教区の歴史

教区の歴史

北町教会献堂50周年記念ミサ説教

2009年11月29日

2009年11月29日 北町教会にて

 

今日は待降節第1主日です。典礼は新しい年を迎え、主日の朗読はC年となり、福音はルカによる福音です。

待降節は主イエス・キリストのご降誕を迎える準備のときでありますが、同時に主の再臨、終末へ向けてわたしたちの信仰と希望を新たにするときでもあります。

ちょうど2週間前の福音はマルコの13章で、本日のルカ21章と同じように、主の再臨を告げる箇所でした。終わりのとき、「人の子が大いなる力と栄光を帯びて雲に乗ってくる」「天地は滅びるが、わたしの言葉は決して滅びない」とイエスは言われ、弟子たちを励ましました。

今日の福音でも「あなた方の解放のときが近い」を励ましています。解放とは救い、あがないのときです。そのときには「天体が揺り動かされる」といっています。恐ろしい場面です。

この世界にはさまざまな問題、課題があります。戦争、紛争、貧困、差別、環境破壊・・・神の支配はどこにあるのだろうか、と思うこともあるかもしれません。しかし、聖書によれば、神は世の終わりに一切の悪を滅びしてこの世界を新しく立て直されます。この世界を新しい天と新しい地に変えられるのです。この新しい天と新しい地という言葉は黙示録21章ほかに出てくる言葉です。この新しい天と新しい地とはどのような世界なのか、想像できませんが、ともかくそれは、神のみ心が完全に実現している状態であります。わたしたち人間は救われ贖われなければならないのですが、この世界、被造物も解放され贖われなければならないのです。使徒パウロも被造物も「滅びへの隷属から解放されて、神の子たちの栄光に輝く自由にあずかれる(ローマ8・21)」といっています。

イエスの再臨のときにこの世界は完全に新しくされ、神の支配が完成するのです。

待降節を迎えたわたしたちは、イエスの再臨への信仰を深め、希望を強くして、日々の務めに励みましょう。

また、この世界に終わりがあるようにわたしたち一人ひとりにも最後のときが来ます。そのときがいつかわかりません。そのときに人は神様と決定的な出会いをするといわれています。神を信じている人はもちろんですが、信じていないと思っている人も死を迎えるときには神と出会い、神の呼びかけを聞くと、わたしは思います。そのときに「はい神様、信じます、よろしくお願いします」と言えるようでありたいものです。

今日の福音でイエスは「いつも目を覚ましていなさい」と言っています。いつでも神様の前に出られるように心の準備をしていなければなりません。

さて、今日は二人の方が堅信の秘跡をお受けになります。

そこでわたくしは、お二人ときょうここにお集まりの皆さんに、ひとつの祈りを紹介したいと思います。それはアメリカ人のニーバーという神学者がつくったSerenity Prayer *という祈りです。

この祈りで作者は三つのことを願っております。

まず自分が変わることが出来ないことを受け入れる心の静けさ、平静さSerenityを下さい、と願っています。

次に、自分に変えることに出来ることを変えていく、変革して行く、そのための勇気Courageを下さい、と祈っています。

そして、変えることの出来ることか、そうでないのか、それを判断するための知恵Wisdomを下さい、と祈ります。

こう言う祈りであります。

堅信式にふさわしい祈りではないかと思います。

堅信によって聖霊の7つの賜物が授けられます。それは「知恵と理解、判断と勇気、神を知る恵み、神を愛し敬う心」です。この知恵と勇気がSerenity Prayerに出てきます。知恵は以前「上智」、勇気は「剛毅」と申しました。

神様のみ旨を知り、そして自分が行うことの出来ることを行っていかなければなりません。自分に委ねられていること、自分がしなければならないこと、自分なら出来ること、あるいは自分しか出来ないこともあります。それを知るための知恵、そしてそれを行うための勇気が必要です。この堅信では知恵と勇気を授けるのです。

この知恵と勇気を心から願い求めましょう。

 

*The Serenity Prayer

God grant me the serenity

to accept the things I cannot change;

courage to change the things I can;

and wisdom to know the difference.

–Reinhold Niebuhr