教区の歴史

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講演「現代の荒れ野で―カトリック教会の福音宣教(福音化)―」 『宣教学ジャーナル』 2011年第5号掲載

2011年08月03日

(JMS第五回全国研究会基調講演 2010年6月26日 清泉女子大学にて) 

岡田 武夫 Takeo OKADA

 

  

概要

現教皇ベネディクト16世は就任ミサ説教で現代世界の荒れ野について語った。私は現代の荒れ野である首都圏の教会として、教会が人々にとって荒れ野の泉・オアシスとなるよう力を尽くしたい。1975年に教皇パウロ6世は使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi』を発布し、この世界を福音の精神によって「福音化する」ことを訴えている。日本のカトリック司教協議会は2回にわたり、『福音宣教推進全国会議(NICE)』を開催した(1987年、1993年)。カトリック東京教区ではさらに優先課題1、2、3を掲げて福音化の遂行に励んでいる。

 

おはようございます。ただいまご紹介をいただきました岡田でございます。

小田武彦神父さまを通して今日お話しするように依頼されましたのは、かれこれ1年ぐらい前であります。皆さまの前でまとまりのある、そして学問的な裏づけのある話をするのは無理ではないかなと思いますが、私の感想程度のお話でよろしければと思って、お引き受けいたしました。

最近、『現代の荒れ野で』という著書を出版させていただきました。これは、まとまった論文集ではございません。毎日、司教としての仕事をしながら、心にあるいろいろな思いをその都度、書き留めたものをオリエンス宗教研究所のほうでまとめてくださったものでございます。

私の出身は千葉県の房総半島のほぼ中央、現在は市原市と呼ばれているところでございまして、山間部で生まれ育ちました。東京教区の司祭になりまして、派遣された教会は、千葉県郊外の教会でございまして、都内の繁華な人の多い教会で働いたことはございませんでした。

司教になる前の5年半ほど、カトリック中央協議会で下働きをさせていただきました。月曜から金曜まで事務所に出勤し、土日は依頼された事柄、その中には、司祭ですからミサを捧げることもありましたが、講演ということも多かったのであります。

浦和教区司教を9年務めた後、東京教区大司教になったのですが、大都会の真ん中で、司教として日々を過ごしていると、本当にここは荒れ野ではないかなと思います。私たちはまさに荒れ野の中に置かれているのではないかと、ここ10年ほど特に強く感じております。人間が豊かに生きるためには、非常に難しい状況があると感じています。

ご存知のように、日本では自死者、最近は自殺という言葉より自死という言葉を使うことが多くなったと思いますが、自死者が多くて、12年連続3万人を超えているという事実がございます。人々の心の中には、寒々とした、耐えがたいものがあるのかなと思ったりしております。

カトリック教会の最高指導者は、ローマの司教で、我々は教皇さまと呼んでおります。現在の教皇はベネディクト16世で、就任して5年たちます。この5年間いろいろなことがあり、現在も、次から次へと出てくるいろいろな問題、不祥事、スキャンダル、特に司祭、聖職者の児童性的虐待事件が暴露されたりして、大変お悩みになっていることと思います。

私は1975年にローマに留学いたしました。ちょうどその年の12月8日に、当時の教皇パウロ6世が使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi』(邦題『福音宣教』)を発表されました。カトリックでは、12月8日はマリアさまの祝日、無原罪の聖マリアの祭日でありますが、『Evangelii Nuntiandi』は、教会とは何かということをいろいろな表現で述べております。

イエスは復活され、弟子たちに聖霊を注ぎ、教会を設立し、そして地上を去っていかれた。しかし「私は世の終わりまで、あなたがたとともにいる」とおっしゃって、私たちの教会を設立されました。『Evangelii Nuntiandi』は、この教会が、復活のイエスの別離と現存のしるしであると述べております。教会とイエスは一体ではありませんが、ある意味でイエスを継続させ、延長させるものです。その継続性、延長性というものが、どれくらい正確であり忠実であるか、ということが問われているわけです。

復活したイエスがいらっしゃるということが、私たちを見てご理解いただけるならば、大変幸いなことでありますが、時代により、場所により、復活のイエスの現存の度合いはさまざまです。イエスの現存のしるしは、あるときは非常にほの暗いしるしとなり、あるときは輝かしいしるしとなります。

私はいつも、この『Evangelii Nuntiandi』の言葉を思い出し、説教などに引用したりいたします。現在のカトリック教会は、どちらかというと、かなり暗い状況、明々と輝いている状況ではない、と私は感じております。

