しい要理の指導書を編集し発行してください』という願いです。宗教改革が起こったあと開かれたトリエント公会議の教えを基に、教理問答書(カテキズム)が作られました。

第二バチカン公会議の教えに基づいた、古い伝統を保ちながら、新しい教えを盛り込んだカテキズムを作っていただきたいということでした。その願いに対して、『カトリック教会のカテキズム』という本ができました。

たいへんに内容が豊かで、厚い本でして、易しい、分かりやすい本、とはいえませんが、この本を勉強するようにと、教皇さまは望んでおられます。 

もう一つ、この「カテキズム」を発行したときの教皇さまは――ヨハネ・パウロ二世教皇です――この教皇様がおっしゃったことがもう一つあります。

それは、それぞれの国で、自分の事情、文化に応じて要理の本を作ってください。このままでは難しいかも知れませんから、それぞれの地域で、事情に応じて、分り易い、その人たちの表現・方法で新しい教えの本を作ってください。そういう願いがなされておりました。

日本の司教たちは、それに応えて、『カトリック教会の教え』という本を作りました。それを勉強していただけると、ありがたいと思います。

列聖150年を迎えると同時に、「信仰年」を迎えるにも当たり、日本26聖人殉教者の取り次ぎを願いながら、どうか、わたしたちの信仰を深めてくださいとお祈りいたしましょう。