教区の歴史

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東京教区アレルヤ会「クリスマスの集い」ミサ説教

2009年12月25日

2009年12月25日 主の降誕(日中のミサ)
東京カテドラル構内センターホールにて

 

今日は主の降誕日です。主イエス・キリストがお生まれになったことをお祝いする日です。昨夜、クリスマスイブのミサがありました。東京カテドラル聖マリア大聖堂でも、非常に多くの方が来られてご誕生をお祝いいたしました。  

わたしたちキリスト教信者は日本では非常に少ないです。100人に1人もいません。しかしクリスマスの時は多くの人が教会に来ます。これはなぜかと毎年考えます。クリスマスは喜びの時、平和の時なのです。誰でも喜びや平和が大好きです。いつからでしょうか、日本の人々の中にクリスマスということが定着しました。私も信者になる前、子どもの頃にクリスマスについて聞き、それなりのお祝いをしたことがあります。 

クリスマスの時には、馬小屋にお生まれになったイエス・キリストを訪問して、そして神様に感謝します。生まれたばかりの赤ちゃんです。赤ちゃんというのは小さく弱いです。何も自分ではできません。かわいいです。でも弱いです。親が、大人が守らなければどうにかなってしまいます。生きていられないですね。わたしたちもそうだったのです。生まれた時から自分の力だけで大きくなった人は誰もいないのです。その幼な子が神様だっていうことを信じているのが、わたしたちキリスト教信者です。ミサに来られる信者でない方は、そこまで考えないかもしれません。私たちは実はすごいことを信じているんですね。赤ちゃんが神の御ひとり子、天の御父と等しい方なんですよ。神様、天の御父と最初から存在しておられて、そしてこの世のすべてのものをお創りになったのは、人となり、赤ちゃんになって生まれたイエス・キリストです。そういうことを信じているわけですから、大変なことであります。 

もうひとつのことですけれども、聖書を読むと、イエス・キリストがお生まれになったときに、何の罪もない男の子の赤ちゃんがたくさん殺されています。その時の王様、ヘロデという王様が心配になったのです。何が心配かというと今度メシアがお生まれになった。メシアがお生まれになると自分の王位、王様の位が危なくなるからです。生まれた子どもは全部殺してしまって自分の位を安全にしようとしました。イエス様の頃、お生まれになった男の子は全部殺されてしまいました。これは大変残酷な話です。確かにイエス様のお誕生は平和と喜びですが、しかし、この世界には難しい酷い事がたくさんあります。ですから、イエス様はこの世界に本当の平和をもたらすために来られ、そして人々の罪を贖うために十字架におつきになったのです。 

わたしたちはキリスト教というのを信じているわけですが、キリスト教徒は自分だけが正しいと思って他の宗教の人やあるいは宗教を信じていない人を軽蔑したり退けたりする人たちではないか、という印象を与えているかもしれません。残念ながら、そういう面がなかったわけではないと思いますね。2千年の間に、歴史を振り返ると他の宗教の人を軽蔑したり、退けたり、あるいはやっつける、ということがなかったわけではありません。しかし、それはイエス・キリストの教えではありません。もっと深くイエス様の教えを理解し、実行したならば、そういうことはしなかったはずです。イエス様は敵を愛するように教えました。また十字架の上で自分を十字架につけて殺そうとしている人のために祈りました。天のお父さん、どうかこの人たちをゆるしてやってください。自分で何をしているのかわからないのですから、と祈って息を引き取とられたのが、わたしたちが信じているイエス・キリストです。ですから、自分と同じような信仰を持っていないから、違う考えをもっているからといって、その人を憎んだり、その人を仲間外れにしたりするそういう心をイエス様は持っていらっしゃらなかったわけであります。その弟子であるわたしたちもそうでなければならないのです。 

クリスマス、本当にすべての人と平和に暮らすことができますように、そしてすべての人が人間として大切にされますように、そのためにわたしたちが働くことができますように、と祈るときです。本当にいろいろな人がいます。わたしたちひとりひとりが違います。違うということはいいことです。皆同じだったら困ってしまいますね、区別がつきません。違うということは素晴らしいことです。そのように神様が私たちをつくってくださったので、お互いに違うということを大切にしたいと思います。