現在の教皇ベネディクト16世は、2005年4月24日に就任なさいました。その就任ミサでの説教が伝えられております。現在は中央協議会のホームページに邦訳が出ておりますが、私は英文で読みまして、その中に出てくる一つの言葉にひきつけられたのであります。それがdesert「荒れ野」という言葉です。

ベネディクト16世は、現代の世界には荒れ野があるのだと言われました。荒れ野に置かれている羊たちの世話をし、彼らに神の恵みを伝え、永遠の命へ導くのが牧者の務めです。自分はその任務を引き受けました。私はどんなに自分が無力であるかということを強く自覚しています。どうか皆さん、祈ってください。」そういう趣旨の説教をなさったのでございます。

荒れ野について述べた部分を日本語で見ますと、「貧しさによる荒れ野もあれば、飢えと渇きによる荒れ野、遺棄や孤独、愛の失敗から来る荒れ野もあります。神が見出せないことによる荒れ野、自分の尊厳や人生の目標が感じられない、心のむなしさから来る荒れ野もあります」と述べておられます。現代世界のさまざまな問題を要約した表現でありましょうか。

ここで述べられている荒れ野の中で、今の日本に住んでいる私たち、特に東京とその周辺、首都圏に住んでいる私たちが置かれている状況は、非常に精神的な荒れ野であり、光が見えない荒れ野であり、どうしたらよいかわからないという荒れ野ではないでしょうか。人と人とのつながりが不確かで、薄くて弱く、お互いに助け合うことが難しく、お互いに安心してゆだね合うことが難しくなっているという状況ではないでしょうか。まさに、遺棄、孤独、孤立、愛の失敗から来る荒れ野という状況ではないかな、と思っております。

教皇は、就任式で受けとる指輪とパリウムという二つのしるしを使って、自分の任務について述られました。パリウムというのは、メトロポリタンの大司教に就任する者が、使徒聖ペトロ聖パウロの祭日である6月29日に、ローマで教皇から拝領する牧者のしるしです。皆さまはごらんになったことがあるかなと思って、今日、現物を持ってまいりました。これは羊の毛でできていまして、大司教区を担当する司教に与えられるものです。日本には大司教区が東京、大阪、長崎の三つありまして、それらの大司教はパリウムを受けております。自分が牧者であるという自覚をいつも持つように、これをできるだけ使うようにと命じられております。牧者である自覚を常に持つようにと、授けられたものであります。

パリウムは伝統的に、神のくびき、キリストのくびきを現すものだと考えられてきました。また教皇のお言葉によりますと、パリウムは司教が受ける任務をも現しています。小羊の毛は、見失われた羊、病気の羊、弱い羊を現しております。その羊が荒れ野に迷い出たときに、羊を探し出し、背負ってくる、そういう牧者の使命をパリウムは現しているということでございます。

現代において、私たちが置かれている荒れ野がどんな状況であるかを知り、病み、迷い、疲れ、そして倒れて餌食にされてしまう羊たちを、どのように助け、神のいのちへ導くのかということが、私たちが行う牧者の務めです。その任務をどのように果たしていかなければいけないのかということを、真剣に考えなければなりません。皆さまも、同じことをお考えのことと存じます。私たちには、まさに現代の荒れ野で、見失われた羊を探し出して肩に担ぐ務めがあるのではないでしょうか。

 

カトリック東京大司教区で

私はここ10年、東京都と千葉県を担当する東京大司教区の司教をしております。私が就任いたしましたのは、2000年9月でございます。時の教皇は、ヨハネ・パウロ2世でした。そして、2000年というのはカトリック教会では、大いなる聖なる年、大聖年ということで、教会にとって悔い改めのときでありました。千年単位で過去を振り返り、カトリック教会が犯した数々の過ちを認め、神にゆるしを祈り、人々にゆるしを願うというときであったのです。

2000年の大聖年に際しまして、教皇は「和解と回心のミサ」というものを捧げました。ちょうどそのとき、教皇庁には日本人の濱尾文郎司教さまがおられました。彼は難民や移住者の司牧を担当する部署の責任者として教皇庁で働いておられまして、教皇と一緒に「和解と回心のミサ」を捧げられました。

そのミサの説教の中で、教会が犯した過ちがいろいろな項目に分けて述べられておりましたが、特に印象に残っておりますことは、基本的人権を侵害したこと、真理への奉仕において暴力の行使を黙認してしまったこと、女性の尊厳を侵害したことなどでした。

