2008平和旬間「平和を願うミサ」説教

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2008年8月9日 東京カテドラル聖マリア大聖堂で

 

 

第一朗読 使徒パウロのコロサイの教会への手紙3.12-17
福音朗読 ルカによる福音6.27-36

 

 

「平和を実現する人々は幸い」

主イエスの山上の説教のことばです。このことばをテーマにしながら今年の平和旬間では、特に環境問題、人権問題から、平和を実現するためには何をしたらいいのか学びたいと思います。それを前提としてわたくしは今日、少し個人的なことをお話したいです。

「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」。これはユネスコ憲章の前文です。

わたくしは中学生のとき学校でこの言葉を学び、非常に感激しました。第二次世界大戦が終わり、日本で平和憲法とも呼ばれる日本国憲法が制定公布され、人々は熱心に平和を祈り求めておりました。

まもなく敗戦63周年を迎えますが、戦争と平和について思い考えるとき、いつもこのユネスコ憲章の言葉を思い出します。この言葉はすべての人、とくに宗教を信じる者が深く心に刻むべき戒めです。 

平和は神がわたしたちにくださる賜物であります。平和はまず神が一人ひとりの心に与えてくださる聖霊の賜物です。平和のために人は努力しなければなりませんが、同時に平和を与えてくださるよう、人は絶えず神に祈らなければならないのです。

ミサの中で司祭は「主の平和がいつも皆さんとともに」と会衆に呼びかけます。会衆は「また司祭とともに」と応えます。平和のために祈ることはもっとも大切なことです。東京教区の平和旬間では「祈りのリレー」をお願いしております。毎年多くの人がこの呼びかけに応えてくださっていることをうれしく思い、感謝いたします。 

キリストの平和は聖パウロの中心的な教えです。今日の第一朗読、コロサイの教会への手紙で「キリストの平和があなたがたの心を支配するようにしなさい」とパウロは勧めています。またローマの教会への手紙では、「このように、わたしたちは信仰によって義とされたのだから、わたしたちの主イエス・キリストによって神との間に平和を得ており...」と言っています。キリストとの平和はキリストを信じることによって与えられる義、神との和解・平和であり、罪のゆるしという恵みであります。人は神の前で良心に責められることがないとき平和であり、心に静けさがあります。 

戦争は人の心の中にある敵意から生じます。キリストは十字架によって敵意という隔ての壁を取り除いてくださいました。「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、ご自分のうちにおいて敵意という隔ての壁を取り壊し、規則と戒律づくめの律法を廃棄されました。 ...十字架によって敵意を滅ぼされました」(エフェソ2.14-16)とパウロはエフェソの教会への手紙で言っています。 

神との平和は隣人との平和と結びつくべきものであり、隣人との和解として結実しなければなりません。それでは隣人とは誰でしょうか?これは「よいサマリア人のたとえ」のテーマでした(ルカ10.25-377)。

イエスは敵への愛を説き自ら実行されました。「あなたがたを憎むものに親切にしなさい。悪口を言う者に祝福を祈り、あなたがたを侮辱する者のために祈りなさい。」(ルカ6.27)。

神との平和は敵との和解に結びつかなければなりません。敵を愛するとは敵のために苦しむことであります。自分を憎む者に善を願い、幸福を願い、そして相手とのつながりを確認して和解することであります。 

先日、「イエス・キリストの『幸い』」についてあらためて考える機会がありました。その際、心に浮かんだ言葉があります。多分中学生の頃知った言葉です。

「世界全体が幸福にならないうちは個人の幸福はあり得ない。」

宮澤賢治の言葉です。人類は皆つながっています。すべての人は同じ神によって造られ、同じ神から出ているからです。自分だけの幸福はありえません。

宮澤賢治が世界全体というとき何をさしているのでしょうか。単に人類全体ではなく、宇宙全体、森羅万象、すべての被造物を含めているのではないかと思います。 

聖パウロはローマの教会への手紙で言っています。「人間だけでなく、被造物も、いつか滅びへの隷属から解放されて、神の子供たちに栄光に輝く自由に与れる日が来るのだ」と(ローマ8.13-26 参照)。

わたくしは、平和とは神との平和、隣人との平和、自然との平和を合わせて考え求めるべきであり、その結果、自分自身の平和が与えられるのだと思います。