教区の歴史

教区の歴史

テレジア会来日50周年感謝ミサ説教

2009年11月14日

2009年11月14日 麹町教会マリア聖堂にて

 

聖書朗読 コリントの信徒への手紙一、13章1-7節
福音朗読 ヨハネの福音15章1-8節

 

イエスは今日の福音で「わたしにつながっていなさい」と言っています。

「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にあるならば、望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」と言われます。イエスは「わたしの名によって願うことは何でもかなえてあげよう」(ヨハネ14・13)と言われましたが、ここでも、「望むものを何でも願いなさい。そうすればかなえられる」と言われます。しかし、条件がついています。「あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたの内にあるならば」という条件です。果たしてわたしたちは日々、イエスにつながり、イエスのことばを心に刻みながら生きているでしょうか?もしそうならわたしたちの願いは必ずかなえられるのです。

そのことでわたしは「東京カテドラルと教区のために祈り」を思い出します。

この祈りの中に次のようなことばがあります。

「どうかわたしたち東京教区に、現代の荒れ野において悩み苦しむ多くの人のいやし、慰め、励まし、希望となって歩む恵みをお与えください。

何よりまずわたしたち自身の間で、互いにいやしと助け、励ましを分かち合うことができますように。」

この祈りを皆さんにしていただきたいと思います。まさに東京都首都圏に住む人は現代の荒れ野におかれ、悩み苦しんでいます。教会はそのような人々のために泉であり、オアシスでなければならないといつも考えております。

少しでもこの使命を実行できますよう、東京教区ではこの秋、ここ麹町教会で主任司祭をはじめとする麹町教会のご理解ご協力の下で、「こころのセミナー」を3回にわたり開催しました。精神科の先生(井貫正彦氏)に講演して頂きましたが、大きな反響がありました。当事者、家族、関係者が多数参加してくださいました。いかに多くの人がうつ病、統合失調症、トラウマなどに深い関心をもっているのかがわかりました。わたしは先生の話を全部聞きました。ひとつ非常に強く印象に残っていることを、今日ここでお伝えします。それは、自己肯定self- affirmation ということでした。心を病む人のなかには自己肯定self- affirmationが出来ない人が多いということです。自分の存在の意味を見つけられない、自分の居る場所がない、自分の価値が肯定できない、ということでした。健全な人間にはこの自己肯定が必要なのだそうです。

またこの秋には、部落差別について学ぶ4回の講演会がありました。(東京教区部落問題委員会主催 目黒教会にて)講師(角岡伸彦氏)は「あなたにとって、かけがえのないものは何ですか」という問いを出していました。何でもかけがえのないものになりえます。極端に言えば、世界に存在するもの何でもが、かけがえのないものになりえます。例えばこのパンフレット、自分の名前を書き入れ、毎日大切に使っていればそうなるかもしれません。しかし、普通、かけがえのないものといえば人間です。人と人とのかかわりの中で次第に他の人がかけがえのない存在となっていきます。そしてさらに考えてみれば、この自分自身がかけがえのない存在なのです。自分がかけがえのない存在ですから、他の人もかけがえがないのです。

差別のない社会とはどんな社会でしょうか?誰でも、その人として、かけがえのない人として大切にされる社会ではないでしょうか。

今日の朗読の使徒パウロのコリント前書13章の愛の教えは、誰でもかけがえのない存在として大切にされる神の愛アガペーを説いていると思います。

テレジア会の創立者聖ペドロ・ポベタは、キリストというぶどうの木につながることが大切と説いたとのことです。

わたくしは、それぞれの人がしっかりキリストにつながることにより、各自がかけがえのない人としてお互いに大切にしあうことが出来るのだと思います。