真理への奉仕における暴力というのは、カトリック教会が過去においてとった排他的、独善的な行為を指していると解釈されます。教皇ヨハネ・パウロ2世は、『Tertio Millennio Adveniente』(邦題『紀元2000年の到来』)という書簡を出されました。その内容は、信教の自由についての理解が非常に狭かったこと、自分たちと同じ信仰を理解しない人に対して排他的で独善的であったことを反省する、という趣旨であったと思います。

ちょうどその紀元2000年に、私は新しい任務を受けました。そこで、私は自分の基本的な方針、決意表明において、カトリック教会が1987年に行った、いわゆるNICE-1(第1回福音宣教推進全国会議)の精神の再確認をいたしました。

「ともすると内向きに閉ざされがちであったわたしたちの姿勢を真剣に反省し、神であるにもかかわらず兄弟の一人となられたキリストにならい、すべての人に開かれ、すべての人の憩い、力、希望となる信仰共同体を育てるよう努めたいと思います。」

第1回福音宣教推進全国会議の参加者一同は、このように決意表明を行いました。私も、その決意表明に加わった一人でした。それ以降、私は自分の司祭、司教としての任務の遂行を、いつもこの精神で行ってきました。どれだけ行えたかはわかりません。人が評価することですけれども、そのつもりでやってまいりました。東京においても、この精神、この姿勢で自分の司教職を捧げたいと考えたのであります。

そこで私は、東京大司教着座式の説教において、ほぼ同じことを述べました。

「わたしたちの教会がすべての人に開かれた共同体、とくに弱い立場におかれている人々、圧迫されている貧しい人々にとって、やすらぎ、なぐさめ、はげまし、力、希望、救いとなる共同体として成長するよう、力を尽くします。どうぞ皆さん助けてください、お祈りをお願いします。」

そして、この精神に基づいて、司祭の皆さん、信徒の皆さんにお願いして、本当に細々という感じですけれども、今まで歩んでまいりました。その数年後、2003年からだったと思いますが、皆さんと相談して、さまざまな課題の中でこれに力を入れようということで、三つの優先課題を定めました。その言い方は少しずつ変わってきておりますが、「信仰の生涯養成」、外国人司牧という言い方はやめて「多国籍・多民族教会としての成長」、そして「心の問題」ということでございます。

「信仰の生涯養成」というのは、いつでも言われていることです。第1回福音宣教推進全国会議でも強く叫ばれましたが、東京教区においても、お互いに支え合い、教え合い、助け合って、自分たちの信仰を成長させようと。一方が他方に教えてあげるということではなくて、司教も司祭も、信徒も修道者も、お互いに相手の立場を尊重しながら霊的に成長していきましょう、そのためにどうしたらいいのかについて、一緒に考えていきましょう、ということです。これは毎日の積み重ねにおいてということで、「今度こういうことをするので、みんな、これに参加しろ」ということにはなっておりません。皆さまの教会でも、同じことを心がけていらっしゃるのではないでしょうか。

二番目の優先課題は、「多国籍・多民族教会としての成長」です。私たちの教会は、その起源からして普遍の教会、多文化・多民族の教会でありました。聖霊降臨のときからそうでありました。日本においては、特に私たちカトリック教会では、海外から日本に来られて、日本に居住しておられる方、滞在しているだけではなく、居住あるいは定住しておられる方が非常に増えてまいりまして、推定では、日本国籍の信者と外国籍の信者とが、同数程度おられるのではないかと思われるわけでございます。

日本に来られた外国籍の方は、生活の上でも仕事の上でも、さまざまな困難に遭遇しております。そこで私たちは、生活上の問題について援助することから始めたわけですが、さらに、異なる文化を担う人たちと一緒に、より豊かな教会として成長していこうということで、具体的な試みをしてきております。東京教区では、カトリック東京国際センター(CTIC)というものを、前任者の白柳誠一大司教さまが設立され、今年で20周年になります。

それから三番目の「心の問題」ということでございます。先ほども申し上げましたが、現代においては、人々の心が傷つき、病んでいる。そういう人々に対して、教会として何をすることができるだろうかという問題であります。何をしたらいいのかわからないまま年数を重ねてきましたが、昨年、教区主催で「心のセミナー」という勉強会を3回開きました。非常に多くの方が参加されました。話が非常に具体的で、精神科のお医者さんである信者さんに、精神障害、うつ病とか統合失調症とか、あるいは自死の問題などについて話していただいたわけです。今年もやっておりまして、その後どういうふうに続けていけばよいのか、これから考えていかないと、と思っております。

