東京教区合同追悼ミサ(五日市霊園)説教

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2009年11月1日 五日市霊園にて

 

東京教区では、毎年11月の最初の日曜日に3ヵ所で合同追悼ミサをささげております。カテドラル、府中墓地、そしてここ五日市霊園です。今日わたしは初めてここで合同追悼ミサをおささげいたします。何故かと言いますと、わたしは毎年府中墓地で亡くなられた神父様方の納骨をしております。今年は納骨される神父様がおられません。最後に納骨をされた教区司祭は澤出光一郎神父様です。2007年11月9日に帰天されました。100歳でした。それで今年はどうするかと問われ、こちらささげることになりました。

今日は11月1日、主日ですが諸聖人の日であります。今日のミサは諸聖人の記念のためですが、併せて亡くなられたすべての方々のための追悼をいたします。今日ここにお集まりになれた方々はここに墓地をお持ちになり、亡くなられた方々のためにお祈りをされるためにお出でになられたと思いますが、さらに他の帰天なされた方々を思い起こし、その霊魂の平和のためにもお祈りをしたいと思います。

今日はすべての聖人を記念する日であります。聖人とは亡くなられて、神様の懐におられる人々であり、信仰を証しした人々です。教会の最初の時代には、殉教した人々が聖人と呼ばれました。その生涯の最期に命をささげて信仰を証しした証し人です。殉教の時代は終わりまして、殉教でなくとも同じように神様を証しした人々が記念され尊重されるようになりました。今日のヨハネの黙示では、多くの白い衣を身につけた者が出てまいりますが、この人々は皆、殉教者とされております。またマタイによる福音には、山上の説教が出てまいります。「幸いなるかな」という出だしで、8か条の幸いについて書かれております。昔から真福八端といわれています。本当のしあわせの8か条です。「心の貧しい人は幸いである」に始まって、義のために迫害される人は幸いである、などの8か条があげられています。この方々は確かに神の御もとにいます。そういうことから今日朗読される福音となったのだと思います。

そして使徒ヨハネの手紙では、「愛するものたち、わたしたちは、今既に神の子ですが、自分がどのようになるかは、まだ示されていません。しかし、御子が現れる時、御子に似たものとなるということを知っています。なぜなら、そのとき御子をありのまま見るからです」とあります。神様の御前に出て、神様を目の当たりにする、そういう人は幸せな人であり、まさに聖なる人でありましょう。

11月1日はすべての聖人の日であり、2日はすべての死者のために祈る日です。神様の御もとに確かにいるという人が聖人でありますが、すべての人は死という関門を通り抜けて神様のもとに行くよう招かれています。わたしたちは互いに助け合い支えあって神様への道を歩んでいるのです。亡くなって神へ向かっている人々のために、神の御もとへ辿り着くよう、わたしたちは祈るために集まっています。これが「死者の日」なのです。

洗礼を受け、神様を信じて亡くなった先祖の人々やわたしたちは神から出て、神に戻るという歩みをしています。しかし、私たちのご先祖様には、何代も信者である人たちもいるでしょうが、そうでない人のほうが多いと思います。わたしも自分の先祖たちのことを思い、昨日お祈りをささげました。キリシタンの時代、神様を知らないで洗礼を受けないで死んでいった人は天国にいけないのではないかという思いがありました。今は違います。第二バチカン公会議があり、すべての人の救いの可能性が言われています。

使徒パウロは教えておられます。神はすべての人が救われることを望んでおられます。すべての人です。イエス・キリストを知らなかった人は救われないのでは?そんなことはありません。すべての人の救いを神様は望んでいるのですから。イエス・キリストの前の人、後の人すべての人の救いを望んでおられるのです。神様は救われることを望んでいて何もなさらないということはあり得ない、と思います。

神ご自身と人々の間を取り持つのはイエス・キリストお一人です。イエス・キリストを通らなければ父のもとへは行けません。「わたしは道であり、命であり真理である、私を通らなければ父のもとへは行けない」ともイエスは言われました。神はすべての人が救われることを望んでおられます。イエスは十字架につけられて亡くなりましたが、永遠のいのちへと復活されました。そしてすべての人を死から復活のいのちへと招いておられます。死から命への秘義、これを復活の神秘と言います。そして、神様はすべての人を十字架のお恵みに与らせてくださいます。洗礼の働きによってすべての人を永遠のいのちへと招いてくださいます。招きに対して「はい」と答えさえすればよろしい。そういう教えでありますので、わたしたちの先祖たちもこの世を去るときにイエスに出会い、そして「わたしのもとに来ませんか?」と聞かれて、「はい」と答えることができた、とわたしは思います。

今日は亡くなったすべての人のことを思い、その人々の霊魂の平安のためにお祈りしましょう。