教区の歴史

教区の歴史

「東京カリタスの家」賛助会総会ミサ説教

2010年06月10日

2010年6月10日 ケルンホールにて

 

聖書朗読:エフェソ2:14-22

福音朗読:マタイ25:31-40

 

  私たちはその生涯の終わりに、それぞれどれだけ神の愛を行ったかということについて裁かれなければなりません。飢えている人に食物を与え、乾いている人に飲ませ、裸の人に着せ、寝る所のない人に住まいを提供しなど、人間にとってもっとも大切な必要に応えることが私たちの愛の行いであると思います。そういうことを私たちはよく知っているが、なかなか実行できておりません。「東京カリタスの家」は、カリタス、神の愛を実行するために集まっている団体でございます。

昨日のことなのですが、何気なく目の前にあるプリントを取り上げました。東京教区ニュースに掲載された「カリタスの家の善いサマリア人物語」です。みなさんもお読みになったでしょう。善いサマリア人の話ですが、なかなか実行できていない自分を見つけ恥ずかしく思うことがあります。ちょうどこの江戸川橋のところに住んでいるホームレスの人の話です。東京カリタスの家の人が何かしてさし上げたいといろいろ努力したが、ことごとく拒否された。その拒否の仕方が非常に激烈であったそうです。すごいですね。「善人ずらするな、このガキが」迫力ありますね。「触るな!何する!」「俺が手術やって良いって言ったか?」こういう啖呵を吐いたそうです。これを言われた人がいるのですよね。ここにいらっしゃるのでしょうか?でも、その方は次第に態度が変わってきていますね。最後には非常に優しい穏やかなことばを出してくださるようになったそうであります。「すいません、ねえさん悪いですが痒いので背中掻いてください。」「悪いのですが、眠いので寝かせてください。」「ねえさんもう寝かせてください。」この、ねえさんということばいいですね。そのことばに従って「ゆっくり休んでね」と言って帰ったその翌日亡くなったということがここに書いてあるのですね。私も何度もお見かけしたに違いないその人のことについてどれほどの関心を私は寄せたでありましょうか。本当に申し訳ない恥ずかしい思いをしています。この方について知ることはほとんどないのですけれども、どうしてそこまで激しく人々の手助けを拒否したのか。激しい憤り、怒り、あるいは憎しみ、あるいは恨みを感じます。彼の人生の中でどんなことがあったのでしょうか。心の中に何年もかかって自分で始末できないくらいの、そういう思いというものが積もり積もっていた、そして人から何かされるたびにその思いは噴き出してくる、そういう状態であったのでありましょうか。想像してみたりいたします。

イエスさまがおっしゃっていることば、いろいろ難しいことがあります。もし誰かが自分に反感を持っていることを思い出したら、祭壇に捧げものをする時にまずその人と仲直りしてからにしなさい。そういう教えがありますね。私は司祭としてミサを捧げますが、そのことを思い出します。「反感」という訳になっていまして「反感」ということばの意味を調べてみたのですけれど、あまり特段のことはないようです。何でも自分に反対する、反することを思っている人がいたら、という意味でしょう。同じ人なんているかなぁと、イエスさまはずいぶん無理なことをおっしゃっているなあ、どういう意味だとう、と考えます。私たちは色々なことをする時に、完全に意見が一致するということはありません。でも大体のところで譲って、一緒にやっています。よいことをするために喧嘩していてはいけませんので、小さなこと、自分が譲れることは譲っているわけであります。どうしても賛成できないこともありますし、それから相手の言う通りにはどうしても出来ないことがありますね。たくさんあると思います。責任者という方はつらいものですね。