この問題については、それぞれの教会共同体あるいは地域の共同体で考え、相談し、何らかの対応をしておりますし、教会以外でも、いろいろな学校、施設が取り上げていることだと思いますが、そういうことをやっております。

現代の荒れ野において、教会、教区は何をすれば泉を湧き立たせ、オアシスにすることができるかという課題であります。大都市が荒れ野で、教会はオアシスだと言いたいところですけれども、ある方から「いや、教会自体が荒れ野ではないか」と言われてしまいまして、実に難しい状況ですね。

 

Evangelii Nuntiandi

ここで、教皇パウロ6世の使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi』(邦題『福音宣教』)について取り上げたいと思います。

ほかの教派でもそうかもしれませんが、カトリック教会では、公文書を出すとき冒頭の言葉を非常に大事にいたしまして、冒頭の言葉で公文書の内容全体を伝えるように工夫しております。『現代世界憲章』という邦題の第2バチカン公会議公文書『Gaudium et Spes』は、「喜びと希望」という言葉で始まっています。

この使徒的勧告の冒頭の言葉は、Evangelii Nuntiandi「福音を告げる」で始まり、その次には「努力」とか「責務」という言葉が続きます。現代において、よい知らせを告げ知らせることは教会にとってますます重要な任務である、という言葉でこの使徒的勧告は書き出されております。

使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi』が発表されたのは、1975年でした。その年は、カトリック教会では第2バチカン公会議終了後ちょうど10年たった時点でした。私は、1975年に命じられてローマに留学いたしました。すでに司祭になっておりましたが、さらに勉強をするようにということでした。ちょうどその前年の1974年に、ローマでシノドス(世界代表司教会議)という重要な会議がありました。「現代世界における福音化について」というテーマで、世界各国の司教の代表者が集まって話し合いをし、その結果を教皇に提出しました。

カトリックでは、シノドスというものが頻繁に開かれています。亡くなった前の教皇さまはシノドスをとても重要視して頻繁にシノドスを開催され、「シノドス教皇」というあだながつけられたほどでした。アジアの司教たちを呼び集めてアジア・シノドスというものを開き、アジアの宣教について話し合ったこともあります。アジア・シノドスに日本から出席された池長潤大司教さまが行った講演は、長い時間は与えられなかったのですが、大変な反響を呼びました。「アジアでの宣教においては、東洋と西洋の文化の違いをもっと反映させなければならない。従来の宣教の原理は父性原理だった。父性原理というのは切る、分ける、distinctio、distinctionである。それに対して、東洋の原理は母性原理、ゆるす、包む、受け入れるというものである。だから東アジアにおいては、母性原理を取り入れて、イエス・キリストの福音を伝えなければならない」という主張をされまして、大変反響を呼びました。私も、心からそのように思っております。

1974年のシノドスはずいぶん昔になってしまいましたが、そこに日本を代表して参加されたのは、大阪教区大司教である池長大司教さまの前々任者、田口芳五郎枢機卿でした。そのときの教皇は、パウロ6世でした。

当時、解放の神学というものが大変強く叫ばれておりまして、使徒的勧告『Evangelii Nuntiandi』はそれを反映させたものだったと言っていいでしょう。従来の宣教観を大幅に塗り替えて、修正したと言ったらいいでしょうか、信者の数を増やし、世界中に教会を建てて、教会の勢力を拡張するという宣教観を否定し、人々に奉仕する教会の姿勢を強く打ち出したのです。

南アメリカの現実、非人間的な社会の状況に対し、南アメリカの司教、司祭たちが勇敢に改革を主張していました。現実を変革し、神の国の到来を実現させることこそ教会の使命であるという主張が行われ、解放の神学、悪政からの解放、新植民地主義からの解放などを叫び、そして政治家になる司祭も出てきて、そのために聖職停止処分を受けるという状況があったわけです。そういう状況の中で開かれたシノドスを受けて、パウロ6世がこの使徒的勧告を出しました。

現実を変革することが重要であるという主張を、かなり肯定したものでした。しかし、宗教活動と政治活動は別である、教会の使命は政治活動ではない、経済活動でもない、宗教的なものである、と言って釘をさしてもいます。

