本所教会創設130周年・日本26聖人殉教者ミサ説教

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2010年2月7日 本所教会にて

 

第1朗読 使徒パウロのガラテヤの教会への手紙2章19-20節

福音朗読 マタイによる福音28章16-20節

 

「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」(マタイ28:19)

復活した主イエスは弟子たちに現れて言われました。このご命令に従い使徒たちは全世界に行って教えを宣べ伝えたのです。この極東の地である日本にも1549年、聖フランシスコ・ザビエルが初めて福音を伝え、多くの人が信者となり、教会がつくられました。人々は勇敢に信仰を証し、多くの人が殉教者となりました。本所教会の保護の聖人、日本26聖人殉教者は日本の代表的な殉教者です。

イエスは使徒を派遣するに際して言われました。「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」(マタイ28:20)

26聖人はこの言葉を固く信じ、聖霊に励まされて、大阪から長崎までの800キロの十字架の道を一ヶ月かけて歩み、長崎の西坂の丘で磔(はりつけ)にされて、キリストへの信仰、神の愛の証人となりました。26聖人殉教者を通して、弱い人間の中に神の偉大な力が示され、十字架の道を歩む者の中に、人の知恵を越える神の愛が輝き出たのです。殉教者たちは、喜びをもって苦しみをささげました。この信仰の喜びこそ現代のわたしたちがもっとも学ぶべきことだと思います。

殉教の日は1597年2月5日でした。4000人もの信徒が殉教を見守っていました。

26人の中に外国出身の6人フランシスコ会の会員がいました。3人は司祭、3人は修道士です。3人の修道士のなかにゴンサロ・ガルシアという方がいます。父はポルトガル人でしたが母はインドの人でした。このことを教えてくれた人は先日アジア司教協議会連盟の会議でお会いしたインドの司教様です。そのときまで日本の教会とインドの教会のつながりを意識しませんでした。しかし考えてみれば、聖フランシスコ・ザビエルもインド経由で日本に来られましたし、日本の宣教はインドと深いつながりを持っていました。(あらためて、インドと日本とのかかわりについて考えてみることが必要ではないか、と感じています。)

26人の中には同宿と呼ばれる方が6人います。同宿とは宣教者に協力した信徒です。教会関係の施設に住み、宣教師を援助する各種の仕事に携わりました。当時修道会員を上回る多数の同宿がいたといわれます。

また26人の中にイルマンと呼ばれる方がいます。有名なパウロ三木はイルマンでした。イルマンはポルトガル語の兄弟に由来し、司祭でない修道士、神学生、修練者を指していました。日本人のイルマンだけで100人を数えました。

キリシタンの時代、司祭の数は少なかったのですが、修道士、信徒が大きな役割を担って司祭を助けました。禁教と迫害により日本の教会から司祭が途絶えても信徒だけで信仰を守り通しました。これは世界の教会史で特筆すべきすばらしい事実です。年表によれば、1644年に最後の潜伏司祭小西マンショが殉教してから、1873年(明治6年)キリシタン禁制の高札が撤去されるまでの、実に200年以上、日本の信徒は司祭不在のまま信仰を守り伝え、教会を維持したのです。

第2ヴァチカン公会議以降、信徒使徒職が強調され、「信徒の時代」とも言われますが、実は400年前の教会で、そして隠れキリシタンの時代、信徒は非常に重要な役割を果たしていたのです。

まもなく、司教総会が開催されます。その中でわたしたち司教はこれからの日本の福音宣教(福音化)について話し合います。主題は「あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい」という主イエスは宣教の命令を今の日本でどのように実行すべきか、ということです。

現代はどんな時代でしょうか。迫害はありません。とはいえ、生きることが難しい時代だと感じます。人々に信仰をどのように伝えることができるでしょうか。

今日の使徒パウロのことばに学びましょう。

「わたしは、キリストとともに十字架につけられています。生きているのはもはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」(ガラテヤ2:19-20)

26聖人はこの信仰を生きました。わたしたたちが宣教するためにはこのような強い信仰が必要です。このような信仰をいただけるよう祈りましょう。この信仰をもって神の愛を力強くあかししながら、ご一緒に歩んでまいりたいと存じます。