教区の歴史

教区の歴史

吉祥寺教会堅信式説教

2008年07月06日

2008年7月6日 年間第14主日 吉祥寺教会にて

 

 

皆さん、6月28日より「パウロ年」が始まりました。教皇様は来年の6月29日までの1年間を「パウロ年」と宣言され、とくにこの1年、パウロの教えを学び、パウロの生き方に倣うようにと勧めておられます。どのように学んだらいいでしょうか? 

主日のミサの第二朗読はパウロの手紙である場合が多いです。主日のパウロの手紙の朗読と福音との関係に注目しながら、パウロを学ぶのも一つの方法だと思います。今日の第二朗読はローマの教会への手紙の8章です。パウロは、「霊に従って歩みなさい」と言います。また「肉ではなく霊に従いなさい」とも言っています。霊とは神の霊、キリストの霊、聖霊です。肉とは肉体ということではなく、人を悪に誘う悪の力、悪の原理のことです。パウロは霊に従って生きる人は、「愛、喜び、平和、寛容、親切、善意、誠実、柔和、節制」(ガラテヤ5.22)などの実を結ぶと言います。それに対して肉の業は「姦淫、偶像礼拝、敵意、怒り、利己心、妬み」(同5.19-21参照)などです。 

パウロは熱心なユダヤ教徒であり、キリスト教徒を迫害していました。ところが、ダマスコへの途上でキリストに出会い、劇的な回心をします。突然、天から光がさしてきて「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」というイエスの声を聞きました。パウロはそのときからキリストに捕らえられた人、キリストの虜になりました。キリストが彼の中で生き始め、彼を殉教の最後まで導いたのです。それはまさにパウロ自身が「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです」(ガラテヤ2.20)と言っているとおりです。パウロをこのように変えたのは聖霊の働きです。パウロはキリストを信じる人に注がれる聖霊の恵み、働きを体験したのです。 

今日の福音でイエスは言われます。

「疲れた者、重荷を負う者は、だれでもわたしのもとに来なさい。休ませてあげよう。わたしは柔和で謙遜な者だから、わたしの軛を負い、わたしに学びなさい。そうすれば、あなたがたは安らぎを得られる。わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽いからである。」(マタイ11.28-30)

また、本日の第一朗読はゼカリヤの預言です。「高ぶることなく、ろばに乗ってくる。雌ろばの子であるろばに乗って」(9.9)と語られている僕の姿はまさに、柔和で謙遜なイエスの姿をあらかじめ指し示すものでありました。 

しかし、「わたしの軛は負いやすく、わたしの荷は軽い」とどうして言えるのでしょか?それは、キリストの軛であれば、荷であれば、キリストが一緒に荷ってくださるからではないでしょうか。キリストの霊、聖霊が信じる者に注がれて荷を負えるよう、喜んで負えるよう、助けてくださいます。パウロはこのことを体験し教えていると思います。 

さて、霊による罪と悪からの解放は人間だけでなく被造物にも及ばなければなりません。ローマの教会への手紙の、同じ8章でパウロは、人間はもちろんだが、すべての被造物も解放される、あがなわれるのだと言っています。すべての被造物とは、神の造られた世界、自然のことだと思います。いま環境破壊や地球温暖化が問題となっています。まさにこれは被造物もうめいているということではないでしょうか。 

明日よりG8(主要先進8カ国首脳会議)が洞爺湖で開催されます。この8カ国のカトリック司教協議会会長は連名で要望書を提出しました。この内容の一部をご紹介します。

「発展の原動力となった二酸化炭素排出からより多く恩恵を受けた豊かな人々と国々が、気候変動の有害な結果を防ぎ対処するコストを負うべきであって、貧しい人々が不当な負担を負うべきではありません。貧しい人々と国々が気候変動の結果に対処するのを助けるメカニズムを構築すべきです。そして、地球規模の気候変動をもたらさないような方法で発展を促進する技術を取り入れるべきです。G8サミットでは、人間の生命と尊厳にとって非常に重要な多くの課題が検討されるでしょう。 この会議が、貧困削減と気候変動に対して具体的な方策をとることによって、世界の共通善を促す協調の精神で満たされますよう祈ります。」 

霊による解放は、人類と世界・自然との和解をも含むことだと思います。神との和解、隣人との和解と共に自然との和解のために祈り、働かなければなりません。そうすることによって人は真に自分自身と和解できると信じます。