そして、私たちの社会を構成している構造、その構造を支えている価値観、人々の意識というものを、イエス・キリストの福音の精神によって変革していくことが、福音化、evangelizatio、evangelizationなのだと言っています。教えを述べるだけではなくて、福音の力によって現実を変革することが教会の使命なのだ、ということを強調しているわけでございます。

シノドスを受けて1年後に教皇が使徒的勧告という文書を出すという慣習が成立していますので、これまで何種類もの使徒的勧告が出ております。回勅とは別の範疇の教皇文書でありますが、パウロ6世の数ある使徒的勧告の中で、『Evangelii Nuntiandi』の影響力は一番か二番ではなかったかと思います。

私は1975年に勉強を始めたわけですが、『Evangelii Nuntiandi』を中心に、教皇パウロ6世が出された教え、説教、書簡、挨拶などを資料にして論文を書きました。 

教皇パウロ6世の時代に、教会の使命である福音宣教の鍵になる言葉が、従来のmissio「派遣」という言葉から、evangelizatio「福音化」に変わりました。missioが否定されたわけではないけれども、『Evangelii Nuntiandi』以降、evangelizatioがカトリック教会では有力になったわけです。実はラテン語のevangelizatio、英語のevangelizationは、「福音宣教」とも訳せますが、私はむしろ「福音化」と訳す方が適切だと考えております。

『Evangelii Nuntiandi』では、社会を変革することが教会の使命であるということとともに、文化を福音的なものに変えていくことが教会の使命であるという、文化の福音化ということが強調されております。文化というものが何かというのは難しい問題であり、さまざまな定義があります。『現代世界憲章』でもそうですが、『Evangelii Nuntiandi』では、文化というものを文化人類学的な意味で考えるべきであるということでした。

そこで当時、私は自分ができる範囲で文化について調べてみました。当時の一般的な考えでは、ある集団を他の集団と区別する基準になることがらすべてが文化であるということでした。日本人が日本人であるのは、日本人に共通している要素があるからです。さまざまな言い方がありますけれども、その集団、その国民、その民族の同一性を規定していると少なくとも本人たちが思っていることが、第一義的な文化だという定義に到達いたしました。

教会はさまざまな文化の中に受肉しているわけでありますが、文化という表現や着物を着ながらも、真正な、純粋の福音を現し、伝えていく使命が教会にはあります。そして、文化をより福音的なものにしながら、教会がその時代、その場所の文化によって正確に表現され、形成されなければなりません。この課題を今日では、インカルチュレーションという言葉で表現しています。

ラテン語の正式な表題を邦訳すると「現代世界における福音化について」となる『Evangelii Nuntiandi』が発表されたのは、1975年でした。それから15年後の1990年に、今度は教皇ヨハネ・パウロ2世が、回勅『Redemptoris missio』(邦題『救い主の使命』)という宣教についての教えを発表されました。ここにいらっしゃる小田神父さまたちが翻訳をなさり解説をした、重要な教えです。

『Redemptoris missio』のRedemptorを贖い主と訳すのか、救い主と訳すのかという議論がまだ残っております。Missioは、教会の伝統的な宣教観で、派遣という意味です。我々は宣教するために派遣されている、宣教することが教会の使命であるという派遣宣教使命がMissioという言葉で表現されているわけです。

『Redemptoris missio』では、文化と福音の関係について、それまでよりも進んだ見解を示しております。文化は清められ、高められ、完成されなければならないと言っております。そして非常に多くのページを、inculturationに割いています。inculturationという言葉は翻訳が難しいので、現在は片仮名で「インカルチュレーション」と表記されることが多くなっていますが、この回勅の中では「福音の文化内開花」と訳されています。「福音が文化の中で花を開く」という点を強調した言い方です。

inculturationという言葉は、culture(文化)とincarnation(受肉、カトリックでは「ご托身」と言っていたのですが)の二つの言葉をあわせてつくった造語だと聞いております。昔は、いろいろな言葉が使われていました。acculturationとかadaptationとか、いろいろありましたが、今はinculturationに落ち着いているというのが、現在の宣教学界の状況ではないかと解釈しております。

『Redemptoris missio』の教えに従いますと、福音と文化の関係については、次のようにまとめることができると思います。「教会は種々の文化に出会い、インカルチュレーションつまり福音の文化内開花という課題に取り組む。インカルチュレーションとは、真正な文化の価値をキリスト教に統合すること、また、人間の諸文化にキリスト教を挿入することを通して文化を内側から変容することを意味する。インカルチュレーションとは、教会が福音を種々の文化に受肉させることであり、同時に、人々を文化と一緒に教会へ導入することである。教会は自分自身の価値を人々に伝え、同時に、既に存在している人々のよい要素を取り入れ、それを中から新たにする。教会は、インカルチュレーションによって福音をよりわかりやすく示すしるしになり、また、より効果的な宣教の道具となる」。

