教区の歴史

教区の歴史

町田教会献堂50周年記念ミサ説教

2008年09月28日

2008年9月28日 年間第26主日

 

 

ペトロ岐部と187殉教者の列福式の日が近づいてまいりました。式は11月24日です。来週の日曜日10月5日より7週間を司教団は『列福をひかえ、ともに祈る7週間』と定め、冊子を準備し、これを手引きにして共に祈り、黙想し、分かち合いをするなどして、殉教者の信仰に学ぶよう皆さんに勧めています。 

188人の殉教者は17世紀前半、正確に言えば1602年から1639年の間に殉教した方々です。188人のうち、東京教区で殉教したのは筆頭に挙げられているペトロ岐部とヨハネ原主水です。ペトロ岐部は1639年浅草で、原主水は1623年に高輪教会の近くの「札の辻」で殉教しました。

原主水は今の佐倉市(千葉県)の臼井城で生まれた人です。1623年は将軍家光が就任した年で、家光は就任祝いに集まった諸大名に対してキリシタン禁制の断固とした態度を示し、また見せしめにするために、札の辻で50人を火あぶりの刑に処しました。原主水はその50人のうちの1人です。 

日本は殉教者の国で、日本26聖人殉教者、聖トマス西と15殉教者、日本205福者をいただいております。この26聖人の列聖、205福者の列福は禁教時代のことで、教皇庁が日本の教会への深い関心を示し、日本への宣教を励ますために行なわれました。

今回の列福は、ヨハネ・パウロ2世の勧めを受けて日本の司教団が教皇庁に申請して実現したものです。その意図は日本の教会の信徒を励ますということです。ペトロ岐部を含めて司祭は4人、修道士は1人で、183人は信徒でした。183人の信徒の殉教者信仰にならい、現代の日本の教会の信徒が励まされ、勇気をいただき、これからの日本の宣教のために新たな力を受けることができるよう、殉教者のとりなしを願うためであります。400年前の殉教者のことを、単なる歴史上の出来事としてではなく、現代における意味を学ぶためです。 

188人の殉教者は非常に鮮やかな輪郭をわたしたちに示しています。

原主水はちょうど1600年に洗礼を受け、1603年20歳にして将軍家康の側近、護衛隊長となり、エリートの道を歩みました。しかしやがて彼の歩みは挫折、失脚し、捕らえられて手足の自由を失い、額に焼印を押され、ハンセン病者の小屋に捨てられました。それからの原主水はハンセン病者に仕えて過ごしましたが、かつての部下に裏切られて密告され逮捕され、火刑に処せられます。非常に数奇な運命です。存在感のある生涯です。他の殉教者も鮮やかな存在感を示しています。

京都の殉教者、テクラ橋本は幼子を抱えながら火で焼かれた母親です。「すぐにすべてがはっきりと見えるようになります」と言って、一緒に火刑に処せられた子どもを励ましました。強い存在感があります。 

400年後の現代、キリスト教が政府から迫害されたり、禁止されたりすることはありません。信教の自由が保障されています。

しかし、・・・何か目に見えない大きな力によって支配され拘束されていないでしょうか。組織、制度が強固で個人の自由を束縛しています。現代は「個の存在の乏しさ」の時代であると言えないでしょうか。自分がここにいる理由、自分がここにいてもいい理由に確信が持てない。言い換えると、自分がここにいることを肯定できない人が非常に増えているのではないでしょうか。 

現代における証し、殉教は、存在の証し、つまり一人ひとりの人間の掛け替えのなさの証しではないでしょうか。

今日の使徒パウロのフィリピの教会への手紙ですが、「何事も利己心や虚栄心からするのでなく、へりくだって、互いに相手を自分よりも優れた者と考え、めいめい自分のことだけではなく、他人のことにも注意を払いなさい」と言っています。相手を自分より優れた者と思う、とは難しいことです。互いに相手の存在の中に神のみ手を認めるのでなければどうしてできるでしょうか。神の愛が注がれていることを信じるのでなければどうしてそうできるでしょうか。 

今日の福音ですが、徴税人や娼婦は後ろめたさをいつも持っていたので神からの呼びかけに応えて信じることができました。民の指導者は回心の必要を感じていないので信じることができなかったのでしょう。

現代の課題はいかに、心から相手を自分より優れた者とすることができるか、ということです。神の前に自分を掛け替えのない者として受け入れ、また、他の誰でも掛け替えのない存在として認めること、そのために組織、制度からはみ出ることも辞さないくらいの強い信仰を持つこと、それがわたしたちの課題ではないかと思います。  

日本の殉教者の取次ぎにより、このような強い堅固な信仰が与えられるよう祈りましょう。