教区の歴史

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主の降誕・夜半のミサ説教(カテドラル22:00)

2008年12月24日

2008年12月24日 22時~ 東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 

皆さん、わたしたちは今夜ご一緒に2008年のクリスマスを祝います。クリスマスはイエス・キリストの誕生を祝う日であります。イエス・キリストの「イエス」は氏名の名の方、ファースト・ネームでユダヤ人の間では一般的な名前、日本で いうなら太郎とか一郎とかに当たるものです。

イエスとは「主は救う」「神は救い」という意味で、ヘブライ語のヨシュアのギリシャ語化した形です。キリストはヘブライ語の「メシア」のギリシャ語訳で「油注がれた者」という意味です。マタイによりますと、「イエス」という名はイエスの養父ヨセフの夢に現れた天使のことば「その子をイエスと名づけなさい」に従って付けられた名前です。イエスは主なる神の救いをもたらす者という意味になります。ちなみにキリストは称号で、油注がれて即位する王、その使命を表しています。

そこで、イエス・キリストという名前は「主なる神の救いを人類にもたらす救い主」という意味になります。 

さて、誰にとっても名前というものは非常に大切です。親は深い思いを込めて、願いを込めて命名します。人の名前にはその人の使命、役割、あるいは期待、願望が含まれ表されています。

毎年、その年に生まれた赤ちゃんの名前のランキングが発表されます。私は今どんな名前が多いのかという点に大きな関心を持っています。

2008年に生まれた男の子の名前で一番多い名前は「大翔」(ひろと、はると」でした。大中小の大、それから飛翔する、羽を広げて大きく飛び舞うという意味の翔です。この命名には親の深い思いが込められています。その思いとは厳しい人生を生きなければならないこの子どもが、羽を広げて大きく飛んで、のびのびと大きく生きて欲しいという願いではないでしょうか。

女の子の赤ちゃんの一番は、陽菜(ひな、はるな)となっています。太陽の陽に、菜の花の菜です。この名前には明るく健やかな女性として成長して欲しいという親の願いが込められているように感じます。 

両親は生まれた子が人生において大きく羽ばたいて欲しいと願う。しかし2008年のこの世界の現実には実に厳しいものがあります。今、日本の社会は深刻な経済不況に襲われています。また精神的には閉塞状況、行き詰まりの状態にあります。羽ばたこうと思っても飛べません。暖かく明るい子として育って欲しいと願っても、厳しい競争社会の中で人は傷つき倒れ悩み苦しみます。まことに今の社会は人が生きるのが難しい環境ではないでしょうか。子どもの命名には、このような状況から生まれる両親の心からの願いが込められています。 

2008年、日本のカトリック教会では非常に大きな出来事がありました。それは殉教者の列福ということです。信仰を捨てないことを理由に処刑された188人の殉教者を、正式に信仰者の模範と認め宣言する列福式が去る11月24日に長崎で行われました。この人々は400年前、江戸時代初期に殉教した人々です。この人々は非常に強く自分の信仰と自分の尊厳を主張しました。

現代の日本では生きる力を失って自分で死を招く人が年間3万人もいます。他方、400年前のキリシタンは信仰を守って、何千人もの人が命を捧げました。江戸時代初期と2008年の現代を比べて大きな違いがあります。同じ人間の死でありますが、その死に方には大きな違いがあります。この違いをどう考えたらいいのでしょうか?複雑な気持になります。 

現代という時代、一人ひとりの存在が薄く軽く、存在感が非常に希薄になっているように感じます。自分の存在の意味が分からない。自分は何のために生れてきたのか?何のために生きているのか?わからない。そのような思いを抱いている人が少なくはありません。

人は他者とのつながりの中で自分を見出し、自分の存在の意味をしります。一人ひとりの人が他の人とのつながりの中で、本当にその人として大切にされて、生きる喜びを感じます。 

今日はイエスの誕生を祝いますが、同時に、わたしたち人類の誕生を祝う日でなければなりません。今日はわたしたちが、救い主の誕生とともに、家族、友人、知人、すべての人の誕生を祝う日なのです。

神の子イエスは人間になりました。それは人間を神の子にするためでした。神の子イエスは、すべての人の救い主として生まれました。それはすべての人をその人として、かけがえのない存在、神の子として大切にして下さる神の愛を伝えるためであります。

天の大軍は言いました。「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」

すべての人が神の平和に与かり、すべての人が大切にされる社会が到来しますよう、祈りそのために力を尽くしましょう。