これは私がつくった文章ですが、教会が文化を借用するというか取り入れるということと、教会が福音を文化の中に注入して文化自体を変えていくという、双方向の働きがインカルチュレーションであると理解しています。

カトリック教会で、宣教あるいは福音化について述べている権威ある公文書は、第2バチカン公会議の『Ad Gentes』(邦題『教会の宣教活動に関する教令』)と『Evangelii Nuntiandi』(邦題『福音宣教』)と『Redemptoris missio』(邦題『救い主の使命』)の三つです。もちろん第2バチカン公会議の『Lumen Gentium』(邦題『教会憲章』)や『Gaudium et Spes』(邦題『現代世界憲章』)など、ほかの公文書もすべて宣教に関係してはいるのですが、とくにこの三つの公文書が、宣教の三本柱といいますか、非常に大切なものです。

 

福音宣教推進全国会議(NICE)について

ここで、日本のカトリック教会の福音化に向けた取り組みついて、簡単に触れておきたいと思います。

日本のカトリック教会は、1987年に福音宣教推進全国会議というものを開催いたしました。これは大変重要な出来事でありました。

第2バチカン公会議を受けて、日本のカトリック教会もさまざまな努力を重ねてきていました。さまざまなメッセージを発信し、公会議の精神に従って教会を変革し、そして宣教を活性化させようとしていました。そのような努力をしていた1981年に、ヨハネ・パウロ2世教皇が日本に来られ、大きな刺激が与えられました。

ヨハネ・パウロ2世教皇の来日に刺激されて福音宣教推進全国会議というものが生まれ、もう一つ、平和旬間という制度ができました。日本のカトリック教会では、8月6日から15日までの10日間を、平和のために祈り、考え、行うことが定着しておりますけれども、これも教皇ヨハネ・パウロ2世が、広島と長崎を訪問されたことに基づいて日本のカトリック教会として取り組み続けているものであります。

1984年に、当時の司教たちは「日本の教会の基本方針と優先課題」というものを定めました。二つの基本方針と三つの優先課題の具体的な内容は省略いたしますが、その中で、とにかくこれからどのように宣教したらよいかをみんなで話し合おうではないかと呼びかけ、その集まりを福音宣教推進全国会議と名づけました。

カトリック教会は位階制でありますから、司教とか司祭が相談をして決めてから信徒に伝達するという団体なわけですけれども、信徒の方に来ていただいて、これからの教会のあり方を一緒に話し合おう、考えよう、むしろ信徒の声を聞こうということで、信徒の代表を招くことにしたのです。今、日本の教会にはどういう問題があって、これからどうしたらよいかを、信徒の方々から聞こうということで、「聞き、吸い上げ、活かす」というスローガンを掲げ、全国の皆さんに問いかけたわけです。

まず、どういう課題があるかを聞き、それらをまとめる作業をしました。課題を収集しながら行った分析で出てきたのが、「遊離」という言葉でした。日本の教会にはいろいろな問題があるけれども、結局、私たちの生活と信仰というものが遊離している。生活において信仰を生きるということが難しい、あるいは行われていない。また、教会が社会から遊離している。

この遊離というものを克服するために、開かれた教会をつくろう。すべての人に開かれた教会、特に救いを求めている人々、飢え渇き、悩み、疲れている人々にとっての救いとなり、安らぎとなる教会をつくろう。そういう教会に変わろう、自分たちを変えようということで開いたのが福音宣教推進全国会議NICEでした。NICEというのはNational Incentive Convention for Evangelizationの略です。

現代の日本の社会が荒れ野となっている状況は変わらないどころか、荒れ野がもっと広がっています。日本の社会では荒れ野性が進行しているからこそ、荒れ野で飢え渇き、迷い、傷ついている人の救い、癒し、安らぎとなる教会になろう、自分を変えようというのが、カトリック教会が行ったNICE開催の目的、趣旨でございます。

すでにでき上がっている教会の制度や教義(ドグマ)、あるいはカトリック教会が典礼と呼んでいる祭儀を人々に押し付けて、「このとおりにやれ」と言っても、うまくはいきません。それらが、自分の生活で具体的に生きる糧になっていないから、人々の救いや癒しとなる教会ではなくなってしまっているわけです。

