教区の歴史

教区の歴史

聖職者の集い(聖ペトロ・聖パウロ使徒の祝い)ミサ説教

2010年06月28日

2010年6月28日 カテドラル聖マリア大聖堂にて

 

第1朗読 使徒言行録12・1-11

第2朗読 テモテへの手紙一、4・6-8、17-18

福音朗読 マタイによる福音16・13-19

 

 

イエスはペトロに言われました。「あなたはペトロ、わたしはこの岩の上にわたしの教会を建てる。陰府の力もこれに対抗できない。」

ペトロという岩の上にイエスはわたしたちの教会を建てました。使徒聖ペトロの後継者がローマの司教である教皇であり、教皇は世界に広がる普遍の教会全体の牧者であります。

  今日、聖ペトロ聖パウロの祝いを行なうに当たり、「陰府の力もこれに対抗できない」と言うイエスの言葉をしみじみ味わいたいと思います。

  教会はこのイエスの言葉に信頼し、この言葉に励まされて、2千年という年月を歩んできました。2千年の間に教会はさまざまな問題と困難に遭遇しました。大きな悪の力の挑戦を受けたこともあったと思います。そのたびごとに歴代のローマの司教は聖霊に導かれながら試練に立ち向かい、教会の刷新、教会自身の福音化を行なってきました。

  わたくしがカトリック信者になったのは第2ヴァチカン公会議開催中の1963年で、時の教皇はパウロ6世でした。

  パウロ6世教皇はヨハネス23世によって始められた第2ヴァチカン公会議を継続させ、成功裏に終了させました。また在任中、使徒的勧告“Evangelii Nuntiandi”1(『現代世界の福音化について』)などの数々の教えを発表し、現代世界の福音化のために大きな役割を果たされました。

  パウロ6世の後継者に選ばれた方はヨハネ・パウロ1世教皇です。この教皇はわずか1ヶ月あまりの在任でなくなられましたが、「微笑みの教皇」と呼ばれ、多くの人を魅了しました。豪華な戴冠式を廃止し、教皇即位式を、「普遍の教会の牧者の務めを開始する式」とされました。また一般謁見のときに輿に乗るという習慣、また自分のことを一人称複数(日本語の朕に該当)で呼ぶ習慣もやめられました。

  ヨハネ・パウロ1世の次の教皇はいうまでもなくあの偉大なヨハネ・パウロ2世です。数々の業績の中でわたくしは、紀元2000年の大聖年を迎えるに際して、教会の過去の歩みを真摯に反省されたことが強く印象に残っています。教皇は教会の子らが「真理への奉仕に際しての不寛容、さらに暴力の行使を黙認してきた」ことをはっきりと告白されました。

  現在の教皇ベネディクト16世は2005年4月24日、サンピエトロ広場での就任ミサの説教で決意を表明されました。

  教皇は、現代の荒れ野にいる羊を牧することが最高の牧者の使命である、と表明され、また、牧する、とは羊を愛し、羊のためにいのちを捨てることである、といわれました。教皇によれば現代の荒れ野とは現代世界の次のような状況であります。

  「貧しさによる荒れ野もあれば、飢えと渇きによる荒れ野、遺棄や、孤独、愛の失敗からくる荒れ野もあります。神が見いだせないことによる荒れ野、自分の尊厳や人生の目標が感じられない、心の空しさからくる荒れ野もあります。内的な意味での荒れ野があまりにも広大であるがゆえに、外的な意味での世の荒れ野が広がっています。」

  羊を愛するとは本当によいものを羊に与えること、神の真理、神の言葉によって養うことです。神はイエス・キリストの十字架によってわたしたち人類を贖い救われます。この神の愛には、驚くべき神の忍耐が示されています。

  わたくしはまさに現代の荒れ野である日本の首都東京と千葉県を担当する司教として、教皇ベネディクト16世の教えに倣い、東京教区の教会共同体が、荒れ野における泉でありオアシスになるために力を尽くしたい、と切に望んでおります。そのために皆様のご理解、ご協力、ご支援を切にお願いいたします。

  この使命をよく果たすためには、わたしたちは使徒座との交わりを大切にしなければなりません。使徒座とお互いに耳を傾けあい、互いの状況をよりよく理解することが大切だと思います。わたくしは、日本の社会の現状、そして小さな群れである日本のカトリック教会の現状と課題を使徒座にもさらによくご理解いただけるよう、努力いたします。

  そのためにも、本日御臨席いただいております教皇大使、アルベルト・ボッタリ・デ・カステッロ大司教様のご指導、ご支援を切にお願いする次第です。

  世界にカトリック教会が直面している課題は実に重大であり、世界の教会を指導される教皇のご苦労ご心痛も如何ばかりか、と推察いたします。わたしたちは教皇ベネディクト16世が現代の荒れ野におけるよい牧者としての任務をよく果たされるよう、そのためにお祈り、また必要な支援をお献げしたいと存じます。