今日は白柳枢機卿さまを偲び、また浜尾枢機卿さまのことも思い出し、なお歴代の東京大司教さまたちのことも偲んでいただきたいと思います。この前の日曜日6月6日築地教会、もとの司教座聖堂で、築地教会が企画して歴代の大司教を追悼するミサをあげてほしいと頼まれました。初めてのことです。みんな他の司教さまはもう忘れられてしまっています。白柳枢機卿さまのことは誰も忘れていないですが、何百年も経ったらどうなるのか。まして、100年ちょっと前の大司教さまのことを思い出す人はほとんどいない。白柳大司教さまは7代目の大司教ですね。6代目が土井辰雄大司教。その前に5人のフランス人の大司教さまがおられました。大変ご苦労なさったわけであります。初代はオズーフ、ムカブル、ボンヌ、レイ、そしてシャンボン、大変苦労なされたシャンボン大司教さま。まあ、シャンボン大司教さまぐらい(の時代)になるとこどもの頃シャンボン大司教さまでしたという方がいて、体の大きな立派な方でしたとか青山謙徳神父さまとか記憶が鮮明なのですが。

人は人からよく思われたいですね。私はほんとにそうです。誰からもよく思われたいですね。でも誰からもよく思われるようにすると、誰からも悪く思われるようになっちゃうのですね。それは60何年生きてきて悟りましたが、やはり神さまのみ心に従って私たちは生きなければならないのです。組織の責任者は神様のみ心に従って判断し、決定しなければならないのです。決定しますと決定した人に責任がある。そしてその決定に満足できない人がいる。必ずいます。あるいは誰かを任命するという時に、どうしても誰かにしなくてはならないわけで、1つの役職に1人でありまして、3人任命したら誰がやるのかわからなくなってしまうわけですね。1人を選べば2人は選ばれません。当たり前です。でも選ばれなかった人が平気かといえば平気な人もいますが、平気でない場合もあるわけでございます。白柳枢機卿さままで7代の大司教さまが東京教区を治め、日本の教会のために働かれました。いろいろ苦しみの中で判断し決定されました。そのための、わたしは苦しみというものを思います。白柳枢機卿さまはあまりに身近すぎて、まだ具体的なことを言うのにはつらすぎるのですけれども。決めなければならないのですね。決めてうまくいけばいいのですけれども、うまくいく場合もあるがうまくいかない場合もあるのです。では、どうすればよいのかといっても誰もわからないですし、もう過ぎてしまったことであります。それを説明もできないし、どういう事情でどうなったかということも言えませんし、言えばもっといろいろな問題が生まれる。そういう中でつらい心のうちを1人でかかえながら決定していかなければならない、その生涯を思うわけであります。

「東京カリタスの家」は、人々に神の愛を伝えるために作られた団体であります。神様のみ心、それは本当に飢えている人、乾いている人、裸の人、そして誰からも見捨てられている人を思い、そしてその人のために出来ることをすることであります。そして、このホームレスの人が最後に気持ちを変えてくださった、それは何かが、たぶんカリタスの家の人の働きのおかげだろうと思いますが、心の中にあった憎しみというか敵意という壁がなくなって、その壁が崩れた。そして崩れたその後すぐに帰天なさった。最後まで踏ん張ったけれども最後の最後の時に、自分が固く固く保っていた何かに対する、世間に対する、誰かに対する固い思い、恨みかもしれないそれをといて神様のもとに行かれたのだと、私は思うわけであります。司教というのは司祭に仕える者ですが、司祭から感謝され、よくやっていますねとほんとは言われたいのです。自分で言えないものですから、今言っちゃっていますけれども。恨まれたくないのです。でも、お気に召していただけない場合もある。その恨みというものをといて、イエス・キリストの十字架に免じて、イエスさまは十字架の上で自分を十字架につけた人のためにゆるしを願って祈りました。司祭年が終わろうとしておりますが、イエス・キリストに倣って全ての司教司祭が歩むことができますように、そして亡くなった司教さま神父さまたちが、主のもとで「おまえはよくやった。ゆっくりやすみなさい。」と言っていただけるように、皆様のお祈りをお願いする次第であります。