そこで、私たちの生活の現実をもう一度しっかりと見て、そこから新しく信仰を理解し直しましょう。教会が社会の中でどういう位置にあるかを見つめ直しましょう。そして教会が社会から遊離している、浮き上がっているとしたら、もっと社会に根を降ろした共同体になるようにしましょう。そのためにどうしたらよいかを、一緒に考えましょうと提案いたしました。生活から信仰を見直し、社会の現実から福音宣教のあり方を考えていくために全国会議を開くということになったわけです。

1987年11月に「開かれた教会づくり」というテーマのもと、京都で開かれまして、大変熱気あふれる会議になり、さまざまなよい提案が出されました。11月20日から23日までの4日間、日本のカトリック教会には16教区ありますが、全国それぞれの教区から、司祭の代表だけではなく信徒の代表の方、それも男女、年齢にも配慮して、いろいろな立場の人に来ていただいたわけです。そこでいろいろな提案が出され、司教たちはそれらにこたえるメッセージを出しました。それが、小冊子『ともに喜びを持って生きよう』というものです。

「ともに」ということを大切にしよう、私たちの間のつながりを大切にしようということでございます。そして、信仰の「喜び」を生きることが大切だと呼びかけました。イエス・キリストを通して示された神の愛を受け止め、喜びを持ってその愛を生きてゆく、そういう信仰になるようにやり直そうという趣旨で司教団の呼びかけが行われたわけです。

この時点では、かなり盛り上がっていました。そして、これを定期的に開くという構想でした。第1回目のNICEの精神を引き継いで、1993年に第2回目のNICEが開催されました。その準備・運営を命じられて活躍なさったのが、小田神父さまでした。第2回目のNICEは、取り扱う内容を家庭というものに焦点を合わせつつ、第1回目と同じ精神になるように、「家庭の現実から福音宣教のあり方を探る」というテーマで開催いたしました。

この開催の意図は、とくに人々が生きている現実中の現実である家庭で、私たちの基本的な人間関係が危機に瀕している、困難な状況にある、それを教会はどうやって支え、助けることができるかということだったわけです。ところがNICEを始めたときの精神、趣旨が全国で必ずしもよく理解されていなかったということが露わになりました。その会議の実りが『家庭と宣教』という小冊子となって、司教団から出されました。

これが出たころ、私は浦和教区の司教になっておりました。浦和教区というのは、埼玉、群馬、栃木、茨城の4県です。私は、NICE-1を自分の教区で実行すること、そして司教在任中にNICE-2があったので、さらにNICE-2の提言をも教区で実行することを心がけました。

NICE-2では、分かち合いの必要性を強調するとともに、若者をもっと励ます、典礼をもっとみんなの力になるものに変えていく、そして女性の役割をいっそう評価することも強調しておりました。そこで、私は教区に宣教司牧評議会というものを設立し、それぞれの地区から女性と青年に必ず入ってもらい、さらに、女性の皆さんには、どうすれば私たちの教区がもっと助け合えるようになれるかを相談してくれないかと、男性と切り離して女性だけで話し合いをしてもらいました。そうすると、すごく活発に話し合ってくださいまして、いろいろな提案が出てきました。青年たちも同じように、青年の観点から、教会はどう変わっていかなければいけないかについて話し合ってくださいました。

日本のカトリック教会が行った2回の全国会議は、私たちの生きている社会の現実、家庭の現実に、福音という光が届き、人々を照らし、励まし、強めるために、教会がなすべきことは何か、あるいは逆に、やめたほうがいいことは何なのかを検証し合う機会であったと思います。

皆さまにお配りしたもう一つの文書『NICE-1から20周年―パウロ年と列福式を迎えて』をご覧ください。NICE-1から20年たった2007年に、多大なる時間とエネルギーを使って開催した2回のNICEがどういう意味を持ち、それらを今後にどう生かしていくのかについて、主催した司教がどう考えるかをまとめなければいけないということになりました。教会には、いろいろなことを鳴り物入りでやっても続かず、みんな忘れてしまってまた同じことを繰り返すという癖があるからです。20年の間に、司教のほとんど全部が入れ替わっております。若い司教さまがどんどん任命されてきておりまして、私たちが行ったことは今日から見てどういう意味があるか、今なお意味のあることか、有効であるか、これからどうすればよいかを確かめようということで話し合いました。そこで、幾つかの反省事項が出てきたわけです。

