教区の歴史

教区の歴史

聖職者の集い(テ・デウム集会)挨拶

2010年12月27日

2010年12月27日 東京カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

今年も年末の聖職者の集い、テ・デウムの集会の日を迎えました。

テ・デウムの日とは、この1年間神様から賜った数々の恵みに感謝をささげる日であります。そればかりでなくわたくしは今日、本年わたくしを助け支え導いてくださった司祭の皆さんに心からの感謝をお伝えいたします。またわたしを助けてくださった幸田補佐司教をはじめ教区本部の司祭、職員の皆さんに感謝したいと思います。

そして関口教会の皆さん、東京教区のすべての皆さんの祈りと支援に感謝いたします。

この1年を振り返りますと、まことに感慨深いものがあります。

昨年のテ・デウムのときにわたくしは、来年は「司祭安息年」にしたいと申し上げました。ところが2009年12月30日、白柳枢機卿様がお亡くなりになりましたので、はからずも2010年は、司祭の安息の年とともに、枢機卿追悼の年ともなりました。

6月11日、「司祭年」終了に際し、わたくしは「司祭の休養・霊的生活の刷新」を訴える書簡を発表いたしました。

また構内再構築計画が無事に進行し、大聖堂外装の大改修工事等に続いて、本年は新しい司祭の家『ペトロの家』が完成し、10月2日には祝福式が行なわれました。皆さんの祈りと献金に感謝いたします。現在は旧司祭の家を改修中で、完成後は大司教館になる予定です。

さてこの1年を振り返りますと、衝撃的な言葉が心に浮かんでまいります。それは『無縁死』という言葉です。

日本の社会は従来「血縁、地縁,社縁」という縁(えにし)で結ばれていたと言われます。家族というつながり、住んでいる土地の隣近所の人々とのつながり、終身雇用の会社での人間のつながりにより、人々助け合い支えあっていたのです。

ところがこのつながりがゆるくなり、弱くなり、あるいは壊れてしまっています。孤独のままなくなる「孤独死」、遺体の引き取り手のない死を『無縁死』と言うそうで、そのような死が増えています。その数は年間3万2千人にも及ぶとのことです。このような人間の縁が壊れた社会が『無縁社会』と言われます。

このような無縁社会の中でわたしたちはどのような縁(えにし)で結ばれているのでしょうか?

言うまでもなく、わたしたちは父と子と聖霊の交わりによって結ばれ、つながっています。神様とのつながりの中、この社会に新しい神の家族をつくり広げているという使命をあたえられています。地縁、血縁を大切にしながら、社縁に代わる縁、信仰、希望、愛で結ばれる縁(えにし)をつくっていきたいと思います。

教区ニュースの1ページに出ておりますわたくしの新年の挨拶を御覧ください。

来年は司教団が『いのちへのまなざし』というメッセージを出して10周年であります。この機会に是非この教えを取り上げ、教材にして頂きたいと思います。

またカリタスジャパン啓発部会が最近発行した小冊子『自死の現実を見つめて』も是非お読みいただきたいと思います。

東京教区の優先課題の一つは「心の問題」です。建物の再構築は来春には終了する予定ですが、人と人とのつながりの再構築という課題は続きます。自死・無縁死の現実をみながら一人ひとりが大切にされる社会の建設のために尽くしたいと思います。また孤立している孤独な心と心をつなぐために教会は力を尽くしたいものです。

来年は「いのち」の尊厳を学びながら、「こころ」と「こころ」をつなぎ、神の家族をつくり広げていくという使命に励みたいと存じます。皆さんのお力添え、お祈りをお願いします。