全国の皆さんに改めてNICEについてお伺いして、その結果をまとめました。

「全体的にNICEは全国の教会、教区、修道会、学校施設などにかなりの影響を与えたことが認められます。『聞き、吸い上げ、活かす』のスローガンのもと、司教・司祭・信徒・修道者が一堂に会して、これからの福音化について、率直で熱心な意見の交換を行うことができたのは、画期的なことでした。ただ、多くのところでこの熱意は持続せず、やがて失速し、中途半端な結果に終わってしまったことは素直に反省しなければなりません。16教区の中での影響と成果には、かなり隔たりとばらつきが見られました。NICEの方向性と精神、そして取り組みと展開の方法について、十分な理解と一致があったのか、問われています。

NICE-1、NICE-2の提案は、それぞれ意味のある大切な課題でした。しかし、それを実行に移すには、日本の教会が十分準備されておらず、あまりにも多くの提案があったため、その取り組み方に無理があったことも否めません。NICE-1とNICE-2の関係、整合性がよく理解されなかったのも、NICEを曖昧にした原因だと思われます」。

何度も強調しますけれども、NICE-2を企画したのは、NICE-1の精神をさらに進めるためだったわけですけれども、そのように理解できなかった人もいたわけです。

さて20年たって、社会の状況も大分変わってきました。一番大きな変化は、外国籍信徒の増加で、フィリピンやベトナム、南米から来られたカトリック信者の方がたくさんいらっしゃいます。

そして、「以前にも増して、多くの人が心身の重荷に苦しみ、福音に飢え渇いています。現代の荒れ野とも言うべき、厳しい社会・家庭環境において人々が悩み、苦しんでいる今、わたしたちは『神であるにもかかわらず兄弟の一人となられたキリストにならい、全ての人に開かれ、全ての人の憩い、力、希望となる信仰共同体を育てるよう努めたい』(「第1回福音宣教推進全国会議参加者一同の宣言」参照)との決意を新たにし、それを未来につないでいきたいと思います」と、池長、高見、私岡田の3人のNICE振り返り担当司教で確認し、それをほかの司教さまにお伝えし、同意をいただいたということでございます。

大変まとまりのない話で恐縮でございますが、とりあえず以上で私の話を終わらせていただきます。ご清聴ありがとうございました。

 

 

参考文献

  • 教皇パウロ6世使徒的勧告 『福音宣教』 カトリック中央協議会,ペトロ文庫,2006年
  • 日本カトリック宣教研究所 『福音をのべ伝える』 カトリック中央協議会,1990年
  • 教皇ヨハネ・パウロ2世『救い主の使命』、カトリック中央協議会
  • 第1回福音宣教推進全国会議事務局『開かれた教会をめざして』、カトリック中央協議会,1989年
  • 日本カトリック司教団『ともに喜びをもって生きよう』、カトリック中央協議会,1988年
  • 第2回福音宣教推進全国会議事務局『家庭の現実から福音宣教のあり方を探る』、カトリック中央協議会,1994年
  • 日本カトリック司教団『家庭と宣教』、カトリック中央協議会,1994年
  • 岡田武夫『宴への招き』 あかし書房,1983年
  • 岡田武夫『現代の荒れ野で』 オリエンス宗教研究所,2009年

 

当日配布資料

  • ベネディクト16世「教皇ベネディクト16世の就任ミサ説教」(2005年4月24日)
  • 岡田武夫「東京大司教着座式説教」(2000年9月3日)
  • NICE『振り返り』担当司教、岡田武夫大司教、池長潤大司教、高見三明大司教「NICE-1から20周年―パウロ年と列福式を迎えて―」(2008年6月3日)

 


 

『宣教学ジャーナル』 第5号 2011年【岡田武夫】 東京大学、上智大学、教皇庁立グレゴリアン大学(神学博士)で学ぶ。日本カトリック宣教研究所所長、浦和教区司教を歴任。現在、カトリック東京教区大司教、日本カトリック司教協議会副会長。著作:『宴への招き―福音宣教と日本文化』(あかし書房)、『宴への旅―体験と祭儀』(あかし書房)、『死から命へ―体験のなかに福音の光を探し求めて』(あかし書房)、『現代の荒れ野で』(オリエンス宗教研究所)他。

The Journal of the Japan Missiological Society Vol. 5, 2011

『宣教学ジャーナル』 第5号 2011年 掲載

(発行:日本宣教学会)